今や熊本は【くまモン】で沸き返っている。それはさて置きデジ青【71074】では初めて熊本に足を踏み入れた時、熊本駅前から藤崎宮まで歩き当時の熊本市電を紹介した。その後も熊本には片手以上の回数で足を踏み入れている。瀬戸内海航路や航空便で九州に渡り別府や湯布院の温泉につかり、上達が見られないゴルフを諦めた後は熊本観光組となった。その頃に大阪市電900型導入を目撃した。またワンマンカーに乗り合わせた折に乗車券が区間制で、不思議な思いに駆られたことが思い出される。何故か博多経由の熊本入りは1989年までなかった。
1989年のGW5月2日、午前中に工事段取りを済ませ山陽新幹線で九州に向かった。門司港の街並み見物と夕食後、門司港初発夜行急行「かいもん」で鹿児島に向かった。小倉から転換クロスは満席、博多では釣り客で超満員となった。鳥栖を前にして転寝となり、発車衝動以外はぐっすりであった。終着鹿児島中央駅の降車客は座席定員の半分を割っていた。九州で夜行列車に乗ったのは1958年9月以来のことで、その時は松山→別府→鹿児島のコースだったのだが、台風襲来で行く先々で雨雲に追われる始末であった。今回の鹿児島は快晴だが午後になると薄曇り(桜島の灰)となり、特急で熊本に向かった。旅行業者に頼んだ宿は市電車庫の斜め向かい。これ幸いと夕食後に撮影許可を貰いに出向き、操車室で京都から来たといって歓談、ついでに手続きを済ませた。これで翌朝の動きが楽になる。
翌4日、朝の入庫車両を撮ろうと車庫に向かった。昨夜の訪問は申し送りとなっており、「出庫車に気をつけて下さい」の声掛けがあった。「はて?そうだ本日は休日だ」と気付いた。そこへ学生らしきカメラマンが登場。何処から来たかと問えば立命館大学鉄道研究部との自己紹介があり、「5人で九州一周の途中で昨日は熊本電鉄を訪問、今日は分割で市電と国鉄の撮影だが、昼には合流して長崎に行く」、とのこと。加えて「事務所は多忙だから車両のことは撮影中の叔父さんに聞くように言われました」と。そこで出庫車に留置車をも加え説明役となった。ここでお断り。5月2日投稿【71074】コメント覧で、INUBUSE会員からワンマン化改造に伴う車両番号変更の内容が紹介された。本稿ではそれにしたがって紹介することにする。
車庫で見つけたイラスト電車、これが当日の狙い目となった【春のこどもまつり号】だ。市電運賃と動物園入園料が中学生以下は5月3,4,5日の3ヶ日は無料で、それに合わせ市電は楽しい機知にとんだイラストで装飾されていた。それを全車撮らねばと、妙な使命感にかられたのでした。装飾電車の掲載順序は①とら②らいおん③ぞう④かば⑤きりん、となっています。
乙訓の長老様、
ぞうさん電車の向こうにある「長崎次郎書店」の建物がいいですね!いまも健在ならばいいですが・・・
みなさん わたしもいい建物だと思っていました。米手作市さんのコメントを読んで同じ思いました。それで「長崎次郎書店」で検索するとここのHPにつながり、今回の地震でも大丈夫だったようです。明治7年創業で建物は大正13年創建され国登録有形文化財に指定されているとのことです。平成25年春に休業されたそうですが、平成26年7月31日にリニューアルオープンされたそうです。それは創業140年にあたる時だったそうです。このHPには「新町電停と長崎次郎書店」という動画があります。なかなかいい動画ですので皆さんご覧になったらいかがですか。店内にギャラリーがあるそうです。詳しくはHP http://www.nagasaki-jiro.jp/ をご覧ください。
ありがとうございます。
早速見てみます。
米手作市さん、どですかてんさん、コメント有難う御座いました。熊本には21世紀になりもう一度観光旅行で行きました。その時はドイツ型の連接車9700形にお目にかかりましたが、ドイツで何度も乗りましたのでパスしました。釣りかけ車がまだ残っていたので乗りました。新町電停の本屋は老人の飯の種の業界でも知られていました。さらに上熊本駅方向に歩いていくと左側にある「蕎麦屋」も著名だそうで、遅い昼食を採らせていただきました。この南北の通りは戦災に会わずだったようで古い建物が残っていた記憶があります。
それより今回の震災、どのように復興が進むのでしょうか。城の復興には10年以上の工期を要し、その費用は?となっています。市電は走っているようですが、町の復興にどれだけの経費と工期が必要とされるのか、心配しています。
震災の最中に投稿するのはどうかと思いましたが、何度も足を伸ばした町だけにそれなりにも思い出がありました。くまモンがんばれ!
乙訓の長老様、
1082の横に写っている蕎麦屋ですね。あのお店も気になっていました。
私は人生で記録的な大震災に三度も遭遇するとは思っても見ませんでした。
そのたびに長老の仰るように、どう付き合うのか?が気になりました。しかし、最近は普通に接するようにしています。話題も投稿しますし、話もします。当事者の気持ちも千差万別で有ろうからです。今回の長老のご投稿で読んだ方々が行ってみたくなればそれは復興に協力したことだと思っています。どんどん思い出を投稿して熊本への興味をかき立てようではありませんか!
乙訓の長老様
熊本の街並みとイラスト電車のよく調和にとれた見事な写真を紹介いただき ありがとうございます。つい建物にも気が行ってしまいますが 他の車に邪魔されることの多い路面電車で 5種類のイラスト電車をすべていい状態で撮られた熱意はさすがと思います。私も仕事でも熊本にはよく行っていました。熊本の復興のためにもまた行ってみようと思っています。いい街です。
30年ちょっと前に熊本を訪れた際に市電にも乗ってますが、前を通ったはずの長崎次郎書店は記憶にありません。元々、記憶も記録もエエ加減ですが・・・
本日、たまたま図書館で見かけて借りた「写真で綴る昭和の鉄道施設・西日本編」(宮下洋一著)という本に「その他(駅前)商店類」として同書店が掲載されていました。撮影データが「1989.5.6」となっており乙訓の長老さまと2日違い!ですね。
ストリートビューで見てみると、左側の八百屋さんはテントを撤去し、壁面がよく見える状態で盛業中で、軌道の敷石もそのままのようです。
震災後、市電は数日で運行を再開したとのことで、その努力に敬意を表するとともに、被災地の早期の復興を願います。