もっと酷いビネガーシンドローム(2)

前回(1)と同じ車輌の山陽電車の119-118号です。撮影は、1961年2月19日。
被害が進み感光膜とベース(三酢酸セルロース、またはトリアセチルセルロース)の間に空気も入り、今にもベースから剥がれ落ちそうな酷い状態でしたが何とか修復し、過去に一度投稿の上、皆様のご覧に入れた事があります。
before
after

 

もっと酷いビネガーシンドローム(2)」への2件のフィードバック

  1. 須磨、およびtsurukame両先輩からの貴重なレポート、ありがとうございます。私も過去に何度か自分のビネガー症状をお伝えしており、その都度、両先輩からも助言をいただいています。私は、昭和41・42年ごろ現像の富士フィルム約50本が集中して罹患しており、今回tsurukame先輩が示されたように、全面に白・赤の斑点・皺が発生しています。両先輩は、辛抱強くレタッチされていますが、根気のない私は、もう諦めました。この50本以外では絶対症状を出さないよう、ほかのフィルムのチェック、デジタル化を進めています。

  2. 総本家青信号特派員様
    お帰りなさい。この度の事、衷心からお悔やみ申し上げます。
    特派員様がお留守の時、デジ青の記事数が減少気味でした。12月は月初から再び活気付いておりますが。

    特派員様の50本近くも罹患ですか、勿体無いことです。中には諦め切れない画像もきっとあることでしょう。筆者の場合、よほど酷いものはさすがに諦めましたが、ほぼ修復が完了しております。始めてから凡そ10年近く掛かっています。ここ1年間に投稿した山陽電軌、長崎電軌も相当酷いものがありました。共に1963年撮影、現像は同志社生協写真屋でした。修復後は原画に上書き保存しましたので、醜い画像は現在ほとんど残っていません。見るのも癪にさわりますので。 湯口先輩とおなじ心情です。

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