日本鉄道賞に広電

そんな賞があったことを知りませんでしたが、中国放送と広電が企画した「被爆電車特別運行プロジェクト」が日本鉄道賞特別賞を受賞したそうです。

平成27年10月8日 中国新聞朝刊

平成27年10月8日 中国新聞朝刊

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しつこく JFEスチール福山専用線

またかという声が聞こえそうですがご容赦を。天気予報では好天のようなので早起きして東福山に向かいました。JFE専用線の列車の少し前に西岡山ターミナル発東福山行き 2753レがDE10に牽かれて到着するので、これも狙おうと7:30頃に待ち受けました。1900生様からもう少し東の池の横はとアドバイスを頂いていましたが、ロケハンする余裕もなく、またJFEが来る時刻が接近しているため、またしてもイージーにお決まりの歩道橋で待ちました。7:44頃結構長いコキを従えてDE10が現われました。

西岡山発東福山行き2753レ DE101188

西岡山発東福山行き2753レ DE101188

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広電関連の小冊子刊行

広島を中心に活発に出版活動を続けておられる長船友則氏が被爆後の広電についての小冊子を刊行されたそうです。長船氏の山陽鉄道や宇品線、広電、呉市電などの充実した内容の多くの著書には大変お世話になっていますが、氏が今までに収集された多くの資料や書籍は広島県立文書館に寄贈されており、自由に閲覧することができます。とりわけ貴重な古写真の絵はがきコレクションは同館のホームページでも見ることができ 大変有難い情報になっています。個人が永年こつこつと蓄積してきた史料が出版されたり、公的な機関でしっかりと管理され、公開されるのは今後のあるべき姿のように思われます。

中国新聞 H27-10-3朝刊

中国新聞 H27-10-3朝刊

JFEスチール福山製鉄所専用線 再訪

去る9月8日に引き続いて、今朝再訪してみました。もともと不定期運行で日に1往復だけですから空振り覚悟で出かけました。この専用線は撮影場所が限られるので 今回は工場の門を出てくるところを俯瞰撮影しようと 山の上に立つ通信用の鉄塔に続く山道を登りました。撮影に適した場所は1ケ所だけでしたが、工場内のヤードや構内を出てトンネルに向かう築堤、鉄橋が一望でき まずまずのポイントでした。時計を見ると7:30。列車は大体8:00頃の出発の筈ですが、門も閉まっていて 車両の動きもありません。あと30分ぐらいは待ってみることにしました。双眼鏡で見ると、ヤードの向こうの建物の陰にDLが1両停まっているのが見えますが、これが今朝動くDLなのかはわかりません。7:42頃になるとこれとは別のDLがヤードに到着し停まりました。すると先に停まっていたDLが動きだし、空のチキ2両を留置線から出発線に押し出しました。どうも今日は走りそうな気配です。

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7:44 手前で入換え中のDLの奥にもう1両のDLが停車中。

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津山扇形機関車庫が活況

旧津山機関区の扇形庫は現存する扇形庫のなかで梅小路に次いで2番目に収容力が大きい(17線)クラとして 経産省の近代化産業遺産、日本の近代化土木遺産、岡山県の近代化遺産に指定されています。ターンテーブルも現役で使われています。そして庫内に保存されている車両も次々と増えています。今回 更にDD16304が加わったようです。昨日の中国新聞井笠・おかやま版に紹介記事がありました。

H27-9-8 中国新聞

H27-9-8 中国新聞

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JFEスチール福山製鉄所専用線のDL

JR山陽本線東福山駅から分岐してJFEスチール福山製鉄所に至る3.8Kmの専用鉄道があります。この存在は以前から知っていましたが、走行写真を撮ったことがありませんでした。最近になってようやくダイヤが判明したため今朝初めて出かけてみました。但し不定期運行のため 空振りに終わることも覚悟で出かけました。しかし普段の行いが良いせいか、ほぼ予想した時刻に走ってくれて 初めて走行写真を撮影することができました。

東福山駅は1966年(S41)に貨物駅として開業し、1979年(S54)に旅客営業が始まった駅です。広い貨物ヤードの端にこの専用線の3線(到着線、機回し線、出発線)があります。最初にこの出発線を覗くと、レール専用のチキが8両 空車で留置されていましたので、多分今日はこの空チキを取りに来るのではないかと期待感がふくらみました。

本年2月に新聞記事の紹介のかたちでこの専用線のことを紹介しましたが、国内のレール生産は新日鉄八幡とここJFE福山の2ケ所です。全世界でも4ケ所でしか生産されていないそうですから、大半は船積みされて輸出されるのですが国内向けはチキに積んで全国に配送されるようです。この専用線の撮影地点は非常に限られます。製鉄所構内を出るとすぐトンネルに入り、トンネルを抜けるとすぐに鉄橋で国道2号線をオーバークロスし、山陽本線に沿って東福山駅に入って行きます。撮影場所はこの山陽線沿いの直線区間しかありません。事前の情報では製鉄所発7:55 東福山着8:05、戻りは東福山発8:20、製鉄所着8:35と聞いていましたので ワクワクしながら待ちました。7:56に 遠くに見える場内信号機が赤から黄に変わったので、これは来るに違いないと待っていると 単機回送がやってきました。

国道2号線を越えてやってきた単機回送DD401

国道2号線を越えてやってきた単機回送DD401

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「さよなら梅小路」に寄せて

総本家青信号特派員氏が梅小路蒸気機関車館の閉館について紹介して頂きました。開館が昭和47年10月10日ですから あれから43年が経とうとしています。特派員氏は社会人1年生、私はDRFC5年生の時でした。実は梅小路の開館には我がDRFCもひと役かっています。と言うのも当時のDRFCには数名の女性会員(今でこそ鉄子と言われますが、DRFCは時代を先取りしていた?!)がいました。どういうルートで話が来たのか判りませんが、開館前日の10月9日には竣工記念セレモニーが行われたようで、そのセレモニーで2名の女性会員が和服姿でテープカットや花束贈呈を行ったのです。そして記念品やパンフレットを頂いています。それらの品は我が家のちょっとした家宝となっていますので ご紹介します。ただ残念ながら当日のスナップ写真等は残っていません。

C57の動輪を模した開館記念品

C57の動輪を模した落成記念品  日付は開館前日の10月9日になっている

 

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広島の暑い夏

旧塗装に塗り直された653号が広島市内を走っています。RCC中国放送と広電がコラボして実施している「被爆電車特別運行プロジェクト」として8月30日までの土曜・日曜に広島駅・西広島駅間を2往復運行されています。この電車に乗るには事前申し込みが必要ですが、1往復あたり定員25名と少なく、明日以降あと10回運行されますが、すべて売り切れです。30日の中国新聞に関連記事がありました。

H27-7-30 中国新聞

H27-7-30 中国新聞

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母が写した葵橋

デジ青を開いて驚きました。湯口氏の京都市電河原町線延伸工事の写真です。実は老母が先月末に92歳で他界し、遺品を整理していましたところ出てきたのが この写真です。母自身が撮影したようです。

京都家庭裁判所前風景

京都家庭裁判所前風景

母は昭和49年から平成8年まで家裁の調停委員を務めていた関係でよく家裁に出入りしていましたので、葵橋を渡って歩いている途中でなぜか撮影したものと思います。撮影年月は判りませんが、プリントの裏に 79FUJICOLOR とあることから 1979年(昭和54年)ではないかと思われます。旧庁舎が取り壊されることを知っていて、記念に撮影したのかもしれませんが、今となっては知るすべがありませんし、ネガもありません。湯口氏ご紹介の写真がまさにこのカーブ地点であり、母自身が撮影したこのひとコマを見つけたばっかりだったので驚いた次第です。もう1枚同時に撮影したと思われる5系統 2602号の写真がありました。窓を開け放していることから、夏場のようです。35年も前のひとコマです。

葵橋を行く2602

葵橋を行く2602

(追伸;湯口様 この延伸区間は11年間ではなく21年間ではないかと・・・?)

広電3両がミャンマーへ

地元のテレビニュースでも紹介され、今朝の中国新聞にも記事が載りましたので ご紹介します。

H27-7-14 中国新聞朝刊

H27-7-14 中国新聞朝刊

ミャンマー国鉄の入札条件に合致した車両は昭和25年製の旧大阪市電1831の772号、昭和38年製の旧西鉄1101,1201の3005号、3006号の3両です。車齢65年にもなる後期高齢車が第三の職場を得てもうひとがんばりするということですから、同年代の我々もがんばらねばなりませんね。鉄道車両は大事に使えば寿命は長く、まだまだ役に立つという証しです。うれしい限りです。これらの車両が走る路線は既存の路線ではなく、これから工事が始まる新線のようです。すでに神戸港への搬出が始まっていて、もう広島市内を走る姿を見ることはできません。少々古い写真ですが、近影をご紹介いたします。

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福鹽南線に新鋭電車登場

先に昭和8年の新聞記事をご紹介しましたが、今回は昭和10年即ち80年前のローカル紙の話題です。現在のJR福塩線のうち福山・府中間は762mmの電化された両備軽便鉄道でした。また福山・横尾間は現在のルートとは全く違っていました。昭和10年には国有化、改軌と福山・横尾間のルート変更が行われたのですが、これに伴い 地元にとっては初めての大型電車が登場したのです。両備は電化されていたとは言え、小さな電気機関車が客車を牽くスタイルだったため、自走する「電車」が新鮮だったのでしょう。

昭和10年10月20日 中国新聞備南版

昭和10年10月20日 中国新聞備南版

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昭和8年の新聞から

毎度おなじみの中国新聞記事の紹介ですが、今回は趣向を変えて82年前の記事からの引用です。と言うのも 須磨の大先輩のお手伝いで備後の某鉄道のことを調べているのですが、戦災を受けた広島や福山、あるいは中国新聞社には戦前の地元紙が残っておらず、一方 戦火を被っていない三原には図書館に昭和5年11月以降の中国新聞備後版が残っていることを最近知りました。これを順次閲覧しているのですが、鉄道関係の記事が結構出てきて 時間の経つのを忘れます。そんななかで 意外な記事がありましたのでご紹介します。

昭和8年1月24日阿里山

昭和8年1月24日 中国新聞備後版

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広島高速交通 延伸

アストラムラインと呼ばれている広島高速交通を広島市が延伸する方針を固めたそうです。アストラムラインはゴムタイヤ式の新交通システムで、広島市の中心地(本通、紙屋町)の地下からJR山陽本線を横切る白島(最近JRに新白島駅が開業し、乗換できるようになった)で地上に出て終点広域公園まで高架で走ります。途中大町で可部線とも乗換えることができます。1994年に広島アジア大会のメイン会場へのアクセス手段として開通し、すでに20年余りが経っています。現在18.4Kmですが これをJR西広島駅まで7.1Kmを延伸する計画です。現在 開通時に用意された6両編成の6000系が23編成と平成10年に増備された1000系1編成の計24編成で運用されています。運賃は初乗りが190円、全線乗ると480円ですが JRが初乗り140円、18.4Km相当が320円ですから かなり割高感は否めません。

H27-6-4 中国新聞朝刊

H27-6-4 中国新聞朝刊

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以前は西広島から更に始点の本通りまで延伸してループにする案も浮上しましたが、広電と競合するためこの案は沙汰やみになりました。さて今回の計画ではまず平成30年代後半に約半分を延伸し、平成40年代初頭に西広島まで開業ということで、これから約10年から15年後のことになります。広域公園にある陸上競技場がサンフレッチェ広島のホームグランドですが、都心から遠いとか設備の老朽化などで移転も取り沙汰されています。さて10年後、15年後は世の中がどのように変わっているのか 予想がつきませんね。

芸備線100年 番外編

連載記事は終了したのですが 今朝の朝刊にまた関連記事が掲載されたのでご紹介します。

H27-5-31 中国新聞朝刊

H27-5-31 中国新聞朝刊

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記事の中に出てくる乗客の苦言に「今も昔も殆ど所要時間が変わらん」というのがあります。私の手元にある古い時刻表は54年前 昭和36年6月号しかないので これで比較をしてみました。広島⇒三次の所要時間は

54年前 606D急行ちどり号                    1時間9分                          現在  5856D快速みよしライナー(上記写真の列車)    1時間22分

54年前 324レ 広島発姫路行き各停              1時間53分   現在  1854D 広島発三次行き各停              1時間41分

となりました。急行ちどり号の途中停車駅が吉田口、甲立の2駅であるのに対して、快速三次ライナーは下深川までの各駅と志和口、向原、甲立の8駅というハンディはありますので それは考慮するとしても 大差なしと考えて良いでしょう。昔の方が速いのです。一方普通列車はどうかというと、多分C58が牽く客レに対して 54年経っても12分しか速くなっていません。駅の数は同じです。そう考えると 扇風機がエアコンに替り、黄害がなくなり、機関士、機関助士、車掌の3人がワンマンになったのが半世紀の進歩ということですね。芸備鉄道と比べるとまた何か見えてくるかも。

全く余談ですが 上記324レは芸備線全線を走破し 新見から姫新線全線を走って姫路に向かう列車です。広島発10:16、姫路着23:15 13時間の長旅です。三次で7分、備後落合で41分、新見で1時間26分、津山で35分停車です。今こんな列車があれば絶対に乗りに行きたいですね。

芸備線100年 追憶シリーズ その7(おわり)

もっと続くのかと期待していましたが、連載はこれで終わりのようです。

H27-5-30 中国新聞朝刊

H27-5-30 中国新聞朝刊

当時のスキー列車の風景として 龍ケ森やあるいは江若鉄道でも同様の光景が記録されていますね。この備後落合の写真のように、何気ない日常の、生活感あふれる あるいはその場の喧騒が聞こえてきそうな写真が 今となっては実に貴重な記録となることを教えてくれているようです。先に発売されて大好評の 特派員氏の京都市電の本を見ていても同じように感じます。なぜもっと早くそのことに気付かなかったのかと悔やんでみても もう時すでに遅しですが。また そうとわかっていてもそんな写真が撮れないのは感性の問題だろうとあきらめていますが。

芸備線100年 追憶シリーズ その5、その6

2つまとめて紹介します。平成3年にJR四国の車両で試運転をしたとは知りませんでした。仮に高速化を実現していたとしても 結局高速バスに軍配が上り 短命に終わったことでしょう。

H27-5-28 中国新聞朝刊

H27-5-28 中国新聞朝刊

H27-5-29 中国新聞朝刊

H27-5-29 中国新聞朝刊

芸備線100年 追憶シリーズ その4

 

H27-5-27 中国新聞朝刊

H27-5-27 中国新聞朝刊

今回は少々重い話題でしたので、軽い話題をオマケします。同日の記事です。

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ドルトムントからやって来た連接車で76号として活躍していました。今は広電本社近くの広電直営のスーパーマーケット前に保存されています。数年前KAWANAKA氏とランチを食べようと行った時には すでに廃業でガッカリした思い出があります。

 

 

芸備線100年 追憶シリーズ その3

その2では諸先輩から「かつぎ屋」についての具体的な解説を寄せて頂きありがとうございました。その3は「ちどり号」です。これもまたいろいろな思い出話が出てくるのを期待しましょう。

H27-5-26 中国新聞朝刊

H27-5-26 中国新聞朝刊

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内燃機関車揃い踏み

模型の話題が少ないので あえて拙作を登場させることにしました。以前にこのデジ青でご紹介したものも多いです。備後の非電化零細田舎鉄道では社是として新製または中古機購入するのはDB、DC、DDまでと決まっていまして、DE,DFは入線できません。まず写真1です。

写真1

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右からDD10、DD11、DD12、DD15、DD16です。DD10は以前にも登場済です。我が国電気式DLの先駆けで戦前生まれです。DD11はSANGOのキットを組んだ最新作です。ロッドを忙しく振り回しながら走るのは愛嬌があってよいのですが、全軸駆動にするとモーターパワーが弱いせいか調整が下手なせいかうまく走らないため片台車のみの駆動にしてあります。DD12はホビーモデルのキットを組んだものです。アメリカンスタイルは好みではありませんが、パワトラ装備のため快調です。DD13,DD14を飛ばしてDD15です。これはエンドウのDD13完成品を冬装備のDD15に改造しただけのものです。DD16もキット組で もう1両在籍しています。

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芸備線100年 追憶シリーズ その2

本日の朝刊から。

 

H27-5-23 中国新聞朝刊

H27-5-23 中国新聞朝刊

私は子供の頃 家に「米穀通帳」があったことは覚えていますが、闇米運びの光景は知りません。ところで この写真を見ていて変な感じを受けたのですが、デッキの向こうのドアが四隅にRのついた窓なのです。闇米運びがあった頃にHゴムの窓があったとは思えないのですが・・・。これは闇米ではなく 単なる大きな荷物を背負った人、もしくは行商人ではないかと。諸賢のご意見をお聞かせ下さい。