三江線と乗降場

三江線の廃止問題が島根・広島両県の地元での大きな関心事となり、地元紙面では毎日何かの記事が載っています。すべてデジ青に載せるのは大変なので控えていますが、JR西日本と地元が存廃を一旦白紙にして協議を始めることになったとの記事が載りました。そもそも高齢化、過疎化が進む中山間地における公共交通機関とはどうあるべきなのかという難問ですから、いくら白紙とは言え そう簡単に答えが出るとは思えませんが 今後の動きを注視してゆきたいと思います。

平成28年2月7日 中国新聞朝刊

平成28年2月7日 中国新聞朝刊

さて この三江線問題がきっかけで気になっていることがあります。DRFC現役時代に何度か北海道を旅して「乗降場」にお世話になりました。特に閑散線区では駅間も長く 駅ではないにせよ正式には「旅客乗降場」と呼ばれる簡易駅は有難い存在でした。一例として昭和50年2月に標津線にC11を追ったときの乗降場の写真をご紹介します。標茶から中標津に向かう途中の泉川と西春別の間にあった「光進」乗降場です。ウサギやキツネの足跡しかないような場所でした。

昭和50年2月 標津線光進乗降場

昭和50年2月 標津線光進乗降場

当時の道内時刻表の標津線と湧網線のページを参考までに添付してみました。

標津線時刻表

標津線時刻表  キロ程がなく(乗)とあるのが乗降場

湧網線時刻表

湧網線時刻表

特に湧網線では89.8Kmの間に11もの乗降場があり、駅と合わせて25ケ所で乗り降りできたわけです。平均3.5Kmにひとつです。三江線全線は108.1Kmで、現在33の駅があります。平均駅間3.2Kmと全長、駅間とも湧網線とよく似ています。ただ沿線の人口密度の違いがよくわからないので単純比較は難しいのですが、どちらも観光路線ではなく生活路線という共通点があります。

さてこの「乗降場」とは法的にはどんな位置付けの施設だったのでしょうか。どなたか「乗降場」についての薀蓄をご披露下さい。今 乗降場を作ろうとすると どんな障害が待っているのでしょうか。ご紹介した「光進」乗降場は少なくとも2両分の長さがある立派な乗降場でしたが、道内にはもっと簡素な乗降場も数多くあったように思います。近年 地方のバス路線では「フリー区間」と称して バス停以外の好きなところで停まってもらって乗り降りできる路線が珍しくなくなりました。この法的な位置付けも気になります。さすがに鉄道で「フリー区間」は難しいでしょうが、どうせワンマンの単行ですから長いホームは不要で 高齢者の乗降が楽なようにスロープでドアの高さまで登れるドア1枚分の短いホームを作り、そんな乗降場を現在の駅間の便利な場所に増やしてはどうかと思うのです。その程度の簡易施設なら費用の地元負担も軽微だと思います。勿論乗降客がなければ通過です。最近のDCは高性能で加速も良いので、停車時間ロスも誤差の範囲でしょう。というような提案をしても どうせお上やJRは何だかんだと出来ない理由を並べるに違いありませんが、富裕層狙いのバカに豪華なムダな列車を作る金があるのなら もう少し知恵が出ないものかと 40年前の旅を思い出しての思いつきでした。

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