実験ホームドア見物の後はもう一つ隣りの終点三崎口に向かった。京急久里浜線は1966年(昭和41年)に三浦海岸まで開通し、その後1975年(昭和50年)に三崎口まで開通した。見る列車種別は快速特急ばかりであるが京急久里浜-三崎口間は各停として運行している。一部単線区間があるが10分間隔でやってくる。
三崎口から三浦海岸に向けて徒歩凡そ15分で京急線を跨ぐ陸橋がある。ここは単線で順光の時間が長く綺麗な編成写真が撮れる。線路際の河津桜が咲く頃は隣接の公園が賑わう。一度行って見ることをお勧めしたい定番の撮影地であり望遠レンズもいろいろと使えるがワンパターンであるのが難である。
2016.11.6 三浦海岸-三崎口 快速特急三崎口行き1065 ▼
上の写真と反対側は三崎口を出た上り列車を撮影できる。但し、終日逆光となる。
次に三浦海岸が終点であった頃の記録で撮影日は何れも1971年8月8日日曜日である。京浜急行は海が売り物であり、海に関係した駅名も多い。三浦海岸は特に海水浴や釣りが有名で私も近くの金田湾にキスを釣りに行ったことがある。この日は絶好の海水浴日和で臨時の海水浴特急が多数運転されていた。
海水浴特急には吊り掛け車も動員されており、写真は400形で車番が不明のため戦前の1943年、44年(昭和18、19年)製造のデハ400形か戦後の1949年、50年(昭和24、25年)製造の規格型のデハ420形かよくわからないがこの関東型の古い車両が横浜あたりで当時の国鉄東海道線、横須賀線、京浜東北線の車両を追い抜いて行く姿を度々見ている。110kwモーターである。 パンタを堂々4基あげ後ろに元デハ600形のデハ470形を従えた8連の折り返し臨時海水浴特急品川行きとなるべく回送到着した姿である。▼
折り返した臨時海水浴特急の先頭車デハ472の姿である。1953年(昭和28年)製造の半鋼製吊り掛けモーター車である。当初はクハ654で正面は湘南窓で好ましいスタイルであったが1973年(昭和48年)に全金属製車両となり、1986年(昭和61年)に廃車されている。台車は川崎車両のOK台車である。中間ドアの右上には快速特急と表示されている。モ-タ-は150KWである。▼
最後に当時の京急の代表的車両である初代1000形1074の特急品川行きの姿である。この車両は75KWモ-タ-のオール電動車で凄いスピードで国鉄車両を追い抜いていた。この時点で冷房車も導入されており、集中冷房で台車や足回りが真新しいグレーの初代1000形もこの日カメラに収めている。▼
準特急様
『根なし草』のように関西⇒関東とアチコチ転居した中で、実は貴殿の取材地にも縁があって久里浜から片道2時間近くの通勤で京急のお世話になった事があります。
転居した頃は久里浜始発が多数あって、楽チン乗車だったのが三崎口までの延長で突然立ちん棒通勤となり、『苦痛に喘いだ』(笑)ものです。
最近では京急も御多分にもれず派手派手ノリノリで、青は未だしもJ西の『末期(真ッ黄)』色の向こうを張った黄色一色も居て、幸せを呼ぶと得意になっているようです。
『京急なんだから三浦みかんのオレンジだろう』と思うのは凡人でしょうかね。
私も三浦海岸へ2014年3月15日に河津桜を見に行き、数本だけ撮影もしました。やはり時期的に遅かったようです。2月下旬までですね。再訪の必要ありです。なお、この区間には平日だけですが、都営車が1本だけ入っています。品川7:42発特急三崎口ゆきです。1971年の写真は、さすが準特急さまという感じですね。
クモハ73106東ウラ様
いつも情報有難うございます。三崎口の河津桜は行こうと思います。あの場所はワンパターンと書きましたが、片ポール、俯瞰、順光と条件は揃っているので京急の車両を一応走行編成でとらえておくにはいい場所と思います。吊り掛け車両の海水浴特急は1965年(昭和40年)頃には230形も動員されていたような記憶がありますが230形の優等列車は正月の川崎大師初詣のだるま急行が撮影できた最後でした。
河 昭一郎様
いつも見ていただき有難うございます。
関西国電から横須賀線等にもお詳しい河さんが京急で長距離通勤されていたとは驚きです。京急は関東私鉄の中では関西的な感じがするのか人気があるようです。黄色いのは西武と色交換した電車ですね。江ノ電と嵐電、都電と阪堺電軌も同じような例がありました。台湾と色交流をしているところもあるようです。何とか大学、何とか簿記学校、何とか自動車学校など広告電車が来るとがっかりしますが、最近流行のリバイバルカラーはわざわざダイヤを聞いて撮りに行くことがあります。昔とは微妙に色が違っていることも多いですが、単調になり易い私鉄撮影を救ってくれるような気もします。プロ野球でもリバイバルユニホームに加えて見たこともないようなユニホームが登場してどこのチ-ムなのか一瞬迷ってしまうことがありますが、そういう時代になったのかもしれません。
準特急様
色については勉強不足でした。
京福&江ノ電、南海阪堺線&都電は知っていましたが、京急については青色車の先入観から黄色車も同様と勝手に解釈していました。
青色=羽田のブルースカイ、黄色=幸せのイエローハッピーが小生の頭にインプットされていて、西武の黄色を失念していました。
そう言えば2014年10月31日 付けの貴殿のレポートに詳しく出ていましたね。
大変失礼しました。
河 昭一郎様
色についてはいろいろありましてリバイバルカラーの多過ぎることについて当会でも少なからず嫌悪感をお持ちの方もいますが、どうでしょうか、全体的には好意的なように思います。能勢電、近鉄、京成などのそれがデジ青でも発表されました。JR東の189系のグレードアップあずさも人気があります。一方、経費節減なのかJR西の単色化については不人気なようですね。ただ、どなたか山陽本線で撮影して発表されたJR西の115系の黄色単色はバックが濃い緑の山なので意外と映えることも発見しました。伝統的単色と言えば河さんも関係の深かった阪急ですが、始めて見てダサいという人(この方は東北出身でした)もいまして反論したこともあります。昔の吊り掛け車時代の阪急はよかったのですが、吊り掛け車=単色が多く何か郷愁のようなものがあるのかもしれません。阪急の最近はラッピングなのか多少化粧したものも見ますが、全体に飽きてきたのも事実です。そこへ行くと南海は本線のリバイバルカラーに加えて高野線特急などに高野山の記念塗装を施して走っていましたし、空港特急には赤鉄仮面もいました。南海は近鉄同様に風景の良さもあって足が向きます。面白かったのはJR東の185系に湘南色やひびき色を施したものが現れましたが気にして撮りに行きました。それなりに似合っていたという人もいました。色については各人ご意見をお持ちと思います。赤を基調としている京浜急行や名鉄などにもさまざまな意見があると思います。