福山レールエクスプレス号

黒田弘樹投手の復帰戦勝利の記事でにぎわう中国新聞3月30日朝刊の福山版にコンテナ貨物列車の運行開始という地味な記事が載っていました。DE10の写真が載っていますが、このDE10はJR貨物岡山機関区のカマです。西岡山ターミナルから水島臨海鉄道東水島までのコンテナ貨物列車や東福山駅着発のコンテナ貨物列車牽引は東福山駅の入換えも兼ねて岡山のDE10の仕事です。工臨で糸崎まで顔を出すこともあります。本線上の架線の下を走るDLの姿は珍しくなりました。

平成27年3月30日 中国新聞朝刊

平成27年3月30日 中国新聞朝刊

下仁田余話

上信1000系について投稿しましたが、前面を切り取られたクハ1301のその後を書き漏らしました。クハ1301には新しい運転台が作られて、冷房改造もされてデハ252というお相手を見つけて 幸せに暮らしているようです。余談ですが上信は不思議なところで、デハとクモハ、モハが混在しています。単車で走れる電動車はデハ、単独では走れない電動車がクモハ、モハだそうです。

米手作市様のコメントでは1000系のデザインをお気に入りのようですが、電車の製作実績が少ない新潟鉄工所が電車分野への進出を図ろうと気合を入れて作ったようで、その塗装も含めて斬新なデザインで当時話題となりました。

さて本稿の主題は下仁田です。下仁田駅は「関東の駅百選」に選ばれています。平成11年10月2日の読売群馬版にその記事があります。

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上信電鉄1000系に寄せて

4年間高崎で単身生活をしていた頃 上信、上毛にはよく足を運んだものでした。群馬というところはクルマが無いと生活できない県だそうで、1戸あたりのマイカー保有率が全国一だと聞きました。そんな群馬ですから私も撮影行はもっぱら福山ナンバーのマイカーでした。地元の鉄ちゃんにはよく 「遠くから撮影に来られたのですね」と声をかけられたものでした。さて1000系の話ですが、詳しくは東京から大津に日帰りして頂いた専門家にお任せするとして、私が撮影していた写真をご紹介します。撮影はいずれも平成14年5月6日です。

クモハ1001+クモハ1201 高崎行20列車  上州福島-上州新屋間

クモハ1001+クモハ1201 高崎行20列車  上州福島-上州新屋間          左手向こうに見える平べったい山は上州三山のひとつ荒船山  

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広島便り

江若展に向かった3月13日は旧ダイヤで、帰路15日は新ダイヤで帰宅しました。京都から新幹線で三原に帰るには岡山か福山で「こだま」に乗り換えるのですが、それが面倒なので今日は新大阪から「こだま」で帰ることにしました。早朝大津を発って新大阪発7:39の「こだま733号」に乗ったのですが、何と指定席は満席! 急ぐ必要のない格安ツアーなのか中高年の男女でぎっしり。トイレの前には行列ができていました。一方自由席はガラガラ。相生の12分停車でヤレヤレと思っていたら、岡山では23分停車。福山の8分停車は短く感じました。かつて北海道で札幌から釧路に向かう夜行普通列車423レに何度か乗りましたが、富良野で35分停車、新得で16分停車、帯広で13分停車、池田で15分停車し、給水、給炭、郵便小荷物積みおろしをする光景を思い出させるような現代の「こだま号」の旅でした。

さて帰宅すると3月15日の中国新聞朝刊には 14日のダイヤ改正がらみの記事が1面を飾っておりました。227系のデビューと新白島駅開業が目玉です。便利に、快適になったことは報じられても、不便になった面も報じてくれればよいのに。

平成27年3月15日 中国新聞朝刊

平成27年3月15日 中国新聞朝刊

 

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JFEスチール西日本製鉄所専用線

JR山陽本線東福山駅から分岐してJFEスチール西日本製鉄所に向かう専用線があります。この製鉄所は以前日本鋼管福山製鉄所でしたが、水島にある川崎製鉄と合併して現在に至っています。また専用鉄道は福山臨海鉄道と呼ばれた時期もあったように思います。この専用線の役割は同製鉄所で作られるレールの輸送です。今朝の中国新聞にこの製鉄所で作られているレールについての記事が載っていました。

2015-2-13 中国新聞朝刊

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「カウントダウン京成3300」に寄せて

藤本哲男氏の「カウントダウンを迎えた京成電鉄3300型」のなかで金町線の写真がでてきます。これにひっかけて 昨年夏に私が柴又を訪ねた際のヒトコマをご紹介します。私は京成電鉄のことは全く素人で(正直 あまり興味もないのですが)、なぜ柴又を訪ねたかというと「寅さん」です。寅さんというと葛飾柴又、葛飾柴又というと寅さんです。今は亡き渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズは 昭和44年の第1作に始まり、平成7年まで48作が作られました。数年前NHK BSで全作が放映され 結局全作を見てしまいました。なぜそんなにひきつけられたかと言うと、山田洋次監督のこだわりでもある鉄道風景を見るのが楽しみだったからです。48作には数作海外ロケもありますが、基本的には国内ロケであり ロケが行われなかったのは富山県と埼玉県だけだそうで、寅さんは全国各地を旅しています。昭和44年が第1作ですから、地方線区ではまだ蒸機列車、客車列車が活躍していた時代です。我々が学生時代に見なれた風景がよみがえります。美しいカラー映像で各地の鉄道風景が見られるこのシリーズは貴重な記録映像だと思って見ていました。そしてもうひとつ 必ず出てくるシーンが柴又駅で寅さんやマドンナが電車に乗って出発してゆくシーンです。何度も柴又駅のシーンを見ていたため、現在の柴又駅はどうなっているのだろうと思うようになり、一度訪ねてみたいと思ったわけです。

柴又駅改札口風景

柴又駅改札口風景  40年以上を経て自動改札になってはいるが雰囲気は同じ

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三次の保存機

今朝の中国新聞県北版に載ったハチロクの記事をご紹介します。広島県下に保存されている9両の国鉄蒸機のうちの1両です。またハチロクは全国で23両が保存されているようです。昭和45年に三次区(芸備線管理所)で廃車になり、三次市内で保存されているこの48650を私はまだ訪ねていなにので 尾関山公園の桜が見ごろになったら訪ねようと思っています。

H27-1-17 中国新聞朝刊

H27-1-17 中国新聞朝刊

「鏡に映った”汽車”」によせて

クローバー会の皆様 新年おめでとうございます。どですかでん様の投稿を拝見しながら、どこかで見覚えがあるナと思ったのが近江鉄道日野駅のひとコマです。ホームの反対側から写すとこのようになります。

平成23年10月10日

平成23年10月10日

鏡に映っているのはクハ1808+クモハ808 近江八幡行、到着したのはクモハ223 貴生川行です。確かに日野駅はレイアウトセクションにしてみたいような 好ましい雰囲気です。この写真は550円のS・Sフリーきっぷを手に貴生川から彦根まで乗り鉄をした際のスナップです。

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奈良線の思い出

どですかでん氏の投稿に続いて、tsurukame氏から奥山先輩の貴重な写真のご紹介があり 昨日来 奈良線の写真を改めて探すことと相なりました。奥山氏の写真を拝見して、撮影地点などを推測してみました。

(1)D51750牽く客レ

撮影月日が10月24日ということで この臨客は10月26日に開催される天理教秋季大祭に向けて全国から信者が天理に向かう臨時列車だと思われます。通常奈良線にはD51は走らず、このような長編成の臨客にD51が使われていました。

(2)632D

準急色のキハ55を4両もつないだ列車があったとは驚きです。たまたま私の手元に1961年6月号の時刻表がありますのでこれを見てみると 確かに632Dは王子発9:06 桜井線、奈良線経由京都着11:50の普通列車として走っています。しかし奈良線には当時準急列車は設定されておらず、強力なキハ55を4両も普通列車に組み込むのは不思議です。何かのアルバイト運用なのか、よくわかりません。この列車の先頭はキハユニ16ということですが、京都向きにキハユニ16を組み込んだ列車が1往復走っていました。従ってこのキハ55はうしろからの撮影だと思われます。

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「あの桃山あたりの・・・」に寄せて

どですかでん殿と一緒に写したC58のネガをもう一度詳しく見てみると まだC58が遠い最初のコマの左隅に少女??が写っていました。私のフィルムスキャナが不調で不鮮明な画像で恐縮ですが、白いブラウスから同一人物のようです。この時点ではこの女性はしゃがんで写真を写しているように見えます。そしてC58が手前のハエタタキ近くまで来た時に立ち上がって手を振ったと思われます。My beautiful picture

列車の後方 白い車が見える道が丹波橋通りです。線路脇の道は未舗装ですね。伏見の市街地の中を煤煙をふり撒きながら蒸機が走っていた40数年前の光景です。

宮城県下の保存C58

tsyrukame様による陸東C58の雄姿を楽しませて頂きましたが、準特急様からのフォローにお応えして C5819など宮城県下で撮影しましたC58の保存車4両をご紹介します。いずれも8年前、平成18年7月に栗駒山登山とくりはら田園鉄道訪問を主目的にした旅の途上で撮影したものです。この旅に関して最も残念なのは 栗駒山登山のために2泊した駒の湯旅館が 平成20年6月に発生した岩手・宮城内陸地震による土石流によって跡形もなく流されてしまったことでした。この山あいの温泉は もったいないと思えるほどの湯量の贅沢なかけ流し温泉で また行ってみたい温泉のひとつでした。そんな温泉が突如消えてしまったのはショックでした。そして平成23年3月の東日本大震災。つい東北への旅が遠のいてしまった感じがします。

さてC58ですが まずturukame様紹介の現役C5819の40年後の姿です。

H18-7-24 西古川駅隣接の公園にて

H18-7-24 西古川駅隣接の公園にて

C5819-2

福知山にもいたカマのようです

比較的きれいな状態で保存されていましたが、ナンバープレートは木製?のイミテーションで、煙室扉に取り付けてある前面のプレートは壊されて半分しかありませんでした。

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広島ニュース

相も変わらず新聞情報で失礼します。19日と20日の中国新聞朝刊からのニュースをお届けします。

(1)平成27年3月14日に新白島駅開業

12月19日 朝刊

12月19日 朝刊

広島駅と横川駅間に新白島駅が開業し、アストラムラインとの乗り換えができるようになります。また227系の運用開始も話題になっています。

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広島中古車センターに朗報

来年3月に実に32年ぶりに新型車両が投入されます。旧型車を見たり、乗ったりしたければ広島地区へ行けと揶揄されるほどお古を大切に使ってきた広島地区ですが、ようやく広島地区用に新設計の227系の登場です。最終的にはMc+M+Tcを64編成、Mc+Tcを42編成の計276両が投入されるそうです。とりあえず2014年度は43両のようです(3×11+2×5か?)。あと半年、窓ガラスをビリビリ、ガタガタ揺らしてセノハチを登る115系に乗ったり、撮ったりすることに致しましょう。

2014-10-7 中国新聞朝刊

2014-10-7 中国新聞朝刊

 

管理人殿へ

いつも大変お世話になり 感謝いたしております。質問です。記事に対する少し長めのコメントを記入し、送信しようとすると最初は下に表示されていた名前記入欄や「コメント送信」ボタンが出てこなくなり、送信できません。コメントの行数、文字数に制限でもあるのでしょうか?あるいはやり方がマズイのでしょうか。ご教授願います。鈍くさい会員より。

山の上から見下ろすと(続報)

9月29日にM重工三原の試運転線をご紹介しましたが、10月2日に正式に完成式が行われ、報道陣にも公開されたようです。昨日のNHK広島のローカルニュースでも流れ、今朝の中国新聞にも記事が載りました。たまたま先日私が山から眺めたのは このお披露目のための試走だったようです。

10月3日 中国新聞朝刊

10月3日 中国新聞朝刊

試運転線は1067mmと1435mmのデュアルゲージです。またこの新聞記事では試運転線のことより 同時に発表された高速型のゴムタイヤ式車両を優先的に写真入りで紹介しています。この車両も先日 山から写していましたので ご紹介しておきます。

H26-9-29撮影

H26-9-29撮影

可部線延伸工事始まる

大規模土砂災害の傷跡が癒えないなかで、予定通り可部線の延伸工事が始まりました。まずは残されていた古いレール、枕木、バラストの撤去からです。中間駅2駅の駅名はまだ決まっていませんが、開業は1年半後の2016年春ですから あわてなくても良いのでしょう。旧線跡のたった1.6Kmの復活でも随分時間がかかるものだと思います。1.6Kmに中間駅2駅となると 駅間は5~600m程度でしょうか。もともと駅間の短い可部線ですが、いかにも元広浜鉄道らしい延伸工事です。9月30日の中国新聞記事をご紹介します。

2016.9.30 中国新聞朝刊

2016.9.30 中国新聞朝刊

山の上から見下ろすと

平成24年11月と12月に同名の記事をご紹介しました。今日は少し暑さも残るとは言え さわやかな秋空なので 久しぶりに山に登ってみました。眼下に広がるM重工三原製作所和田沖工場には1周約3Kmの試運転線が完成し、納入前の広電グリーンムーバーLEX1006号が軽やかに走っていました。 

試運転中の広電1006号

試運転中の広電1006号

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広島から2題

広島市北部の土砂災害から2週間が経ちました。不通になっていた可部線が運転を再開しました。9月2日の中国新聞朝刊から写真とコラムをお届けします。コラム「天風録」は朝日の「天声人語」にあたるものです。

H26-9-2 中国新聞1面トップ

H26-9-2 中国新聞1面トップ  電車は呉線広行730M

H26-9-2 中国新聞1面

H26-9-2 中国新聞1面

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鉄道にゆかりの深い寺院のこと

現在 特派員殿の京都市電の写真展が京阪七条近くのギャラリーで開催されていますが、その開場を待つあいだ 早朝に祇園から高台寺、かつて暮らしていた五条坂界隈を散策しました。我々の現役時代のコンパは円山公園内の円山観光会館(通称 マルカン)で行われることが多く、少ない肉の争奪戦のスキヤキコンパのあとは祗園の石段上での万歳三唱が恒例でした。今回 石段を登ってふりむくと少し左手にカーブした四条通の雰囲気は少し残っていました。八坂神社を抜けて円山公園に入り マルカンを探してみましたが どこにあったかわかりませんでした。そして観光客気分で高台寺あたりを歩いていると「月真院」というお寺の前に「鉄道先覚者 谷暘卿(たにようけい)先生墓所」という小さな石碑があるのを見つけました。恥ずかしながら 谷暘卿なる人物のことを全く知らず、月真院の門もくぐらず、石碑の写真だけを写してその場を去りました。

月真院門前

月真院門前

谷暘卿先生 墓所を示す石碑

谷暘卿先生 墓所を示す石碑

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山口線 8月23日に全線復旧

昨年7月末以来不通になっていた山口線が1年ぶりに全線復旧します。なんとかすべりこみで 夏休みの最後に「やまぐち号」を走らせるようです。新聞記事では「SLやまぐち号」となっていますが、C571の修理が終わったというニュースは聞いていないので、「DLやまぐち号」では? それはともかくご同慶の至りです。

H26-8-14 中国新聞

H26-8-14 中国新聞