井笠鉄道記念館 存続へ

バス会社としての井笠鉄道の経営破たんに伴い 新山にある井笠鉄道記念館のことが気懸りだったのですが、地元民からの要望もあって笠岡市が買取って運営することになった由。8月20日付け中国新聞井笠版を添付します。

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新山は笠岡から井原に向かって5番目の駅で 鉄道廃止後駅舎が記念館となり コッペル製1号機、ホハ1、ホワフ1が保存されています。最後の駅長さんが館長をされていたが、今はどうなのか不明。買取額が150万円とは安い気もしますが、駅舎などはとうに償却されていて資産価値はないでしょうし、いくらドイツ製の機関車とて単なるスクラップと考えると 土地代にしては安いような・・・・。いずれにせよ市が乗り出してくれて存続されるのはご同慶の至りです。この新山の記念館が残るとなると、井笠鉄道遺産めぐりツアーができそうです。笠岡駅南側のホジ9を見たあと 廃線跡をたどって新山記念館へ、そしてバスターミナルになっている旧矢掛駅を見学。山陽道の宿場町のシンボル矢掛本陣と井原鉄道荏原車庫に立ち寄り、井原市内の公園に保存されている9号機を見学。この9号機 日本では珍しいベルギー コッケリル製です。そのあと井原鉄道で福塩線神辺に出るもよし、伯備線総社に向かうも良し、1日充分楽しめそうです。本ツアーをご希望の方は水島臨海オプションなどもございますので お気軽に当社へお問い合わせ下さい。

瀬戸内マリンビューがゆく

呉線の観光列車として2005年10月から走り始めた「瀬戸内マリンビュー」は全線電化された線区を走るディーゼルカーとして珍しい存在です。土曜、休日のみ広島ー三原間を1往復します。車両は2両編成で、広島方が指定席のキハ477001、三原方が自由席のキハ477002です。快速列車として主要駅だけに停車し、広島・三原間を約2時間半で走ります。今日はクルマで少し追いかけをしてみました。

三原駅の配線は1番線が呉線着発用、2番線が山陽本線下り、3、4番線が山陽本線上りとなっていて、呉線は1線しかありません。呉線の一部の列車は糸崎まで足を延ばすのですが、大半は三原折り返しです。列車本数も少なく すぐ折り返すので1線でこと足りているのですが、マリンビューは三原折り返しの間 約1時間の待ち時間があるのです。しかし三原駅には留置線がなく、この1時間の間に定期列車が1本折り返すため、1番線を空けて、逃げなければなりません。2.4Km先に糸崎駅があるので、糸崎に逃げればよいと思うのですが そうはしないのです。わざわざ17.2Km離れた忠海駅まで今来た道を引き返し、回送で忠海を往復するのです。なぜそんなことをするのか不思議なのですが、三原は広島支社管内、糸崎は岡山支社管内なので 広鉄と岡鉄には見えない壁があるのかと勘ぐってしまいます。でもそのおかげで 約2時間ほどの間に回送を含め クルマがあれば4ヶ所で撮影できるのです。

安芸長浜駅を通過する8232D三原行き

安芸長浜駅を通過する8232D三原行き

安芸長浜駅は忠海・大乗間に平成6年10月に開業した新駅です。呉線にC59,C62を追いかけた時代には無かった駅です。この駅は写真左手に広ろがる 地元ではデンパツと呼ばれている電源開発竹原火力発電所の正門前に作られました。昭和42年に1号機が稼働開始、2号機が昭和49年、3号機が昭和58年と現在3基が運転中です。初号機は老朽更新も計画中とのこと。この火力発電所は石炭火力で、写真のうしろに見える薄緑と白の大きな構造物は貯炭ドームです。石炭は船を横付けして陸揚げされます。原発が停まっているためフル稼働のようです。

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C57144写していました

準特急様

「保存蒸機とその現役時代」シリーズを毎回楽しみに拝見しています。今回のC57144の現役時代を撮影していました。昭和44年3月5日 室蘭本線沼ノ端ー植苗間です。

室蘭本線上り客レを牽くC57144

室蘭本線上り客レを牽くC57144

C57144は昭和15年10月 三菱重工神戸製で製番314、昭和51年3月1日 岩見沢一区で廃車となっています。沼ノ端は室蘭本線と千歳線の両方が狙える場所で、石炭満載で室蘭港に向かうセキ列車やヤマに戻る空セキ列車がD51牽引で頻繁に通過し、その合間にC57牽く客レが活躍していました。ただ 列車は頻繁に通るものの だだっ広い原野には高台というものがなく、撮影ポイントを探すのに苦労したことを思い出します。本シリーズの続編を楽しみにしております。

広電の現役中高年たち

先週 INUBUSE氏が広電の七夕電車を紹介されました。七夕には出遅れたのですが、熱中症対策も万全に広島市内を歩いてきました。七夕電車、すなわち1000型の投入によって 旧型車が順次お役ご免になる日も遠くないものと思い 現役バリバリで活躍中の旧型車の姿を中心に追いました。写真はすべて7月17日撮影です。

 まず元神戸市電の582号です。広電では570型として17両の仲間がいたのですが、今ではひとりぼっちになってしまいました。広電では神戸時代の更新年を新造年として扱われていますが、実際の生まれは大正13年で神戸ではJ車と呼ばれたグループの一員です。神戸で戦災をまぬがれ、改番と昭和34年に車体更新を受けたのち神戸市電の廃止に伴い 昭和46年11月に広島に来ました。最近では仲間もいなくなり、車庫で眠っている日が多かったのですが うれしいことに参議院選挙が公示されたため、出番が回ってきました。この啓蒙看板は570型に合わせて作られたようで、この日もはりきって3号系統を何往復もしていました。この選挙が終われば次の出番はいつになるのでしょうか。今年の11月に広島県知事選挙があるので 少なくともそれまでは元気でいてくれると良いのですが・・・。広電では生え抜きの150型、650型が被爆電車として有名ですが、この神戸市電も戦争を生き残った車両です。

582号 福島町にて

582号 3号系統西広島行き   福島町にて  清き一票を呼びかけ

新己斐大橋を渡る 3号系統西広島行き

新己斐橋を渡る582号 3号系統西広島行き

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広電 七夕電車に寄せて

INUBUSE氏から七夕電車のリポートがありました。実は私はまだ新車の1000型にお目にかかっていないのですが、そろそろ重い腰を上げて 熱中症に注意しながら広島にでかけようかと思っているところです。広電のホームページには各電停、各系統の通過時刻が出ていますので これをもとに1000型の運用表を作ってみました。回送時刻は不明です。

1000型運用表

1000型運用表

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なつかしの日曹炭鉱専用線

梅雨のない北海道、なかでも6月の利尻、礼文は花や鳥を満喫できるということで、久方ぶりに北の大地の旅を楽しんできました。主目的は花と鳥ではありますが、かつて訪れた日曹炭鉱専用線の跡をたどることも目的のひとつでした。ただ廃線跡紀行は本やネットで数多く紹介されていますので、ここでは40数年前の様子を中心にご紹介します。日曹炭鉱専用線、正確には日曹炭鉱天塩礦業所専用線には昭和44年3月と昭和46年3月の2度訪れています。いずれも雪の多い季節でした。昭和44年はK先輩と常紋、上興部から天北線を経て稚内まで行き、羽幌線で南下する途中で立ち寄ったのでした。当時は炭鉱の専用線の様子など殆ど情報がなく、列車が豊富駅に着くまで降りるかどうか迷ったあげく、いちかばちかで豊富駅に降りたのでした。この列車の乗客と一緒に礦業所行きの沿岸バスに揺られること30分程で着いたのが車庫のある一坑でした。幸い9615が煙をあげて停まっており、最北の専用線が生きていたのがわかり ホッとしたものでした。

日曹2

一坑で休む9615

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ヘラン号による韓国一周乗り鉄旅

韓国の鉄道について全く関心も知識もなかったのですが、韓国版「トワイライトエキスプレス」とでも言うべき「ヘラン号」なる列車があることを知り、この列車で旅をしたくなり チケットが入手できたのでこの度 韓国内一周の旅を楽しんできました。ぶんしゅう様のような「戦闘的」な旅にはほど遠い安楽旅ではありますが、簡単にご紹介することにしましょう。

1.ヘラン号について                                     6年前の2007年春 北京オリンピックの際に南北合同応援団のためにソウルーピョンヤンー北京間の国際寝台列車が企画され 専用の新型車両が検討されました。しかし予算面から新造車を断念し、比較的車令の若い客車を豪華客車に改造することになりました。この改造が進む一方で韓国と北朝鮮の関係改善が叶わず、この国際列車計画は頓挫してしまいます。そこで韓国内の富裕層をターゲットにして、有名観光地を巡るツアーの専用豪華客車として 2008年11月にヘラン号がデビューしました。ヘランとは韓国語で「太陽と共に旅をする」という意味の造語だそうです。ヘラン号の日本語版パンフレットの一部を示します。

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雨のトワイラ

今日は糸崎・尾道間で海を入れた遠景を考えていたのですが、生憎の雨のため急遽予定を変更して呉線忠海で近景を撮ることに。我が家から山を越えれば15分ほどの距離です。忠海港は古くからの船泊りであり、現在は大久野島と大三島へのフェリーが発着しています。大久野島は昭和初期には毒ガス工場の島として地図から抹消された秘密の島だったのですが、今は島全体が国民休暇村として憩いの島となっています。ちょうど春休みとあって 雨にもかかわらず多くの家族連れが高速船に乗り込んでいました。

143M 三原発広行き

143M 三原発広行き

電車の前方 鉄橋のたもとに常夜灯が建っているのがわかりますか。水難防止を祈願して金毘羅さんをお祭りしたもので、港や川土手など水に関係した場所によく祭られています。忠海港の常夜灯は江戸時代後期、文化十三年(1816年)に尾道の石工 塚脇和助によって彫られ200年近くを経た立派なものです。行き来する船に加えて 約80年間呉線の列車を見守ってきた常夜灯でもあります。さてトワイライトは雨の中を一路広島に向けて通過してゆきました。

雨の船溜まりを行くトワイライト

雨の船溜まりを行くトワイライト

次回は4月9日です。この日は孫の小学校入学式なので、留守番かイクジイ役が回ってきて撮りに行けるかどうか・・・。だとすると5月21日までお預けとなります。

トワイラ尾道

今日3月28日 トワイライトをどこで撮ろうかとあれこれ考えた末、尾道市街地通過風景と決めて早めに尾道へ。ご存じ 坂の街尾道の小路を上がったり下りたりしながらポイントを探すも気に入った場所が見つけられず、結局イージーな陸橋上からの撮影となってしまった。春休みとあって、高級なデジカメを持った小中学生が何人か撮りに来ていたのにはビックリした。

EF210-14牽く下り貨物列車

EF210-14牽く下り貨物列車

くEF651132牽くトワイライトが尾道を通り抜ける

くEF651132牽くトワイライトが尾道を通り抜ける

次回4月2日は尾道・糸崎間で狙うことにします。

京阪 雪景色

特派員氏のすばらしい写真に刺激されて、投稿します。京都市電もそうですが特派員氏のカメラアングルにはいつも感心します。私は高校、大学と通学に毎日墨染から三条へと京阪にお世話になったのですが、あまりに身近すぎて写真を撮っていないのです。市電や叡電も同様です。その点特派員氏は身近な日常をしっかり切り取っておられてさすがです。そんな京阪の雪景色のカラー写真が2コマだけあります。撮影日時が不明ですが多分昭和50年の2月か3月かです。このあとのコマが叡電鞍馬線なので墨染から鞍馬に向かう途中で五条駅で途中下車して撮ったようです。3000系が投入され1900が緑色になって各停運用に入っていた頃です。鴨川と疏水にはさまれて走る七条、三条間は四季おりおりの景色が楽しめてすばらしい区間でした。

京阪雪景色2

1900 淀屋橋行き各停

1900 淀屋橋行き各停

今日の呉線トワイライトエクスプレス

この春3回目の「トワイライトエクスプレス 瀬戸内ランチクルーズ号」が走りました。今日は山の上からの俯瞰撮影をすることにして、三原市の観光名所 筆影山に登りました。早咲きの桜が満開で 穏やかな春の陽をあびてトワイラは呉線をのんびり走ってゆきました。

上りの山陽新幹線が通過

上りの山陽新幹線が通過

呉線は三原駅で山陽本線と分かれ、高架で市街を抜けてゆきます。沼田川(ぬたがわ)を渡る手前で高架が終わります。

山陽線下り115系 353Mが通過。手前の校舎は県立三原高校。

山陽線下り115系 353Mが通過。手前の校舎は県立三原高校。

沼田川の鉄橋脇に約20名ほどが陣取っているのが 山の上からよく見えました。遠くからの遠征 ご苦労様です。

沼田川橋梁脇には多くのファンがカメラの放列。

沼田川橋梁脇には多くのファンがカメラの放列。

左手に瀬戸内海を見ながら呉線の旅が始まる

左手に瀬戸内海を見ながら呉線の旅が始まる

次の運転日は3月28日(木)です。6月まであと5回チャンスがあります。次回の撮影ポイント探しも楽しみのひとつとなりました。

福山レールエクスプレス号

佐川急便の専用列車は有名ですが、福通も鉄道輸送を見直したのは慧眼と言うべきか。「福山」とつくので山陽路でも見られるかと一瞬喜んだのですが 品川-吹田間ということでガッカリ。佐川のような専用電車ではなく、福通のコンテナがずらりと並ぶコキ編成でしょうが 専用編成になるならかつての「たから号」を彷彿させる「福通号」のテールマークをコキ最後尾につけたらいかがでしょうか。夜中に走るのなら誰も見てくれないか・・・。中国新聞朝刊記事を添付します。さて今日は「福山エクスプレス」ならぬ「トワイライトエクスプレス」が呉線を走る日なので これから出かけます。今日はどこで撮ろうか・・・・。

中国新聞2013.3.19

中国新聞2013.3.19

 

下津井モハとクハ

先日玉野市営の写真をご紹介しましたが、昭和44年8月1日に下津井に行き、鷲羽山ユースホステルで1泊して翌日玉野を訪ねています。その際の東下津井駅での交換風景をご紹介します。下津井電鉄は票券閉塞式で 女性車掌が対向列車の運転士から票券を受け取っているひとコマです。この電車はモハ50型だと思いますが、車番不詳です。IMG

さてこの気動車改造電車の一統のなかで モハ50型より窓2つ分短いクハ6が良好な状態で保存されています。場所は岡山県瀬戸内市長船町です。名刀で知られる備前長船の 国道2号線沿いのドライブイン「おさふねサービスエリア」の裏手の山陽新幹線高架下です。ここにはクハ6の他ホハフ2とホワ10が保存されています。高架下とは言え雨ざらしなのですが 誰が手入れされているのか 外観も車内もきれいな状態です。昭和6年製のカハ6がクハ6となり、80年以上を経てこんな場所でこうして残っているのが不思議な気がします。IMG_6996-1

ここは新幹線に乗っていても当然見えませんし、国道2号を走っていてもドライブインの建物の裏手なので見えません。すぐ西側が吉井川の土手ですが 吉井川橋梁を通過する新幹線を写すにはこの土手が好適地のようで撮影者の姿をよく見かけます。赤穂線の香登駅が最寄ですが1Kmほどありクルマの方が便利な場所です。クルマで通るたびに立ち寄っては確認するようにしています(直近は2011年11月7日ですが)。笠岡の高架下の井笠ホジ9とともに要安否確認対象車両です。

玉野市営をなつかしむ

会長様のお誘いに乗り、湯口先輩の後塵を拝しつつ 昭和44年8月時点と平成21年12月の状況をご報告します。学園紛争で騒然としていた昭和44年の夏、別府、岡山電軌、井笠、水島、下津井、玉野、岡山臨港と山陽路の私鉄めぐりをしたあと KAWANAKA氏と呉線にC62、C59を追いかけ夏バテしたことを思い出します。四国連絡の大動脈であった宇野線ですが、電化されてはいましたがD51牽く貨物列車も走っていた時代でした。宇野駅からまず終点の玉遊園地前まで行きましたが、住宅地の児童公園の横で線路はプツンと終わっていて 予想していた終着駅のイメージとは全く違っていて驚きました。

終点玉遊園地前のキハ101

終点玉遊園地前のキハ101  車掌は発車までタバコ休憩 右手が宇野方面

さて40年後の平成21年12月に現地を訪ねてみました。プラットホームは勿論ありませんが、ガードレール、送電鉄塔やその手前の2階屋などが当時と変わっていないのには また驚きでした。

平成21年12月28日の玉遊園地前

平成21年12月28日の玉遊園地前

このキハ101に揺られて車庫のあった玉造船所前まで戻りました。三井造船玉野造船所に隣接した小さな車庫で、この日は庫外にキハ103、庫内にキハ104休んでいて、すぐに撮影終了。また造船所側の側線にはクハ201がみじめな姿をさらしていました。

熊延鉄道から来たキハ104

熊延鉄道から来たキハ104

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瀬戸内だより

広島からニュースを2件お届けします。

「トワイライト 呉線を走る」 

去る2月19日に続き、本日もトワイライトエクスプレスの車両を使った団体臨時列車が岡山から呉線経由で広島まで走りました。「トワイライトエクスプレス車両で行く瀬戸内ランチクルーズ」と銘打った企画ツアーで、食堂車での食事がウリのようです。3月以降計6回走るようです。3月19日、28日、4月2日、9日、5月21日、6月4日に予定されています。呉線に電機や客車が走るのは久しぶりで、平日にもかかわらず、レンタカーで追いかける人たちも大勢いました。私の撮影場所は須波ー安芸幸崎間です。来月以降は宮島口まで延長運転されるそうです。この企画ツアーの帰路は新幹線利用なので トワイラはセノハチを越えて空車回送されるはずですが、この回送ダイヤが不明です。田舎町では「ダイヤ情報」が手に入らないので、どなたか教えてください。IMG_6572-1

「ドルトムント電車レストラン 3月末で閉店」

千田町の広電本社前で営業してきたレストランが残念ながら店じまいするそうです。KAWANAKAさま お急ぎください。

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広電1000型運行開始

新型超低床連接車1000型(1001、1002)が本日2月15日から営業運転に就きました。3連接と短い車長のため、従来連接車が入線していなかった江波線、白島線に投入され7号、8号、9号系統で運行されます。特に白島線(9号系統)は今まで全列車八丁堀-白島間の折り返し運転だったのが、始終発の回送車だけが使っていた八丁堀の渡り線を使って白島-江波の直通運転が始まり、乗り換えの煩わしさが軽減されます。この2両の運行ダイヤは広電のHPに載っています。気になるのは旧型車の廃車が進むことですが、1000型投入により京都1900型や大阪900型が次第に減ってゆくことでしょう。一方広電のお家騒動で突如社長の交代劇があり、広島駅前ターミナル構想が地下駅化から高架駅化に変更されるようでもあり、また運賃値上げや全線均一運賃化も白紙に戻される気配があったりで、いろいろな面で広電は要ウオッチです。本日の中国新聞朝刊を添付します。IMG

可部線電化延伸 正式決定

元旦のおめでたいニュースとして28185にて紹介しましたが、去る2月4日にJR西日本と広島市が可部線可部-河戸間の電化延伸を正式に発表しました。廃止された路線が一部とは言え復活するのは全国初の例となります。今年度中に着工し、2015年春の運行開始となります。中国新聞2月5日朝刊1面の記事を添付します。

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こんなん ありますけど・・・

Doshisha Timesに掲載されたDRFC紹介記事に対する米手作市さんのコメントで、DRFCの会旗にある動輪とレールのデザインを平山氏が作られたということを初めて知りました。平山氏というお名前も名簿に出てこないので全く存じ上げないのですが、あのデザインは旗だけではなく 写真のような会員用のピンバッジにもなっておりました。皆さん覚えておられますでしょうか。米手作市さま、近々平山氏に会われるとのこと、酒の肴にでもしてください。なお現品は クローバー会博物館が完成のあかつきに寄贈すべく 我が家の金庫に厳重保管してあります。

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今でも気になる江若鉄道(番外編)に寄せて

藤本様 江若バスの貴重な写真の数々 ありがとうございます。マイカーならいざ知らず、アクセスが不便な鯖街道沿線での撮影はさぞ大変だったこととお察し致します。ところで滋2い 1073が福山自動車博物館にいたことも知らなかったのですが、それが磐梯東都バスで復活していたとは。と言うのも平成21年7月20日に裏磐梯を訪れた際に出会い、撮影していたからです。まさかあのバスが江若バスだったとは!いやはや驚きました。写真を2枚アップして 御礼に代えます。

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可部線延伸について

クローバー会の皆様 明けましておめでとうございます。昨年同様本年もよろしくお願い致します。引き続き広島方面のニュースを掲示板に載せてゆきますので、コメント、ご意見をお願い致します。2013年冒頭はおめでたい話題をお届け致します。中国新聞1月1日朝刊からの引用です。可部線の可部、三段峡間は平成15年11月30日に廃線となり 9年が過ぎました。可部駅周辺は宅地化が進み、地元からは廃止区間の一部復活を望む声が日増しに高まっていました。ところが一旦廃止された線区を復活するとしても新線建設扱いとなり、新線建設では平面交差の踏切は基本的に認められず、高架化か地下化が原則らしく、この踏切問題で永年紛糾していました。この問題がどのような落としどころで決着したのか不明ですが、いずれにせよ可部からひと駅先の河戸駅までの電化、復活の見通しが立ったようです。2012年度中の着工で2015年度での運行開始ですからまだ先のこととは言え、一旦廃止された線区が復活するのは初めてのようで、新年早々うれしいニュースとなりました。

中国新聞 2013-1-1朝刊

中国新聞 2013-1-1朝刊

可部線延伸2

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