マン島鉄道その5 SNAEFELL MOUNTAIN RAILWAY
マン電気鉄道がダグラスの東端(馬車鉄道と接続)を発し、ラムゼイに到るほぼ中間にラグゼイという町が川口から1.5kmほど引っ込んだところに展開しており、道路も電車も川の両岸を深い馬蹄形というか、U字型に迂回している。そのラグゼイからスネイフェル登山鉄道が分岐しているが、マン電気鉄道が軌間3フィートなのに、なぜか3フィート6インチである。どうせなら同じにすればと思うが、別段貨車がある訳でもなく、電車が直通もしないから、強いて同じにする必要もないのは確かではある。尤も建設時はマンクス・ノーザン鉄道の蒸気機関車の軌間を6インチ拡げて借り入れたそうだが。
例えばスイスのインターラーケン・オストからユングラウ・ヨッホへは、まず1000mm1500Vリンゲンバッハ方式ラックのベルナー・オーバーラント鉄道(BOB)、次いで800mm1500Vリンゲンバッハのヴェンゲルン・アルプ鉄道(WAB)、もう一度1000mm1125Vシュトルプ方式のユングラウ鉄道(JB)を乗り継がねばならないのに比べれば、何ということはない。
右はマンクス電気鉄道(軌間914mm)、左がスネイフェル登山鉄道(1067mm)
最初は蒸気動力で計画された由だが、1895年1月建設開始し、4マイル53チェーン(7.5km)の完工が8月というから驚きである。1/9(111.11‰)の急勾配だが、電車は粘着力だけで上れることが判明し、軌間中央に敷設されたサードレールは本来ロッヒェル式(水平両側ピニオン)の粘着版だったのを、下りのブレーキ用のみに使うように変更されたそうな。軌間に3フィート6インチを選んだのは、元来このサードレールの為なのであろう。同年12月鉄道全線は建設費を超える額で Isle of Mann Tramways & Electric Power Co. に、のち更に Manks Electric Railway Co.に売却された。
電車の窓上端は一見イスラミックで、しかも窓は左右引き違いと、木曾森林鉄道等、地元大工が作った客車並。集電器の形態が独特である。これでもビューゲルというんだろうか。外国電車屋さんの解説が欲しい。乗降口は妻面向かって左角で、ステップが2段ある。
外側は綺麗に塗装され、有名なマヨルカ島の電車のようにニス仕上げだが、車内は外ほどでなく、ダブルルーフの下屋根、間柱部分に相当の補強がされている。座席は木製=古い教会の椅子のようで、背摺りは古い米国の客車のような「一応の」転換式である。
上りだすとすぐ濃い霧の中に突っ込んで、速度は遅いがともかく上り続け。地図で分かるように、等高線を斜めに横切り、かなり思い切った路線選定だが、一度主要道路を横切る踏切以外景色は何も見えず。最終地点では621mの頂上をぐるりとほぼ一周して終点である。登山道は等高線と直角で、一気に上る。
頂上は天気さえよければ眺望絶佳の由だが、ご覧のように濃霧の中。折り返す間建物に入ると、嬉や、ビールのポスターが貼ってあるではないか。ところが飲み物はジュースの類だけとは、馬鹿にするにも程がある。責任者出て来い!といいたかったが、語学力の乏しさでそれも叶わず。ただただ辛抱して発車を待つのみ。
このクラシックな電車はエアブレーキが無く、ハンドブレーキのみ。それも急勾配区間は車輪の踏面ではなく、サードレールの左右を運転手の人力で締める。その構造は写真を撮り洩らしたが、到って素朴単純。濃い霧で車輪がスリップし、砂が無くなって運転手が顔色を変え、運転席を離れて客室内の予備砂を取りにいったのにはいささか驚いた。以前ご覧頂いたオーストリーはリンツのペストリングベルクバーン(105‰)電車のように、普通ならカーボンランダムブレーキやマグネットブレーキを備えるところだろうが、ユニークなブレーキ専用サードレール方式が、この電車のウリなのである。
ともかく無事下界に到着。ラグゼイの接続地点はマンクス電気鉄道と隣接だが、レール配置を控えるのを怠り、どうなっているのかよく分からん。サブロクと3フィートがあたかも接続されているように見えるが、当然そんなことはない。おじん2人+1人の1人氏は、万難を排し寸暇を惜しんで線路配置を克明にメモする特技と熱意の持ち主だが、このときはいなかった。
右スネイフェル登山鉄道、左マンクス電気鉄道