ツィッタウ狭軌鉄道訪問記その1

前回投稿したムスカウ森林鉄道の前日にここを訪れました。ここは1890年に開業した750mmゲージの狭軌鉄道で1996SOEG(Sachsisch-Oberlausizer Eisenbahngesellschaft)

ザクセンのオーバーラウジッツアー地域鉄道協会とでもいうのでしょうか、民間団体によって運行されています。ツィッタウ狭軌鉄道というのは通称で、もらったパンフレットの表紙にはこの名前が入っています。この鉄道の訪問記は2005年から2006年にかけて旧掲示板の「おじん2人ヨーロッパ軽便4」に書かれています。訪問されたのは1993年とのこと、当時はドイツ統一から間がない時なので、いろんな面で不便、御苦労あったことと思います。

7月1日フィフテルベルグ鉄道を訪問後ケムニッツからドレスデンを素通りしてツィッタウまで行きました。この時期日が長く、到着した19時ではまだ日は高かったのですが、あたりには歩いている人はおらず、はるばる国境まで来たという感じがします。(この町はチェコとポーランドに国境を接しており、チェコ行きの国際列車が1時間に1本程度運行している。)翌朝駅に荷物を預け、837発の始発でベルツドルフに向かうことにしました。早めに行ったので車庫から駅前広場を横切るシーンを撮ろうとしていたのですが、肝心のSLが見当たりません。同じようにカメラを持っていたおっさんに聞くと、SLの調子が悪く、修理工場のあるベルツドルフで修理中だとのことでした。代わりにDCが客車を引っ張って発車しました。

SOEGの目玉はヨンドルフとオイビンの分岐駅であるベルツドルフでのSL同時発車です。この始発のヨンドルフ行きがベルツドルフで20分余り停車し、二番列車のオイビン行きが追い付いてベルツドルフで2方向に同時に出発するのです。夏ダイヤでは一日に4回この光景が見られます。ところが始発列車がDCに代ったため、朝一番の931の同時発車はDCとSLの組み合わせという全く締まらないものになってしまいました。

ヨンドルフ、オイビンから戻ってくる列車は下り坂で、逆向きのため、あまり面白くありません。次のオイビン行きで終点まで行き、ロケハンしましたが、歩いていけるところで撮影できそうなところは見当たりませんでした。

終点のオイビンはあたりに何もない殺風景なところ、そのまま折り返してベルツドルフで11:31発の同時発車をねらうことにしました。この駅の構内は分岐する線路の間に信号所があり、写真の向かって右側に三脚を立てました。先にこの駅始発のヨンドルフ行きが待っており、ツィッタウから来たオイビン行きがホームに入ってきます。SLの頭が揃うのかと思っていたところオイビン行きはずっと進んで信号所の近くまで来てしまいます。これでは発車しても並走のシーンは撮れそうにありません。あわてて信号所の反対側に移動しました。

発車はまず少し後ろに停まっていたヨンドルフ行きが出発してオイビン行きと並ぶ手前でオイビン行きが発車します。このタイミングは注意して合わしているらしく、信号所付近で機関車の頭が揃うところが撮れました。

雨が降ってきたため撮影は一時中断、駅近くのレストラン兼ホテルで昼食を取ることにしました。ここはカウンターの周りに線路が敷かれており、注文した料理が貨車に乗って運ばれてきます。余談ですが先日ツィッタウ狭軌鉄道のウェブサイトを見ているとこのホテルがリンクされているのを発見、オンラインでの予約も可能なようです。ホテルの部屋からはベルツドルフの駅が見渡せるはずで、次回行く機会あればぜひ泊まりたいと思っています。

次の同時発車は13:31分、今度は信号所の中から撮れないか頼んでみることにしました。実は11:31の発車を取った後、信号所のおっさんが窓から顔を出して「ここから撮れるぞ」みたいなことを言っていたのです。2階に上がってみると先客が1人既にいてカメラを構えていました。信号所の駅側の窓際には机が並べられており、一番端の窓から1人分だけの撮影スペースがあります。私が押し掛けて行ったのでわざわざ机をどけてスペースを確保してくれました。さすがにこの位置からはさえぎるものなく、同時に左右に分かれて走っていくのを写すことができました。但し残念ながら三脚を立てる場所がなく、ビデオと一眼レフを両方操作していたのでシャッター押すタイミングがずれ、ヨンドルフ行きの先頭が切れてしまいました。   礼を言って撤収しかけるとチケットらしきものを出してどうも金を払えと言っているようです。おっさんが小づかい稼ぎに金を取るのかと思っていましたが、チケットにはベルツドルフ駅信号所見学と書いてあり、会社が認めた正式なものだったようです。撮影料は€2.5十分値打ちのあるチケットでした。

 

 

 

 

私と江若鉄道

総本家青信号特派員さまの記事に、当時を思い出して資料をあさってみました。

私も1030日、111日と撮影に行っていました。当時高3で、30日は木曜日、授業が終わって出かけたのか、浜大津駅付近で撮影、111日は三井寺-滋賀の間と最終のサヨナラ列車を浜大津で撮影していました。沿線風景もなくお見せできるような写真はありませんので、江若鉄道にちなんだグッズを紹介させていただこうと思います。

廃線の日から何日か経ったある日、父が大きな紙包みを持って帰ってきました。何かと思って開けてみると、江若鉄道のサボと三井寺下駅?にあった「危険品ご注意」の看板、それに乗車券が何枚か入っていました。父の知り合いに江若鉄道の本社の事務の方がいて、私が鉄道趣味だということを知ってくれたのです。

サボは写真の3種類、1枚は総本家青信号特派員さまも「江若あれこれ話しその1」で触れられている快速「ひら号」、裏面が、冬のスキーシーズンに同様に運転された快速「マキノ号」、もう1枚はただの快速となっていますので、朝の浜大津行き、夕方の近江今津行き各1本定期運行されていた(廃止時)快速に使われていたものと思います。

危険ご注意の看板は上に鎖、または針金でぶら下げるようになっているので、改札口の上にあったのではないかと思います。

また、切符はいろいろありましたが、面白いものをあげてみました。上段左は当時の国鉄との連絡切符、江若は昭和22年から40年まで膳所駅に乗り入れしていましたが、本数少なく、この切符の連絡は大津駅、徒歩で15分程度かかる離れた駅を連絡する切符でした。上段右は、普通の硬券ですがよく見ていただくと運賃20円と書いた上に運賃変更のスタンプが押してあります。日付は昭和441026日となっており、いつから運賃改定されたのか分かりませんが、昭和424月の時刻表見ると既にこの区間運賃は30円となっていて2年以上経っているのにまだ以前印刷したものが残っていたのです。

左中、下段は京阪との連絡切符で、これは浜大津の駅が京阪、江若で隣接しているため、本来の形かと思いますが、近江木戸は快速も止まらない駅で、わざわざ大阪からの連絡切符を作るような需要があったとは思えません。また、右中、下段は駅名が記入できるようになっているのですが、本来は中段の形で、堅田駅に常備されていて、発売の際に行き先をスタンプ、または手書きで書いたと思われますが、下段のものはどの駅に置いてあったのでしょうか?

今回のイベント案内いただき、久しぶりに私の青春時代も思い出させてくれました。最後に廃止翌日の新聞の切り抜きを添付しました。当日楽しみにしております。

ムスカウ森林鉄道訪問記

初めて投稿させていただきます。諸先輩方の投稿、毎日楽しみにしており、私も何か投稿したいと思っていたのですが、皆様方のレベルの高い内容に見合うものがなく、月日が経ってしまいました。今年3月で退職し、自由な時間もでき、6月終わりから7月にかけて8日間、ドイツの旧東ドイツザクセン地方の狭軌SL鉄道を訪問してきましたので、恥ずかしながら思い切って記事にしてみました。今回の旅行の一番の目的はムスカウ森林鉄道(以下WEMと略)を訪問することで、まずはこれから紹介させていただこうと思います。
ドレスデンから東に2時間余り行ったヴァイスヴァッサーという町から、ポーランドとの国境にあるバドムスカウと、クロムラウという町への2系統の路線があり、観光路線として今年の場合、422~103日までの間、週末の土日、78月には加えて木金曜日にも運転され、その中で主に月初めの土日だけがSLの運転日、それ以外はDLの運転となります。SLが見られるのは特別のイベント日を含め今年は18日間のみの運転となります。7月は23日の土日に運転されこれに合わせて訪問したわけです。

WEM600mmゲージで、ヴァイスヴァッサー周辺に点在する工場に資材を運ぶため、1895年に設立されました。19783月に廃止され、車両は売却、線路も撤去されましたが、1984年に愛好家が保存に乗り出し、まず、ヴァイスヴァッサー付近の300mの線路を使い、ディーゼル機関車による運行を始めました。その後、徐々に路線を延長、1995年のWEM百周年にヴァイスヴァッサーとバドムスカウの間を復活、さらに静態保存されていた1918年製99-3317号を復元し観光路線として再開しました。その後、1998年に1912年製99-3312号を加え、現在は、この2台のSLと数台(3台?)のディーゼル機関車が運行され、さらに2台のSLが保存されています。

私がここを知ったのは今から34年前のこと、勤めていた硝子会社から硝子製造機械のプラント建設で当時東ドイツであったヴァイスヴァッサーに行った時のことでした。ホテルはバドムスカウにあり、工場への行き帰りの車の中から、並行する線路に小さなSLが走っているのを見つけたのです。当時は共産党政権下で、ポーランドとの国境に近いこのあたりでは、我々資本主義者はいつも当局の監視のもとにあって、とても写真を撮れる環境ではありませんでした。2か月余りの滞在の後帰国しましたが、どうもその後もこの小さなSLの存在が気になっていました。それから20数年後、何がきっかけだったのかは忘れましたが、ウェブサイトでこの鉄道のHPを発見、それ以来何とか機会を見ては訪問したいと思いながら、やっと今回その夢が果たせました。

訪れた73日はあいにくの雨、日本の猛暑が恋しくなるような肌寒い天気でした。駅から10分ほどのところにあるWEMの駅は発車の20分前なのに人影はまばらです。雨のせいかと思っていると、駐車場にバスが入ってきてぞろぞろ人が降りてきて、10:00発のバドムスカウ行きは30人くらいが乗りこみました。

ヴァイスヴァッサーで発車を待つ99-3312号

ク繝・?ラウ行き99-3317

 

途中5つの駅に停まりますが、乗り降りする人は無く、森の中を走り、35分で終点のバドムスカウに到着。ここは周りに何もなく、水を補給して機廻しし、10分ほどで出発します。ここから歩いて20分位のところに、世界遺産の城がありますが、雨も激しくなり、全員がそのまま乗車したようです。この後も雨は止まず、めげてしまって沿線からの撮影はあきらめ、駅付近で発車の様子を撮るだけになってしまいました。

バドムスカウ終点

バドムスカウで水の補給する99-3312号

二便、三便のバドムスカウ行き、クロムラウ行きはほとんど乗る人がなく、この鉄道は、ボランティアによって運営されているので、採算は関係ないのかもしれませんが、100年前の車両が現役で走るという貴重なものなのに少しさびしい気がしました。

このほかこの時のドイツ旅行ではチタウ狭軌鉄道、フィヒテルベルグ鉄道を訪問、その後1011日から20日までドイツを再訪、ハルツ狭軌鉄道、モリー鉄道などを訪れました。また、機会があれば発表させていただきたいと思います。