大井川でのSL+DL


異形式連結やら、電蒸やら、SL+ELやらと、盛り上がっているので須磨老人からもご愛嬌をおひとつ。撮影は1984年3月25日。この頃大井川鉄道は蒸機―それも本線ではなく、小型機を井川線に走らせて客寄せに頑張っていた。この日は旧一畑のコッペル1号機(とはいっても改装激しく原型ではないが)に火を入れた。しかし牽引力思わしからず、後尾にDLを連結し、実際はこれが推進していたのと同然なのは、1号機の煙の具合が至って気楽でまるで気迫に欠け、暢気な焚火のような状態から察知できるが。

写真からは分かりづらいが、後尾にDLが控えている。キャブから突き出されている棒は、前後の機関車が連絡を取り合う無線機のアンテナ。

という具合である。

手前の背広姿は若かりし日?の白井社長。なぜか?こっちも若かったんです。ワフは2種の連結器を装備した控車で、軌間は1067mmながら、井川線は規格が低い軽便並で、連結器のサイズ、中心高も違うから、この貨車を挿まないと蒸機と連結できない。2軸貨車の軸受がコロ式なのは外国並というより、日本が「著しく」遅れていたのである。

 

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