流線形車両ー3-

戦前に流線形が流行した1936年(昭和11年)に鉄道省は3両のEF55を登場させた。EF551は日立製作所笠戸工場製で1964年(昭和39年)に引退している。その後1986年(昭和61年)に復活し、しばらくイベント等に駆り出されたが2009年(平成21年)に廃車された。写真はそのお別れ運転の日に同志社創始者新島襄の本籍と言おうか安中で撮影したEF551である。京都に眠る新島襄は江戸生まれで終焉の地は大磯である。なお、EF551は現在は大宮の鉄道博物館に保存されている。

2009.01.12 磯部-安中 EF551 ▼

 

戦前の流線形車両は関東にはあまりないが、元東京横浜電鉄のキハ1形が数少ない例と思われる。この車両も1936年(昭和11年)で鳥栖生まれ内燃、軽便にお詳しい当会の大先輩と同じ生まれ年である。何でも変電所の能力不足を補うため急行用に8両製造され、そのうち2両が五日市鉄道→南武鉄道→国鉄を経て鹿島参宮鉄道に行き、同社のキハ42201、キハ42202となった。キハ42201は切り妻、所謂蒲鉾形になったが、キハ42202は流線形の顔のままであった。確か当会の皆さんと桃浦で撮影した後、石岡の庫で撮った時のものである。機械式で総括制御できなかったので運転士が中間で連絡運転をしていた、そのような姿を見たかったものである。

1974.04.21 石岡 クハ42202 ▼

 

米手作市さんのデジ青2018年2月1日付[93162]「お待ちかね京阪流線型1000系」で関先生は「京阪では昭和9年に我が国初の流線形車として京津線に「びわこ」号60形を、ついで新京阪線の支線に更新新車200系を登場させている」とある。「びわこ」号60形は初の連接車と記憶していたが初の流線形車とは驚きである。ただ、この手の顔は気動車に多く見られたのではないかと思うがよくわからないので流線形気動車は前述のキハ42202を除き割愛した。

1968.11 穴太-滋賀里 穴太行き61号 ▼

 

カモノハシのような新幹線車両が究極の流線形ではないかと思うがこれまでは戦前の流線形時代の車両を発表してきた。ここで戦後の新性能車両が続々と登場した時期に忘れられない車両を紹介する。相鉄の初代5000系車両である。朝日新聞社「世界の鉄道1965年版」によると「張殻構造の流線型車体をもち、第2次は窓1つぶん車体が長くなり、第3次では空気バネ台車がついた。この形式から非常にこった外部塗色を採用している」とある。顔はこの頃の流行の湘南スタイルであるが、ボディマウントが流線形を強く印象付けている。米手作市さんの関先生シリーズに出たはずであるが、その後ステンレス切妻形の車両に生まれ変わったためか相鉄自体になじみが薄いのかコメントがなかったのでここで回送列車ではあるが発表する。相鉄は今では大手私鉄に仲間入りし、20メートル10両編成が数多く走り、特急列車も見られる。近く都心乗り入れが行われる予定で20000系新造車両も営業用で走り始めた。

1972.07.20 相模大塚-大和 ▼

 

関先生には名鉄850系、3400系のあと先走って京阪1000系、モハ52系を流線形車両として発表してしまい申し訳ありません。昨日(2月23日)はある老鉄の会に参加し、関先生の学友であり、鉄友であった方と談笑する機会がありました。デロ10が能勢電に譲渡される際に710が牽引して陸送できる場所まで行くのに立ち会われたとのことでした。昨秋には素晴らしい絵を多数拝見させていただきましたが、また機会があれば続きを見たいと思います。宜しくお願い致します。

 

流線形車両ー3-」への8件のフィードバック

  1. どなたかが京阪の1000型が逆向きで営業運転したのだろうか?と書いておられたが、EF55も逆向きで運転したのか知りたいものです。私は実物のEF55には会いませんでしたが、ED301には米原で会ったことがあります。

  2. 準特急さま
    60型びわこ号が流線型かどうか悩ましいところですが、前面が縦に垂直になっていないことで、大義の流線型に入れても不思議ではないと思われます。もう少し狭義では国電でも呼ばれた「半流」の範疇ではと小生は思っています。
    一度だけEL水上号だったかを撮りに行きましたが、期待したモーター音が意外に静かで拍子抜けだったことを憶えています。12系客車6連ではELには軽いものなのでしょうが、古老の55なのでという期待は裏切られました。

    米手作市さま
    両車ともバックでの営業運転はなかったと思われます。いずれも構内入替用ではなかったかということです。となればEF55は機関車なのでまあわかりますが、1000型に設置する必要性はあったのだろうかと疑念が生じます。ただ当時の京阪ではほとんど全車が一両単位で運用されていたため、頻繁に編成替えと従って構内入替が行われていたはずで、このために必要と考えられていた可能性はありますね。

  3. 京阪の逆向き運転の件、後位のキャブ設備がどんなモノだったのか(前位と同等だったのか又は簡易運転台だったのかどうか)が不明なので、色々と妄想に近い事を考えてしまいます。
    1900さんが仰るように、どうやら営業運転は無かったと考えた方が良いんでしょうね。
    それにしては、ただの構内運転のためだけに何故設置したんだろう? 

    EF55も米手さんと同様、米原でED30に化けた成れの果てを撮影したのみなので、EF55時の後位運転台の設備を見た事もなく、サッパリ判りませんね。

    これ又、『考え出すと夜も眠れない』(笑)

  4. コメントが消えてしまったので再度作成しました。

    米手作市様、河 昭一郎様
    電子辞書には流線形部分の反対側にある妻面の運転台は京阪1000、1100系は増解結や編成組替の便宜のため設置(簡易運転台かどうかの記述は見当たらず)され、営業用に使われたことはないとあります。一方、国鉄EF55は軸配置が2CC1という特異な車両で終端駅で方向転換を余儀なくされたとあり、当初妻面側の運転台は構内運転程度の簡易なものであったとあります。ということは後年、簡易から正式またはそれに近いものに変更されたと推察ができ、事実数少ない例ではあるが短距離普通列車や貨物列車に使われた(プレスアイゼンバーン「とれいん」1986年6月号16頁)とあります。何れにしましても奇妙な運転の姿を見た人はほとんどいないのではないかと思われます。

    1900生様
    びわこが流線形かどうか悩ましい所など同感です。総本家さんが京都市電600形を流線形と紹介された時も正直言いまして疑問に思いました。勿論600形は綺麗な路面電車とは思いますが、総本家さんごめんなさい。何をもって流線形か難しいところですが、半流という言葉もありまして、私は電車や気動車の場合、張り上げ屋根やボディマウント構造だけで流線形のイメージが湧いてきます。EF58や湘南電車も流線形なのでしょうね。流線形に詳しい本があったらご紹介ください。

  5. 準特急 様

    妻面運転台の件、情報をありがとうございました。
    京阪は『営業用に使われた事がない』が、EF55は『逆向き運転も有った』との記述を発見された由。どこかにその写真が有る筈なので、探し出す楽しみが出来ました。

    流線形談義ですが、流線形、半流、丸妻など、その定義については今まで特に意識せずに来たので、この際考えるのも良いのかも知れませんね。
    てな訳で私なりに。

    流線形は、複数の『曲線』を組み合わせたチョット複雑なデザイン⇒C53、モハ52、名鉄なまず、0系以降の新幹線も流線形で、この伝で言えば京都市電600形や『びわこ』号も流線形でしょうが、後者については『複雑さ』が不足していてシンプルでスッキリした感じで『流線形』は馴染まないかも知れません。

    半流と丸妻は同義と思っていますが、一種類の曲線のみしか使ってないデザイン⇒モハ51、クハ86の3枚窓車がこれに当たり、それで言うと京都市電の500形もこの仲間でしょうが、『500形を半流』と言った例は聞いた事がありませんね。

    ではEF58や湘南電車は何と言うか? 両車は鼻筋が通っていて折目が付いていましたので、上記の流線形とは異質かと・・・。

  6. 河 昭一郎様
    複雑さ、半流(丸妻)、鼻筋などがキーワードでしょうか。相鉄の初代5000系や名鉄の丸々とした初代5000系、あるいは東急旧玉電の200系も顔はその頃流行した湘南窓を採用し昭和10年頃の流線形を意識した設計ではなかったと思いますが準流線形なのでしょうか。国鉄151系こだま形、名鉄パノラマカー、小田急ロマンスカーなどボンネット形の車両はあまり言われていなかったと思いますが流線形なのでしょうね。いろいろ有難うございます。

  7. 準特急 様

    『流線形』の事。 考えてみれば今まで深く意識した事も無く、曖昧なままだったのに気付いた次第。

    若輩ほど知ったかぶった事を連発するものですが、小生などはその典型ではないかと自省しています。

    そう言えば『ボンネット形』も有りましたネ。 私流の『複数曲線、複雑デザイン』で言えば『流線形』でしょうが、あくまでも登場以来『ボンネット形』ですから、『流線形』と括ってしまうのも無理があり、『チョット違うかな』と。

    どうやら結論に近いモノが出て来ましたね。
    つまり、現在までに出たジャンルは『流線形』『半流』『丸妻』『ボンネット』『鼻筋・折目』で、そう言えば玉電は『タルゴ』などと言っていたような。
    結局は電鉄各社&国鉄の『無責任な?』名付け方が原因となった私の中での『混乱』でした。

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