大阪市営地下鉄80周年イベント

先日、スルッとKANSAIの3dayチケットというのを買って今日はその2回目、今までなじみのなかった南海沿線に行って来ました。淀屋橋から難波に行く地下鉄の中吊りで大阪地下鉄80年のイベントがあり、その中に今日から中之島の大阪市役所玄関前に地下鉄旧100形が展示されると書いてあったので、帰りに寄ってみました。この車両は大阪地下鉄開業当時に使用された100形車両の内の1台で、昭和44年に現役を退いた後、105号車のみが静態保存されています。2005年に大阪市指定有形文化財に指定され、住之江にある緑木検車場に置かれて、イベントの折には一般公開されているようです。今回大阪地下鉄80年のイベントに合わせ、4月27日の夜にトレーラーで運ばれ、市役所の正面にすえつけられました。同時に市役所ロビーではパネル展も行なわれていますので、お近くに行かれた際に、寄ってみられたらいかがでしょうか。但し、展示は車体だけで、台車の代わりに台の上に置かれているのはちょっと興ざめですが・・・

車両の展示は今日から5月24日まで、パネル展は4月15日~5月17日の9:00~17:30となっています。IMG_3888 IMG_3891

台湾五分車のたび(その2)

虎尾を訪問した2日後、この日も早起きして午前中烏樹林休閒園区に行った後、新営鉄道文化園に行きました。この2箇所はいずれも最寄の駅は新営で、ここ新営鉄道文化園は台鉄の駅から歩いて10分ほどの場所にあって、観光糖廠の中では一番行きやすい所ではないでしょうか。img272e台鉄の線路を左に見て歩いていくとヤードがあり、そのまま糖廠へと続いていきます。五分車乗り場の横にある芝生には1979年まで使われていた350号、382号の2台のSLとDLも並べられています。 続きを読む

石坂線を走る800形

好天に誘われ、琵琶湖疏水に満開の桜の写真を撮りに行きました。疎水を渡る橋で撮影していると、道路の突き当りの京阪石坂線踏み切りを800形が横切るのが見えました。800形は京津線での運行ですが、時折、錦織車庫への回送があり、浜大津、近江神宮前間を走ることがあります。以前にも何度か見かけたことがあったものの、撮影できたことがありませんでした。今日はカメラを構えていたので、いそいで橋の反対側に行き、三井寺駅の手前の疎水を渡る橋のところで撮ったのがこの写真です。IMG_3718e1三井寺駅と浜大津間の併用軌道を走るのも撮りたかったのですが、回送のため三井寺駅には止まらず、追いかけたところ、浜大津交差点の信号待ちで止まっていた後姿を撮ることができました。IMG_3724e疎水を渡る風景、三井寺手前のS字カーブの併用軌道を走る風景も、800形には一風変っていて面白いので投稿させてもらいました。この回送は不定期でどの程度の頻度があるのか分かりませんが、今まで遭遇したのは浜大津付近で、近江神宮方向が15時30分ころ、逆が15時15分ころと決まっているようです。この回送の目的、運用ご存知の方ありましたらお教えください。

台湾五分車のたび(その1)

3月14日から21日まで台湾に行ってまいりました。台湾は仕事では何度か行ったのですが、観光はなく、空港から工場のあった台中へはバスで直接移動、そのため台湾の鉄道は全く無縁でした。2009年に行かれたぶんしゅう先輩の台糖のナローゲージ、また昨年諸先輩方が投稿された台湾のレポートに触発され、中でも台湾で唯一現役稼動している虎尾糖廠を訪問したいと思いました。今回虎尾糖廠に加え、観光化された台糖新営鉄道文化園区、渓湖糖廠鉄道文化園区、烏樹林休閒園区を訪問しましたが、まだデジ青で発表されていないのではないかと思われる虎尾と、新営についてレポートさせていただきます。 続きを読む

大津百町大博覧会

地元におりながら報告が遅れてしまいましたが、先に総本家青信号特派員さまがご紹介されたように、先週土曜日より旧大津公会堂3階ホールにて西村先輩が製作され、一昨年の江若イベントで披露された江若鉄道三井寺下駅の情景、昨年の大津線100年イベントで披露された昭和40年代の浜大津周辺の情景のジオラマが一挙に展示されています。

手前が浜大津の情景、奥が江若鉄道三井寺下駅

手前が浜大津の情景、奥が江若鉄道三井寺下駅

これは大津歴史博物館が開催している大津百町大博覧会の一環として行なわれているもので、以前のイベントの時に出された江若鉄道の写真の他にも、歴史博物館所蔵の地図、写真が展示されています。また、この会場では見学に来た人が思い出をメモに書いて展示物の横に置けるようになっていて、ジオラマの周りにも当時のことを思い出しましたなどのコメントがつけられていました。

江若鉄道三井寺下駅

江若鉄道三井寺下駅

会期は4月14日までの月曜を除く9時~17時です。前回見逃された方は、両方を一度に見られるチャンスですので、ぜひお越しください。

北海道のたび

1月31日から2月4日まで北海道に行ってまいりました。北海道には学生時代に夏、冬各1回、その後家族旅行で足を踏み入れたものの、それからもう20年以上経ってしまいました。今回行くにあたり、一番の目的は釧路湿原を走るSL湿原号を撮ること、それに函館、札幌の市電の撮影など、雪の風景と一緒に北海道の冬を実感してみたいと思いました。

函館市電と摩周丸

函館空港から湯の川までバスで行き、湯の川で市電の1日乗車券を購入、途中下車しながら函館駅まで行きました。1992年1993年の一部廃止で系統は2番,5番の2系統に減りましたが、この2系統が夜間を除き12分毎に運行しており、両系統が重複する湯の川と十字街の間は6分ヘッドで頻繁に来る感じがします。但し、2009年の時刻表を見ると10分毎の運行になっていて、こ2,3年で減便されたようです。それでも車内は立ち客も多く、特に五稜郭公園から函館駅の間は地元客の利用が多く、函館駅から西の区間では観光客の利用が多いように見受けられました。現在走っている車両で一番古いものは1948~50年に製造された500形で、これを撮りたかったのですが、残念ながら撮影できず、1両だけある800形を撮影することができました。五稜郭公園にて

五稜郭公園にて

最近は広告のラッピングされた車両の多い中、広告のない旧塗装で、やはりこの塗装が函館の町にはしっくりときます。 続きを読む

東欧のたび(その3)

タトラ山をめぐる鉄道

ポーランドのポズナンからはスロバキアのタトラ山に向かいました。ポズナンからポプラドタトリまでは500kmくらいですが、もちろん直通の列車などはなく、15時からの移動ではその日のうちに着きません。とりあえず、ブロツアフまで移動して1泊することにしていました。移動で初めての町に行く場合、暗くなるとホテルを探すのにも困るのでこの季節、18時には目的地に着くようにしています。ところが、乗った列車は原因不明で、1時間余り遅れ、おまけにコンパートメントの照明がつかず、真っ暗な中でいつ着くのかわからず、不安な思いをしました。

翌朝ブロツアフからスロバキアへの移動は一旦チェコに入り、4回の乗換えをして、9時間の行程、乗り継ぎ時間は15分というところもあり今回の旅程の中で一番の難関です。ブロツアフから1時間ほど行ったオポーレからはローカル線で、旧型の電車が走っています。各駅停車でスピードはせいぜい60kmくらいかと思われますが、路盤が悪いのも相まって、すさまじい振動です。

ボフミンで乗り換えたチェコの列車

これが終点のボフミンからチェコに入るとなめらかな走りになり、車両もきれい、またポーランドではパスを見せると、不思議そうに眺め回して、本来押すべきスタンプを押してくれなかったのが、ここではすぐにスタンプを押してくれた上、「スロバキアに行くのか?それならトリネッツで乗換えだ」と親切に言ってくれます。途中遅れのため気をもみましたが、何とか3度の乗換えをしてスロバキアに入りました。 続きを読む

東欧のたび(その2)

ヴォルシチンのSL

ヴァイスヴァッサーで軽便を堪能した後、次に訪れたのはポーランドのボズナンです。ベルリンからインターシティーで3時間足らずで行くことができます。この町から西に80kmはなれたヴォルシチンに機関庫があり、ここを基点に2004年ごろまでは1日に区間運転も入れて10往復ほどのSLが走っていました。2005年からは2方向3往復に減り、昨年は一時的に5往復になったものの、今年の運行はポズナンとヴォルシチンの間で2往復のみになっています。まずポズナンに14:54に到着する列車を駅で待ち受けることにしました。

ポズナン駅に進入

ポズナンの駅は大改造中で一部の線路は新しい駅側で運行を始めていますが、ヴォルシチンへの路線は旧駅側に入り、3aというはずれのホームに入ります。しばらく待っていると遠くから汽笛が聞こえ、OL49型のSLが2両の客車を引いてやってきました。OL49型は2-6-2の車輪配置で1750mmの動輪を持った堂々たる機関車です。まずは実際にSLが走っていることが確認できて一安心、列車からはぱらぱらと乗客が降りてきますが、同業者らしいのは見かけませんでした。

ポズナンを発車するOL49型

翌朝のポズナン発車は9:15、昨日と同じホームをぞろぞろと人が歩いて行くものの、隣の電車の乗客と、駅の勤務者でしょうかそのままホームを通り過ぎる人が多く、ヴォルシチン行きに乗ったのはわずかで、一番前のボックス席を占領しました。久しぶりのSL列車の乗車、煙の匂いと蒸気の音に少し興奮しました。ポズナンは大きな駅で次のPoznan Debiecまではいくつもポイントを越えて、ゆっくりと走ります。3つ目のWiry あたりからポーランドらしい草原が線路の両側に広がります。40分ほど走ったSteszewで結構な乗車があり、私のボックスにも人が乗ってきました。1時間あまりたったGrodzisk wikpでも多くの乗り降りがあり、ほぼ席が埋まるような状態でヴォルシチンへと進みます。沿線はなだらかな起伏のある草原が続き、途中、草原に三脚を立てている同業者を3人見かけました。ヴォルシチンの手前で大きく右にカーブすると機関区が見えてきて程なく終着のヴォルシチンに到着しました。

ヴォルシチンに停車中のOL49

駅から機関区までは歩いて10分くらい、途中道沿いに赤錆の出た廃車群が並んでいます。

機関区の入り口には英語とポーランド語で機関庫の紹介と、5月の初めにパレードがあり多くのレールファンが集まるなどを書いた看板が立っています。これを読んでいると、制服を着た男が中に入れと手招きします。本によると入場料がいるらしいので入り口はどこかと聞くと、「俺について来い、どこで写真をとってもいいぞ」みたいなことを言っているようです。お言葉に甘えて、中に入り転車台の周りで写真を撮っていました。

しばらくするとまたさっきの男がやってきて、ついて来いと言います。男はそのまま建物の中に入り、更衣室のような部屋のロッカーを開けて、ポーランド国鉄の帽子を取り出して、60ズローチで買わないかと言います。どうみても個人のロッカーにあり、官給品を横流ししているような感じです。また、DVDを取り出して、これも60ズローチで買わないかと言ってきます。あわせて3000円程度、高いと思いましたが、実は行きの車内の検札で、持っていたヨーロッパイーストパスを見せると、車掌がこれは使えないと言ったのを、そんなことはないと突っぱねると、車掌は言葉の通じないのもあってあきらめて行ってしまいました。駅で降りて確認すると、この路線は国鉄から分離された第三セクターのようなもので、やはりパスは使えないらしいということがわかりました。この罪滅ぼしもあって、言値で買いましたが、半額でと言ってもいけそうな感じでした。

機関区の入り口

機関区は小規模ですが8線ある扇形庫と転車台、詰所などが一通りそろっています。石炭はクレーンのバケットでつかんで積み込みます。機関区の中は勝手にどこに入っても良く、何も言われません。1時間ほどの間、ゆっくりと写真を撮りました。最後に、博物館と書いてあるところに入ると5ズローチの入場料をとられましたが、そこには特に博物館らしい展示はなく、これがどうも、機関区への入場料だったようです。尚、扇形庫の中には動かせる状態の機関車が少なくとも3台はあり、外で煙を上げている2台を合わせて、5台の稼動が確認できました。

Ty-1型青色のクレーンで給炭する

見学を終えて、駅に戻ろうとすると、帽子とDVDを売りつけた男が機関車の運転台にいて、「ポズナンまで帰るのか?ポズナンまで200ズローチ(5000円程度)出せば運転席に添乗させてやる」と言うのです。機関区の中で運転席に乗せてくれるというのは本にも書いてありましたが、まさか実際の運行で添乗までできるとは思いませんでした。持ち合わせもなく断りましたが、この男、次のポズナン行きの機関士で、ヴォルシチンの駅で乗る前に機関車の写真を撮っていると、また声をかけてきて100ズローチにするけれどどうかと言ってきました。結局断ったものの、後から考えるとちょっと乗ってみるのも良い経験だったかと後悔しました。

ヴォルシチンのSLは風前の灯かと思っていましたが、当面運行は続けられるようで、ヨーロッパで唯一、定期路線で大型SLが走るこの場所はもう一度訪れる価値がありそうです。

江若鉄道全駅スケッチ

今日の毎日新聞滋賀版にこんな記事が出ていました。11月3日には62枚全部のスケッチが見られますが、それ以外に13日~30日は各駅1枚のスケッチが見られるそうです。11月3日は浜大津のイベント、京阪錦織車庫のイベントがあり、少し遠いですが、この時期に行われるのも何かの縁、いかがなものでしょうか。

東欧のたび(その1)

10月12日より29日まで東欧に出かけきました。7月ごろから計画、手配していたため日程変更ができず、10月14日前後にはいろいろイベントがあったのに参加、お手伝いできず申し訳ありませんでした。

今回の目的は昨年行ったムスカウ森林鉄道で国際狭軌鉄道会議と言うのが開催され、10月14日にパレードがあるというのを知り、これを見に行く事、次にポーランドのポズナン近くに定期路線として走っているSLがだんだん縮小されもう1路線2往復しか走っていないとのことで、廃止までに一度見ておきたかった事。それにポーランド、スロバキアのローカル線に乗ってみたい、加えていろんなところに点在するトラムも訪問したいと今回も盛りだくさんの予定となりました。

国際軽便鉄道会議

国際狭軌鉄道会議の開催を知ったのは、ムスカウ森林鉄道のHPからです。かなり以前から載っていましたが、英語に翻訳されているのは開催されると言う事だけで、詳細のページはドイツ語しかありません。他のHPを検索してもムスカウ森林鉄道のHP参照となっているだけで、その開催母体も良くわかりませんでした。仕方なく30数年前のドイツ語の辞書を引っ張り出し読んだところ、10月14日がメインの日で、車両のパレードと、乗車体験があると言う事がなんとかわかりました。また英語訳では狭軌鉄道となっていたのが実は軽便鉄道の意味だったと言う事もわかりました。参加は登録制になっていましたが、単に撮影だけならかまわないだろうとぶっつけで行ってみることにしました。10月12日朝伊丹から成田経由でパリに行きパリで乗り換えまずはドイツのベルリンに入りました。翌日の午後、近くのコトブスに宿を取り、14日の日程がどうなっているのか開催地のヴァイスヴァッサーに行ってみました。昨年も行った森林鉄道の駅に行くと、駅はひっそりしていますが、周りの駐車場はいっぱい、キャンピングカーも留まっていて去年とは少し雰囲気が違います。少し歩いて博物館の方に行くと確かに22回国際軽便鉄道会議の標識が出ていて、名札をつけた人がいます。明日はどんな予定になっていると聞くとスケジュール表をくれました。これによると10時からパレードがあり、午後は13:20にバドムスカウ行き13:30にクロムラァウ行きのSL列車が運行されるとのこと、それだけ確認できればいいので宿に戻りました。翌日10月14日9時半に再び会場に行くと駅にはいっぱいの人が集まっていて、駅からバドムスカウ方面に列車が発車していきます。メイン会場は駅から少し離れた博物館のあたりで、そこにはさらに多くの人が集まっています。パレードが10時から始まることはわかったものの、どのような形になるのか見当がつきません。とりあえず、見通しのきく直線部分でカメラを構えて待ちました。何かアナウンスがあって、バドムスカウ方面からムスカウ森林鉄道の99 3312-8号が1両の客車と2両の貨車を引いてやってきます。

ムスカウ森林鉄道99 3312-8号

続いてチェコからやってきた99 3311号、ムスカウ森林鉄道の993317-7、ドイツビーレフェ

チェコから来た99 3311号

ルト近くにあるミューレンストロース狭軌鉄道の99 3462号と4台のSL列車がやって来ました。これに続いて様々な車両がやって来ます。

 

合計26種類の車両が2,3分おきにやってくる。これがパレードだったのです。内容は聞き取れませんが、列車が来るたびに車両の紹介がされます。車両はムスカウ森林鉄道のものが10種類、その他ドイツ国内はもとより、チェコ、フランス、イスラエルから来た車両もあるようです。

中にはロータリー式の除雪車のような珍品、バイク、自転車まであったのはご愛嬌でしょうか。もちろんどれもムスカウ森林鉄道と同じ600mmゲージのものです。パレードが終わった車両は、駅に集結、それなりに広い構内も車両で埋め尽くされました。その中でも主役はやはり4両のSLでしょうか。撮影会のために4両のSLが並べられ、一斉に汽笛と蒸気を吹き上げます。

一斉に蒸気を吹き上げる4台のSL

思い思いに撮影をした後、参加者全員で記念撮影があります。私もその中に紛れ込みましたが、参加者には東洋人らしいのは見当たりませんでした。

思い思いに撮影する参加者

参加者は昼食の後2班に別れてバドムスカウ行き、クロムラァウ行きの旅客列車で往復します。もちろん私はこれには参加できないので、この2本の列車を沿線で撮影しました。10時から2時頃までなかなか内容の濃い時間を過ごさせてもらいました。

クロムラァゥ行き旅客列車

ところでこの国際軽便鉄道会議の母体がどうなっているのか、もう一歩わからなかったのですが、どうもフランクフルトにある軽便鉄道博物館が中心となっているようです。ここのHP(http://www.feldbahn-ffm.de/feldbahntreffen.html)を見ると過去の開催地が出ています。第一回は1991年にフランクフルト軽便鉄道博物館で開催され、その後主にドイツ中心で行われていますが、オーストリア、フランス、オランダ、デンマークでも開催され、一昨年はルーマニアで行われています。規模としては全ヨーロッパ規模になっているようです。また、来年はドイツのケムニッツで10月11~13日に開催されることが決定しています。昨年ムスカウ森林鉄道を訪問したときは雨にたたられ満足な写真が撮れない事もあって、再訪したいと思っていた折、この開催を知り、ちょうどよい機会だと思い参加しましたが、なかなか面白い経験をさせてもらいました。またチャンスがあればこの開催に合わせて今度は正式登録した上での参加をしてみたいと思います。

 

京阪本線特急色600形車両の運行

大津線開業100周年記念イベントのひとつとして今日から石坂線600形を、京阪本線特急色に変えた1編成が運行始めました。また10月27日には「京阪本線特急色600型車両」臨時列車及び撮影会が行われます。詳しくは京阪大津線のサイトをご覧ください。今日は朝から快晴で、先日購入したカメラの初撮りを兼ねて出かけました。今日から運行されると言うことはwebで知ったのですが運用がどこにも書いていません。仕方なく電車が見える、島ノ関駅近くのファミレスで昼食をとりながら待ちました。運行は石山寺-坂本間ということで、最悪40分待てば石山寺行き、坂本行きのどちらかを捕まえることができます。待つこと30分、特急色の車両がやってきました。石坂線でも最近はラッピングした車両が多く、何も貼られていない車両は少数派になっています。久しぶりの特急色、塗装したばかりでラッピングも広告もない車両はやっぱりきれいですね。

時刻が特定できたので時刻表を見て運用を想像し、浜大津から近江神宮にかけて歩きながら写真を撮りました。浜大津ではこれを狙っているのかカメラを持った人が数名いて撮影しています。最近は曜日に関係なくこのあたりでカメラを構えている人を見かけるようになりました。地元民として乗客の増加につながればと思っています。

尚参考のため今日の運行確認できたのは浜大津発13:30近江神宮行き、13:54石山寺行き、14:38坂本行き、15:16石山寺行きでした。京津線ですが1969年ポール時代の300系特急色の写真も添えておきました。

サークルステーションIN三条

 本日京阪三条駅にて行われた「サークルステーションIN三条」に行ってまいりました。会場でお会いした米手作市様より、デジ青に様子をアップするようにとのご依頼で報告させていただきます。

 

地下コンコースの一角にグリークラブ等が順に発表するステージがあり、その奥のスペースに9mmゲージのレイアウトが置かれています。京阪の車両が走行し、コントローラーも解放され、子どもたちも運転を楽しみ、ステージの発表に負けず劣らず人が集まっていました。一角ではビデオが上映され、先日受賞された「学生支援センター所長 地域貢献賞」の盾も置かれていました。

  この受賞もあって今回のイベント出展依頼が来たそうです。また、10月12~14日には船場祭り2012にも出展するそうで、これからますます鉄道趣味を通しての地域への貢献という活躍が期待されます。乙訓の老人様もお見えになり、同じく10月14日に南草津で行われる佐竹先輩の講演会の案内を渡され、現役会員とOBとのコラボもあった今日のイベントでした。

アメリカ鉄道のたび(その6)

グランドキャニオン鉄道

3日間滞在したデュランゴから空路フェニックス経由フラッグスタッフに行きました。フラッグスタッフはルート66が通る町、最近では水泳の北島はじめ、高地トレーニングの合宿の町としても知られています。NO2でも少し触れたように、当初はグランドキャニオン鉄道でグランドキャニオンに行くつもりだったのですが、アムトラックとの連絡切符の予約ができず、またアムトラックの連絡駅であるウイリアムズジャンクションは無人駅で、列車が遅れた場合ここで長い間待つのも嫌なので、グランドキャニオンへの往復をフラッグスタッフからのシャトルバスを使うことにしました。

フラッグスタッフのホテルに入ってまず、アムトラックの駅に行きました。この駅に止まる旅客列車はシカゴとロスアンゼルスを結ぶ、サウスウエストチーフ号の1往復だけですが、貨物列車は頻繁に通り、通過の際、踏み切りは長い間遮断機が降りて渋滞します。駅は昔ながらの建物で、半分以上が観光案内所として使われ、アムトラックの方が間借りしているような感じですが、朝5時から23時まで駅員がいて、切符の購入もできます。

フラッグスタッフ駅(前の通りがルート66です)

結果的にこの駅から乗車したのは正解で、その日の晩乗ったサウスウエストチーフ号の到着は2時間半遅れましたが、駅員がおおよその到着時刻を案内してくれたので、その間駅前でビールを飲み、食事して退屈せずに待つことができました。

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アメリカ鉄道のたび(その5)デュランゴシルバートン鉄道

デュランゴシルバートン鉄道はアニマス川沿いの渓谷を走る景色が人気で標高1984mのデュランゴから標高2836mのシルバートンまでの72.6kmの区間を3時間半かけて走ります。デュランゴはデンバーと同じコロラド州にあり、デンバー、フェニックス、ダラスからの飛行機便があって、比較的行きやすい場所にあります。このため、この鉄道の乗車をコースに入れている日本の一般ツアーもあり、恐らく日本でも一番知られた保存観光鉄道ではないでしょうか。この鉄道はシルバートンで発見された銀鉱のためのもので、1882年にデンバーまでの鉄道が開通しました。その後、鉱山の閉鎖とともに鉄道も一時期廃止されましたが、1940年代に銀に変わってウラン鉱石の精錬のために再開され、1960年代には国の歴史遺産に登録されたこともあって、観光鉄道に姿を変えて運行が続けられました。ある時期にはハリウッドがこの鉄道に目をつけ、いくつかの映画がここを舞台に作られました。「80日間世界一周」の映画も一部のシーンがここで撮られたそうです。

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アメリカ鉄道のたび(その4)デンバー2

コロラド鉄道博物館

この博物館はデンバー郊外のゴールデンという町にあります。前回の投稿で紹介したRTDのトリッププランナーに出ており、デンバーのダウンタウンからは直通はないものの、1度乗り換えるだけで、約1時間でいけるバス路線があります。これはいいと時刻を見るとなんと土日は運休になっています。距離が結構あってタクシーでいくらかかるか心配だったのですが、デンバー近郊タクシー料金検索と言うサイトを発見、検索すると$32とのこと、これならまあいいかとダウンタウンからタクシーで出かけることにしました。

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アメリカ鉄道のたび(その3)デンバー1

デンバーを訪れた一番の目的はビッグボーイのあるフォーニー博物館に行くことだったのですが、数年前に博物館が改築されて、ビッグボーイは室内展示になり、写真が撮りにくくなったということを聞いていました。ただ、デンバーにはトラムも走り、郊外にはグースが走るコロラド博物館などの見所があります。2泊して駆け足でしたがこれらを回りました。

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アメリカ鉄道のたび(その2)アムトラック

 アムトラックの予約は時刻表の検索とともにインターネットで簡単にできます。チケットは駅員のいるところ、またはQuik-Trakと呼ぶ発券機のある駅から乗車する場合は予約票をプリントアウトすれば発券できるのですが、駅員も機械もない駅からの乗車の場合はチケットが郵送または、宅配便のようなもので送られます。ところが、これはアメリカ国内とカナダにしか対応しておらず、海外からは購入できないので注意が必要です。私もグランドキャニオンからロスアンゼルスまでの切符を購入しようとしたところ、グランドキャニオンの連絡バス、グランドキャニオン鉄道の駅の両方共駅員も機械もないため購入できず、駅員のいるフラッグスタッフからの乗車にして何とか購入できました。プリントアウトした予約票のバーコード部分を、駅においてあるQuik-Trakの読み取り機部にかざすとチケットが印刷されて出てきます。

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アメリカ鉄道の旅(その1)

6月5日から19日までの2週間アメリカの中西部に行ってきました。

この旅行の主な目的は3つ、アムトラックに乗って大陸横断鉄道の雰囲気を味わってみたい、SL保存鉄道を訪問したい。世界最大といわれるBIG BOYを見たい。これに加えていくつかの博物館を訪問したいと言うことでした。ところがアメリカの場合、公共交通の面で制限があります。アメリカはご存知の通り車社会で移動はフライ&ドライブという、空港でレンタカー借りて旅行するのが一般的です。アメリカの都市部をレンタカーで走る自信はありませんので、レンタカーでの移動は田舎に限り、それ以外は公共の交通機関が使えるところと言うことで計画を立てました。その結果BIG BOYを見るのに比較的アクセスしやすいデンバーを選び、サンフランシスコからアムトラックのカリフォルニアゼファーでデンバーまで移動、そこから飛行機でデュランゴに飛び、デュランゴでレンタカー借りて、デュランゴシルバートン鉄道を訪問。また折角アメリカにいくのなら一度見てみたかったグランドキャニオンを入れ、この移動にフラッグスタッフからロサンゼルスまでサウスウエストチーフを使い、ロスアンゼルスからサンフランシスコに戻るのにコーストスターライトを入れると言う盛りだくさんな計画となりました。

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浜大津貨物線の思い出

先日の藤本様の投稿「昭和40年ころの浜大津界隈(3)」の最後のほうに、浜大津貨物線の86の写真があり、懐かしくなって、古いネガを探してみました。浜大津貨物線はご存知の通り、江若鉄道廃止と同時に廃止されましたが、最後まで8620が貨車を引っ張って膳所と浜大津の間を走っていました。湖岸側が3線区間となっており、もともと国鉄の線路に当時の大津電車軌道が第三レールを引いて営業したものですから、貨物が通るときはこの区間が閉塞区間となって浜大津から石山寺方面の電車はしばらく間隔があきました。この写真はいずれも196811月、丁度廃止の1年前に撮った物で、湖岸道路側から撮った写真にはこの年開催したびわこ博の看板が出ており、現在西武百貨店やマンションが立ち並ぶにおの浜一帯はこの時に埋め立てられたものです。また、このあたりの湖岸道路は確かまだ片側1車線で、湖岸通りより北側には1966年に開業した京阪レークセンターがありました。

私の自宅は大津駅の裏、山手のほうですが、夜になるといつも梅小路へ帰って行く汽笛の音が聞こえてきました。当時、ラジオのベストヒット番組が始まった頃で「9500万人のポピュラーリクエスト」(この当時人口が9500万人だったのでしょうか)を聞いていたときに汽笛が鳴ったような記憶があったので調べてみると、番組は20002100の放送でした。私のハンドルネーム「大津の86」というのは恥ずかしながら、ラジオ番組にリクエスト出していたときの名前で、40数年ぶりまたこの名前を使うこととなりました。

浜大津貨物線の写真は2,3度は撮りに行った記憶がありますし、一度は父の8mmを借りて島の関付近を撮ったように思うのですが、残念ながらここに載せたもの以外はどうも見当たりません。ネガの状態も悪くお見せできるような代物ではないのですが、つい懐かしくなって出させていただきました。

びわこ号の思い出

先日の江若鉄道に続き、今度はびわこ号と、地元民にとって懐かしい話題が続きます。私は大津駅の近くに住んでいますが、小さいころは京都に行くときは大抵の場合京津線を使っていました。昭和40年ころの時刻表を見ると、当時の国鉄は日中1時間に2~3本程度、これに対して京津線は急行、普通が1時間に3本ずつ、急行といっても所要時間は3分しか違いませんから、どちらに乗っても変わりません。また、京都駅周辺は丸物しかなく、買い物、遊びは河原町ですから、利便性からも京津線に軍配があがります。

小学校の遠足となると貸切電車で最寄の上関寺(昭和46年8月廃止)から乗車します。このときに乗ったのがびわこ号、当時はもう通常の運用からは外れていたのではないでしょうか。高校生時代には石坂線で通学していましたが、朝のラッシュ時は錦織車庫に転属になったびわこ号が走っており、ちょうど学校にぎりぎりに着く時間の電車がびわこ号でよく利用しました。石坂線沿線は高校が5つあり、通学時間帯は超満員、乗車駅の島ノ関で乗れずに遅刻したこともたびたびありました。

その当時はSLブームが起こった時代で、地元の旧型電車にはあまり興味がなく、残念ながら地元にいながら、ほとんど写真がなくて、古いネガを見ると錦織車庫で撮った数枚の写真があるだけで走行中の写真は見当たりませんでした。

びわこ号復活の話はうれしいことですが、地元民として残念なのは寝屋川市と京阪がタイアップしてやるとの事、今となっては大津線への乗り入れは不可能となっているものの、来年は大津線100周年でもあり、錦織車庫で復元して大津線で動かしたいところでした。

昭和43年8月錦織車庫にて