4年間高崎で単身生活をしていた頃 上信、上毛にはよく足を運んだものでした。群馬というところはクルマが無いと生活できない県だそうで、1戸あたりのマイカー保有率が全国一だと聞きました。そんな群馬ですから私も撮影行はもっぱら福山ナンバーのマイカーでした。地元の鉄ちゃんにはよく 「遠くから撮影に来られたのですね」と声をかけられたものでした。さて1000系の話ですが、詳しくは東京から大津に日帰りして頂いた専門家にお任せするとして、私が撮影していた写真をご紹介します。撮影はいずれも平成14年5月6日です。
関三平先生の絵や解説文にはMcMTcの3両編成と書かれていますが、私の写真では2連です。中間車のMを抜いたMcTcかというと 2両ともパンタを上げています。実は3両固定編成で誕生したものの 使い勝手が悪いのと老朽化のため平成13年8月に一旦現役を退き、改造されて再登場したのです。その新聞記事をご覧下さい。
新聞の写真は下仁田側の先頭車クハ1301です。このクハ1301の運転台部分だけを切り取って、中間車モハ1201の下仁田側に移植してクモハ1201が生まれました。McMTcがMcMcに生まれ変わった訳です。そして泉北高速鉄道で廃車になった電車のエアコンを手に入れて冷房化改造も施して再登場しました。私の写真はこの改造後の姿です。ところで3両固定のDTD編成を作ったものの使い勝手が悪く昼寝をすることが多かった琵琶湖西岸のなんとか鉄道の気動車とも良く似た話ですね。
上信電鉄は歴史が古く明治30年に上野(こうづけ)鉄道という762mmゲージの蒸気鉄道として開業しました。大正13年に改軌、電化されるのですが、そのときに撤去されたナローゲージのレールが架線柱として残っていました。この東富岡駅の写真の右手の架線柱もその古レールです。撮影してから13年も経っていますので現存しているかどうかは判りませんが、世界遺産の見学に富岡を訪ねられる際には沿線の架線柱にもご注目下さい。世界遺産とまでは行かないまでも、群馬遺産ぐらいにはなるでしょう。
政治とネギの関係で話題になった終点の下仁田ですが、もし下仁田まで足を運ばれましたら是非下仁田ルールをよくわきまえて行動されるようにお願い致します。これは下仁田駅前に掲げられていた看板です。滋賀県の某博物館玄関前でも当てはまる?
西村様、
お疲れ様でした!
この電車はなかなかいい格好だと思いますがいかがでしょうか?
私は気に入っています。そんなに古い製造とは思われません。
写真をありがとうございました。