ラック式のブダベスト登山鉄道(Budapesti Fogaskerekű Vasút)は、メトロ1号線より22年も早い1874年6月24日に開業したと言いますから驚きです。
開業時は未電化でB型蒸気機関車が客車2両を牽引して走っていました。写真は3号機ですので少なくとも3台は在籍していたと思われます。車掌が車両外にいるのは車内改札を行っているからなのでしょうね。当時から信用乗車制だったと思われます。1929年に電化されるまで55年間、この光景は続きました。
※ 写真はメトロ博物館に展示されていたものです。
第19日目 3月1日 その2
10:46 モスクワ広場のKFTに入ったのはWiFiを利用したいためでもありました。ルーマニアではSIMカードを購入していましたので道に迷った時、またこれから行く場所の様子をGoogle地図で確認する事が出来て大変役に立ちました。ハンガリーでもメモリーされている大体の地図は表示できてナビゲーションにはそれほど不便なかったので購入するタイミングを逸してしまいました。しかし、現在の状況では詳細な地図を見なければ次の行動が出来ません。困りました。
ゆっくりとコーヒーを飲みながら、WiFiでインターネットに接続しての地図を見ます。登山鉄道までは2駅との事ですのでそんなには遠くではないでしょう。トラムが走っていないとなると徒歩で向かうしかありませんが、地図で表示された登山鉄道への道は約950m、そして不得意な上り坂が続いています。それにトラムが止まっていて冬季となれば行っても運休している可能性もあるかも・・と、弱気になりました。
諦めようかとしばらく悩みましたが、コーヒーを飲んで落ち着いてくるとここまで来て退散するのも鉄ちゃんとしては情けなくもある。ダメ元覚悟で行ってもみようと覚悟を決めました。
しばらく目的地方向に歩くと、カーブで広場からは見えていなかった所にトラムの姿が見えました。
11:15 着いた所はトラムの臨時電停です。これは現地を知っている人でないと分かりません。しかし、来て良かったと正直、ほっとしました。
▲ 11:21 浮かれてトラムは1駅乗り過ごしましたが折り返して無事に登山鉄道の乗り場、ヴァーロシュマヨル(Városmajor)に着きました。登山電車も動いているようです。
時刻表はと見ますと今日は日曜日で、この時間は15分ヘッドの11:30発です。
平日は20分ヘッドと、通勤客用に運行されていると思ってはいましたが、観光客用にも重点をおかれています。
運賃は1回券350Ft(約156円)、10回券3,000円(約1,332円)、自転車を乗せると540Ft(約240円)となっています。
この鉄道はトラム・バス・メトロ等の公共機関と同じBKV(Budapesti KözlekedésKözpontot=ブダベスト交通会社)の運営で、私が持っているフリーパスで乗車できます。このためこの路線を走る電車は60系統です。
▲ 11:30発の折り返し電車がきました。2両編成ですが乗客はわずかです。
▲ 自転車を持ち込む若者もいました。乗せるスペース、乗降ドアも決まっていて広いスペースが用意されています。この鉄道に限っては飼い犬もそのまま乗せて良いようです。
▲ 路線図です。駅は10駅で乗継できるトラムやバス系統も記載されています。
【 ブダベスト登山鉄道(Budapesti Fogaskerekű Vasút)の歴史 】
18世紀に森林地帯だったこの地区にブドウ園が広がり、やがて富裕層の別荘地が建てられるようになりました。また、市民の保養地としてもリゾート化され、定住する人が増えていました。このため1868年、くさり橋からZugligetまでの馬車鉄道が敷設されました。そして、急勾配のヴァロスマヨールからシュヴァーヴヘジュまでの2,883mに、1,435㎜のラック式鉄道が計画されて、1874年6月24日に開業しました。何とメトロ(1896年開業)より22年も早い開業でした。高低差264m、平均勾配92‰、当初はリッゲンバッハ式、客車牽引にはSLM製の蒸気機関車が使われました。
1890年5月17日、セーチェニ山駅まで延伸されて、路線長3,733m、高低差は315m、平均勾配84.7‰となりました。
1929年7月2日には電化(DC550V)され、スイスのアーラウ(aarau)からの部品供給を受けてガンツで製造された電車が走りました。
1973年には老朽化進んだ車両・施設により、大幅なリニューアルが実施されます。レール重量化、DC1500Vに昇圧、全車両はBrown, Boveri & Cie(BBC)電装の車体はSimmering-Graz-Pauker AG製造、ラックはシュトループ式に置き換えられました。
▲ 11:45 終点のセーチェニの丘に到着。途中での乗降も殆どなく、わずかな降車客でした。
さて乗り継ぐ子供の鉄道の駅は何処にあるだろうと周囲を見渡しても見えません。降りれば周辺案内ディスプレイでもあるのかと思っていましたが、あったのはこの方向の矢印だけです。日本のような親切な案内板を期待する方が間違っていたようです。一緒に降りられた方にこの方向で間違いないのか、お聞き確認してから進みました。 Part49に続く