廃止が取り沙汰され 急に注目されているJR三江線ですが、三江線乗車を前面に押し出したツアーの広告を初めて見ました。今日の中国新聞朝刊です。広島発着の日帰りツアーで、AコースからFコースまでの6パターンがあります。驚いたのはA,Bコースは貸切列車で全線を乗り通すプランだという点です。最少催行人数は20名、最大40名ですから 貸切列車はキハの単行でしょう。2月20日のAコースは江津から三次への下り列車、3月27日のBコースは三次から江津への上り列車です。いずれの貸切列車も片道運行であり片道は回送するのか等 どのような運用になるのか興味深いところです。Aコースは早朝の422D江津行きに回送車を併結、Bコースは423D三次行きに回送車を併結するのかもしれませんね。
投稿者「西村雅幸」のアーカイブ
撮影地今昔 生瀬・道場間(1)に寄せて
tsurukame氏の廃線跡レポートを拝見して思い出した記事をご紹介します。1968年(昭和43年)11月発行の「鉄道模型趣味 No.245」に掲載された坂本衛氏著「忽川の工臨」という記事です。廃線跡レポートの起点である生瀬駅と一つ手前の宝塚駅の間にあった忽川貨物駅の現地レポート記事です。 最近では砂利を敷かないスラブ軌道という方式もありますが、線路には砂利がつきもので、各地に砂利採り線や砂利積込み設備がありました。川砂利採取が禁止され、砂利採り線は姿を消し、採石場に隣接した砂利積込み設備も殆ど見ることはできなくなりました。この記事は当時各地で見られた光景や工臨列車を詳しく記録された貴重な記事だと思っています。坂本氏や機芸出版社には無断で恐縮ながら、全文をご紹介することに致します。
ミャンマーで広電 走り始める
平成27年7月に広電からミャンマーに輸出された 旧西鉄福岡市内線の電車がヤンゴンで走り始めたそうです。塗装は現地で塗り替えられています。
港湾地域のワーダン貨物駅への引込線を電化した路線だそうで、決して輸送人員が多い路線ではないようです。むしろ初めての電車の運行や保守を訓練するためのようにも思えます。今回ミャンマー入りした電車は 昭和30年代後半の製造年であり 丁寧に使われてきたとは言え半世紀も前の電車です。同時に現地入りしている旧大阪市電1801型も然りです。どうしてこんな古い電車をと思いますが、いきなり最新式の何億円もする電車は買えないでしょうから、まずは釣掛け式の電車を勉強することから始めるのでしょう。ひょっとしたら京都市電1900型も海を渡るかもしれませんね。そうなれば 「ヤンゴンで京都市電に乗ろう」ツアーを考えねば!
中国地方から謹賀新年
昨年末は広島ツアーに各地からお集まり頂き、ありがとうございました。今春には 公式行事ではないにせよ三江線の旅も計画されています。今年も引き続き中国地方の話題を提供してゆこうと思っていますので、よろしくお願い致します。中国新聞は元旦の1面トップに過疎化が進む中国山地のルポ記事を大きく掲載し、毎日連載されています。5日朝刊には三江線の記事が載りましたのでご紹介します。昨年10月にJR西日本が広島・島根両県に対して三江線の廃止検討を通告して以来、三江線問題が大きくクローズアップされています。JRは廃止を決定したわけではないと弁明しつつも、沿線地元では廃止ありきの動きと受け止められています。
三江線ツアーは桜の見頃の4月上旬を予定されているようですが、3月26日にJR西のダイヤ改正がありますので、このダイヤ改正によって更なる減便などがなければ良いがと思っているところです。
高齢化、過疎化が進む沿線の実態を考えれば小手先の対策では存続は難しいのは周知の事実でしょう。「地方創生」などとうわべだけのきれいごとでは解決しない問題が山積していることを改めて感じる年頭です。
広島市内をクリスマス電車が走る
12月18日から広電恒例のクリスマス電車が走りました。ハノーバー電車238号にイルミネーションを施し、サンタさんやトナカイに扮した乗務員が運行します。ハノーバー電車が最も輝く年末恒例の行事です。
呉線全線開業80周年記念イベントなど
先に記念入場券や記念切手発行の事前PR記事をご紹介しましたが、3連休の初日11月21日に 記念イベントが開催されました。まずは翌22日の中国新聞記事からご紹介します。
小型DLを増備しました
JFE福山専用線 再現
先にJFE福山専用線のご紹介をしました。このたび我が家にてそのイメージの再現ができましたので、恥ずかしながらご紹介します。実は昨日のOB会の席上 デジ青に模型の記事が少ないねとの声を聞きましたので 近作を載せてみました。模型人口が減っていますが、模型愛好者の奮起をお願いします。
柿と鉄道
KAWANAKA殿の「秋を愛でる 秋の空気」で季節感を感じ、1900生殿のコメントを読んでいて思い出しました。リンゴ畑の中をゆく五能線はよく紹介されますが、柿畑と鉄道の組み合わせは岐阜県の樽見鉄道で見ることができます。残念ながら私が訪れたのは年の瀬12月29日で、遠くの伊吹山は薄っすら雪をかぶっていた時分ですので 柿の実もなく、葉っぱも散ってしまったあとでしたので 秋の風景は紹介できませんが 雰囲気だけを感じて下さい。あまり背は高くありませんが、柿の木畑が散在しています。
現在は本巣市ですが このあたりは富有柿の名産地です。すぐそばを走る国道157号線沿いには「富有柿の里 いとぬき」という道の駅もあります。以前は2軸レールバスのハイモ180やセメント列車も走っていて 魅力ある鉄道でした。春の薄墨桜の時期には臨時列車も走るようですが、柿だけでは集客は難しいでしょうね。関西からなら何とか日帰り圏内です。来年の秋には柿を入れた名作を是非ゲットしてみてください。但し柿泥棒と間違われぬようにご用心を。
三江線と湯抱温泉
中国新聞では三江線特別取材班を立ち上げたようで、今朝の朝刊にもルポ記事が載っています。どですかでん様が三江南線の様子を紹介して頂きました。そのなかで湯抱温泉について触れられています。私は平成19年4月 三瓶山登山の際、湯抱温泉で1泊しましたのでどんなところなのかをご紹介します。
三江線(続報)
三江線の廃止に関して地元のテレビ、新聞では連日大きく取り上げられています。そのなかから今朝の中国新聞朝刊のコラムをご紹介します。朝日でいう「天声人語」相当のコラムです。
三江線に限らず全国的な問題ではあるのですが、鉄道廃止となると高齢者の病院通いと高校生の通学問題がいつも話題になります。三江線沿線の某高校では過疎化の波が押し寄せ、定員割れを起こしており これで鉄道が廃止されると更に拍車がかかるとして、自治体がはやばやと無料のスクールバスを走らせているそうです。頼みの綱だった通学生も取られるとなれば老人だけが頼りではどうにもなりません。私の住んでいるのは人口10万人足らずの地方都市で、かつての商店街もシャッター通りと化しています。それでもなぜかマンションだけが次々と建てられ、結構売れてゆくのです。何でも山間部に暮らしていた老夫婦が生活を続けられず、子供たちが少しは便利な街にマンションを買って親を住まわせるという現象も起こっているそうです。50年後に鉄道全線完全乗車をしようとすれば、幹線だけに乗ればすぐに達成できることになっているのでしょうか。
丹波の山中に阪急電車
2年後に三江線廃止?
今朝の中国新聞1面トップは三江線廃止のニュースでした。2年後の2017年度に廃止の方針のようです。2006年7月に豪雨により不通となり、この時点で廃止の声も聞かれましたが、約1年後の2007年6月に運転を再開し なんとか生き延びました。沿線にこれと言った観光地もなく、陰陽連絡の役にも立たず、いくら活性化、利用促進を叫んでみても 1日の利用客が50人では成り立つ筈もありません。三江線の次は木次線でしょうか。因美線でしょうか。陰陽連絡の高速道路が次々と開通するなか、過疎化には歯止めがかからず 中国山地の山あいをクルマで走ると人よりイノシシ、鹿、猿に出会う方が多い昨今です。
日本鉄道賞に広電
しつこく JFEスチール福山専用線
またかという声が聞こえそうですがご容赦を。天気予報では好天のようなので早起きして東福山に向かいました。JFE専用線の列車の少し前に西岡山ターミナル発東福山行き 2753レがDE10に牽かれて到着するので、これも狙おうと7:30頃に待ち受けました。1900生様からもう少し東の池の横はとアドバイスを頂いていましたが、ロケハンする余裕もなく、またJFEが来る時刻が接近しているため、またしてもイージーにお決まりの歩道橋で待ちました。7:44頃結構長いコキを従えてDE10が現われました。
広電関連の小冊子刊行
JFEスチール福山製鉄所専用線 再訪
去る9月8日に引き続いて、今朝再訪してみました。もともと不定期運行で日に1往復だけですから空振り覚悟で出かけました。この専用線は撮影場所が限られるので 今回は工場の門を出てくるところを俯瞰撮影しようと 山の上に立つ通信用の鉄塔に続く山道を登りました。撮影に適した場所は1ケ所だけでしたが、工場内のヤードや構内を出てトンネルに向かう築堤、鉄橋が一望でき まずまずのポイントでした。時計を見ると7:30。列車は大体8:00頃の出発の筈ですが、門も閉まっていて 車両の動きもありません。あと30分ぐらいは待ってみることにしました。双眼鏡で見ると、ヤードの向こうの建物の陰にDLが1両停まっているのが見えますが、これが今朝動くDLなのかはわかりません。7:42頃になるとこれとは別のDLがヤードに到着し停まりました。すると先に停まっていたDLが動きだし、空のチキ2両を留置線から出発線に押し出しました。どうも今日は走りそうな気配です。
津山扇形機関車庫が活況
旧津山機関区の扇形庫は現存する扇形庫のなかで梅小路に次いで2番目に収容力が大きい(17線)クラとして 経産省の近代化産業遺産、日本の近代化土木遺産、岡山県の近代化遺産に指定されています。ターンテーブルも現役で使われています。そして庫内に保存されている車両も次々と増えています。今回 更にDD16304が加わったようです。昨日の中国新聞井笠・おかやま版に紹介記事がありました。
JFEスチール福山製鉄所専用線のDL
JR山陽本線東福山駅から分岐してJFEスチール福山製鉄所に至る3.8Kmの専用鉄道があります。この存在は以前から知っていましたが、走行写真を撮ったことがありませんでした。最近になってようやくダイヤが判明したため今朝初めて出かけてみました。但し不定期運行のため 空振りに終わることも覚悟で出かけました。しかし普段の行いが良いせいか、ほぼ予想した時刻に走ってくれて 初めて走行写真を撮影することができました。
東福山駅は1966年(S41)に貨物駅として開業し、1979年(S54)に旅客営業が始まった駅です。広い貨物ヤードの端にこの専用線の3線(到着線、機回し線、出発線)があります。最初にこの出発線を覗くと、レール専用のチキが8両 空車で留置されていましたので、多分今日はこの空チキを取りに来るのではないかと期待感がふくらみました。
本年2月に新聞記事の紹介のかたちでこの専用線のことを紹介しましたが、国内のレール生産は新日鉄八幡とここJFE福山の2ケ所です。全世界でも4ケ所でしか生産されていないそうですから、大半は船積みされて輸出されるのですが国内向けはチキに積んで全国に配送されるようです。この専用線の撮影地点は非常に限られます。製鉄所構内を出るとすぐトンネルに入り、トンネルを抜けるとすぐに鉄橋で国道2号線をオーバークロスし、山陽本線に沿って東福山駅に入って行きます。撮影場所はこの山陽線沿いの直線区間しかありません。事前の情報では製鉄所発7:55 東福山着8:05、戻りは東福山発8:20、製鉄所着8:35と聞いていましたので ワクワクしながら待ちました。7:56に 遠くに見える場内信号機が赤から黄に変わったので、これは来るに違いないと待っていると 単機回送がやってきました。
「さよなら梅小路」に寄せて
総本家青信号特派員氏が梅小路蒸気機関車館の閉館について紹介して頂きました。開館が昭和47年10月10日ですから あれから43年が経とうとしています。特派員氏は社会人1年生、私はDRFC5年生の時でした。実は梅小路の開館には我がDRFCもひと役かっています。と言うのも当時のDRFCには数名の女性会員(今でこそ鉄子と言われますが、DRFCは時代を先取りしていた?!)がいました。どういうルートで話が来たのか判りませんが、開館前日の10月9日には竣工記念セレモニーが行われたようで、そのセレモニーで2名の女性会員が和服姿でテープカットや花束贈呈を行ったのです。そして記念品やパンフレットを頂いています。それらの品は我が家のちょっとした家宝となっていますので ご紹介します。ただ残念ながら当日のスナップ写真等は残っていません。





















