2014~2015年 凍える大地への旅 Part7 三道嶺 4日目 

DSC_0959_100▲ 8:28 遥か西にある三道嶺の朝は遅い。ようやく夜が明け出した暁の頃、停車場には照らし出された白煙が静かに流れる幻想の世界が演じられていきました。
【DATA】 ズーム28㎜、F4、1/15秒、露出モード;マニュアル、露出補正;-0.3段、ISO6400

第6日目 12月31日 その1

昨日はゆっくりとできましたので体調も元に戻りました。今日は三道嶺を終日撮れる最終日ですが、まだ新線を走行する蒸気機関車、そして花火を一度も撮れていません。このままではここへ来た目的を果たせません。今日こそはと、早朝から皆さんと一緒に東站に向かいました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part6 三道嶺 3日目 今日も見えぬ花火

夕刻からの撮影地は、小竹先生が昨夜花火の大爆発が見えたと言われる東露天鉱の信号所付近です。私もお立ち台から見てはいますが、発車時のみだったのと、余りに大きく明るく輝いていましたので花火?とは信じられませんでした。本当なのかどうかは行って見れば分かります。粘ってみました。
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▲ 18:46 粘った最後の走行写真です。牽引機は6209号機。この時は分からなかったのですが、この機が花火を演出できるポテンシャルを持った機でした。

【DATA】 ズーム116㎜ F5.6 1/125秒 ISO4000 露出補正-1.0段
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この列車だけ、信号所で一旦停車して5分後に発車していきました。そしてお立ち台下の急勾配を駆け上がる時に花火が見えだしました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part5 三道嶺 2日目 花火は見えず

DSC_0256_112▲ 16:39 夕刻、斜光となった東露天鉱の信号場を発車する運炭列車。西露天鉱のズリ捨てが廃線となった今、夕陽を題材に撮れる撮影地です。

暮れてからは初めての三道嶺の花火に挑みます。さてどんな花火になるのか楽しみです。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part4 三道嶺 2日目

今日から3日間、終日三道嶺での撮影です。目的は新線の走行写真と花火ですが、新線は運行されなければ撮れません。花火は夕闇になる頃が勝負ですが、どの程度のスケールなのかさっぱり分かりません。見てからの楽しみとしました。

DSC_0133_109▲ 撮影地② 東露天鉱の高台から俯瞰撮影をしていましたが三道嶺の主、アイグリさんより北泉線にプッシュプルが運用準備中との情報が入りました。アイグリさんは回族で多くの友人を持っておられます。蒸気機関車運転手からの直接情報が瞬時に取れますので確実で信用できます。急いで向かいました。
10:45 空車とは言え
42両ものセキを牽引してゆっくりと上り勾配を上って行きます。噴きあがる白煙も見事で撮りながらも見入りました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part3 三道嶺 1日目

DSC_9915_105DSC_9895_100三道嶺の主、アイグリさんから王さんに南站から北二鉱への列車がもうすぐ発車しますとの連絡が入りました。急いで東露天掘り鉱での撮影を切り上げて向かいます。

▲ 16:56 撮影地② Google座標; 43.125831, 92.726284
夕暮れが近づいた頃、南站を出発して北二鉱へとテンダーファーストで向かう運炭列車。今日は風もなく空高く煙を噴き上げてきました。ドレーンは撮影している私たちへの運転士からのサービスです。

三道嶺露天掘り炭鉱は、戦前からの撫順阜新と違って中華人民共和国が建国されてからの1960年に採炭が始まった新しい炭鉱です。そのためか今尚多くの蒸気機関車が活躍しています。
ここへは2011年2月に準特急先輩、クモハ73106さんに連れて行ってもらってから3回目の訪問です。飽きるほど大型蒸気機関車の建設型が見られ堪能していましたが、今回は新しく露天鉱が開鉱されて蒸気機関車が走る運炭新線が開業した。また花火列車が見られるとの情報もあって参加をすることにしました。

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part2 Z69次に乗って哈密へ 蘭新高速鉄路開業!

DSC_9837_101[googlemap lat=”43.132453″ lng=”92.66877999999997″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”15″ type=”G_HYBRID_MAP”]43.132453,92.66878[/googlemap]
▲ 15:39  撮影地① Google座標; 43.131671, 92.668308
夕日を浴びながら東露天鉱積込場から石炭を満載して地上へと上がってくる運炭列車。三道嶺お馴染みの場所ですが、西露天掘り鉱が閉鎖された今、正向き力行で撮れるのはここだけになりました。

 

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2014~2015年 凍える大地への旅 Part1 旅立ち、北京到着

新年好! 昨年はよく動きましたのでしばらく休養を取らせていただきましたが、年末年始は凍える大地の鉄路を求めての旅に行って参りました。驚く発見もありましたので、これより発表させていただきます。
製造67年も迎え老朽化が進み出しました老体ではございますが、身体が動ける元気な間は頑張って大好き鉄路を世界各地のどこまでも追い続けていきたいと思っております。今年もよろしくお願い申し上げます。

DSC_1241_3今年1番目のショットは火の粉を吹き上げながら向かってくる新疆ウィグル自治区の露天掘炭鉱「三道嶺」の運炭列車です。中国語では汽車を『火車』と書きますが、まさにその通りの火の玉列車です。海外鉄ちゃんの間では「花火」とも言い、インドネシアのシュガートレインが有名ですが、ナローゲージの小さな蒸気機関車です。こちらは標準軌の大型蒸気機関車ですのでスケールは比べようもなく、大輪です。
【DATA】NikonD800E、レンズ;VR28~300㎜ f/3.5-5.6G、焦点距離100㎜、AF-C、3Dトラッキング、手ブレ補正ON、露出; f5.3、シャッタースピード;1/25秒、露出モード;マニュアル、露出補正;-1.0段、ISO感度設定;6400、手持ち撮影

この驚きのシーンを動画撮影されておられた同行者がおられます。YouTuduにアップされましたので、是非にご覧ください。もっと、もっとすごいシーンが見られます。下記をクリックしてください。
http://youtu.be/ANFlnrZMoMA

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新年は雪を求めて叡電へ

クローバー会の皆さま、またデジタル元祖青信号の読者の皆さまに、新年のご祝詞を申し上げます。私こと、昨年後半からは、本欄とはご無沙汰が続いていましたが、忘れ去られないうちにと新年早々の投稿と相成りました。60何回も正月を経験していると、月日が変わっただけで、何の行事もせずに無為に過ごす正月ですが、気持ちのなかには新たなものがあるようです。
そんなことを思い巡らせていると、京都は、正月早々から雪となりました。見る見るうちに雪は深くなり、数十年ぶりとかの16センチの積雪となりました。この時ばかりは、家に引きこもりの毎日から決別し、早朝からの外出となりました。行き先は、雪の多さに惹かれて叡電にしました。写真に添えて、ご無沙汰の本欄へ新年第一号としました。

syo150102_037雪は結局、元日の晩には止んだものの、冷え込んだ分、溶けずにそのまま2日の朝を迎えた。手にしたのは叡電一日乗車券「ええきっぷ」、これで主要駅に下車することにする。
最初は定番の八瀬比叡山口、雪の日も、桜の日も、紅葉の日も、数年前から懲りずに通っている。ドーム屋根を通して見る入線・発車のシーンは、いつ来ても惹かれるものがある。今回は、反対側から駅舎をバックに発車する姿も写してみた。723号に付けられたヘッドマークは、テレビアニメ「有頂天家族」のキャラクター電車の終了を記念したもの。
八瀬の駅前は、遊園地、博覧会場、プール、リゾートホテルと、時代、時代でその姿を変えてきた。子どもの頃からよく行った、思い出と重ね合わせていた。

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ドイツのクリスマスマーケットとトラム③

朝早くフランクフルトを出て世界遺産のレジデンツのあるロマンチック街道の北の起点 観光人気のベルツブルグへ向かいます。クリスマスマーケットのオープンより少し早く着きましたので ありがたくトラム撮影の時間が取れました。
↓ 早速やってきたのが少し古風なドイツデザインの236号です。
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ドイツのクリスマスマーケットとトラム②

翌日はフランクフルトからアウトバーンを通ってローテンブルグとニュルンベルグへのバスの旅です。軸重12トン以上のトラックのみ有料というほとんど無料の便利な高速道路は都市間の移動に便利です。
ドイツ201412DSC_1679

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宮城県下の保存C58

tsyrukame様による陸東C58の雄姿を楽しませて頂きましたが、準特急様からのフォローにお応えして C5819など宮城県下で撮影しましたC58の保存車4両をご紹介します。いずれも8年前、平成18年7月に栗駒山登山とくりはら田園鉄道訪問を主目的にした旅の途上で撮影したものです。この旅に関して最も残念なのは 栗駒山登山のために2泊した駒の湯旅館が 平成20年6月に発生した岩手・宮城内陸地震による土石流によって跡形もなく流されてしまったことでした。この山あいの温泉は もったいないと思えるほどの湯量の贅沢なかけ流し温泉で また行ってみたい温泉のひとつでした。そんな温泉が突如消えてしまったのはショックでした。そして平成23年3月の東日本大震災。つい東北への旅が遠のいてしまった感じがします。

さてC58ですが まずturukame様紹介の現役C5819の40年後の姿です。

H18-7-24 西古川駅隣接の公園にて

H18-7-24 西古川駅隣接の公園にて

C5819-2

福知山にもいたカマのようです

比較的きれいな状態で保存されていましたが、ナンバープレートは木製?のイミテーションで、煙室扉に取り付けてある前面のプレートは壊されて半分しかありませんでした。

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ドイツのクリスマスマーケットとトラム①

ドイツ各地では11月末から12月20日頃まで各町の広場にマーケットが立ちます。12月の始めに その賑わいと少しだけトラムを見に行ってきました。
成田からフランクフルトヘ 空港からバスでホテルへ ホテルからレーマー広場へ行く途中のバスで出会った名物の「リンゴ酒電車」です。2連の後ろT車とそれを牽くM車でバスの前方を右方向へ走って行きました。
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C58、こけしの郷を行く-半世紀前-

春に会津線、磐越西線を訪れた1965年、夏には、飯山線、米坂線、そして最後に陸羽東線を尋ねました。米坂線で96を堪能し、坂町から羽越線に乗車。次回、日本海の撮影場所を探しながら、余目へ。撮影にはなかなか難しそうな場所ばかりが目に付きました。そして新庄経由で陸羽東線・中山平(現・中山平温泉)へ。

ここでステーションホテルを駅長に申し出たら、それなら駅長官舎の風呂に入れと、見ず知らずの者に親切な扱い。勿論有難く頂き、蚊取り線香に火を付けてお休み。

翌日、中山平-鳴子(現・鳴子温泉)、中山平-堺田間を撮影後、東北本線小牛田で食堂に入ると、非番で子供連れの、先の駅長さんとばったり。お名前を酒井清人さんと云う。帰宅後丁重なお礼のハガキを出したことを覚えています。

さて、記録写真です。前日、中山平宿泊前に、撮影場所探索の為、鳴子駅まで出掛けました。その時、夕方の鳴子駅に到着の貨物。
▼貨767レ 機C58161【小】 鳴子駅構内 1965.8.17 11233 11233
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備後・備中に消えた鉄道を訪ねて その2 ~井笠の「やってみなはれ」~

 福山、三原、尾道などの備後路は行ったことがありません。しかし、となりの備中にあった井笠鉄道は行ったことはあります。今回、久しぶりに井笠鉄道が走っていたところを訪れることにしました。ここは西村さんにはご迷惑ですが案内をしていただくことにしました。とにかく、お任せです。井笠鉄道も訪れることをしていますので訪問地域は広範囲に及びます。西村さんの車(最新鋭無軌条単端軽油発動車)で各地を訪れることとなりました。まず、最初に訪れるところは井笠鉄道記念館で、場所はかつての井笠鉄道新山駅です。その道中で、三原から尾道までの途中の山陽本線線路際にある「遭難軍人之碑」に行きました。

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石碑のすぐ後ろに山陽本線が走る。

これは西村さんの話によると、明治時代に日清戦争の傷病軍人を乗せた軍用列車がちょうど台風による高波で海岸沿いの線路が崩壊流失を知らずに通過しようとして脱線転覆し乗っていた軍人と乗務員が死亡した為に、その遭難者の慰霊碑だそうです。今は海岸より離れたところですが、当時はすぐ海だったようです。帰ってから国土地理院のHPで閲覧できる古い地図を見ても慰霊碑のあたりはすぐ海であることがわかりました。山陽道は慰霊碑のところより三原方面に戻った所から山側を通っていましたが、鉄道は山側に迂回せずにまっすぐに尾道の街にひかれていました。今、走っている国道2号線はどうも海であったようです。

 まずは井笠鉄道があった笠岡へ急ぐことにしました。福山西ICで山陽道にはいり、笠岡ICで降りて井笠鉄道記念館に行きます。笠岡ICを降りてからのどかな道をしばらく走りました。走っていると、二人とも「線路を走っているみたいやな。ひょっとしたら井笠鉄道の線路跡かなあ。」「いや、もう少し東側を走っていたのでは」とか「左側に見える細い道がそうかもしれませんね。」としゃべってると、知らぬ間に新山にある井笠鉄道記念館に通じている県道48号線と交差するところに来ていました。

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備後・備中に消えた鉄道を訪ねて その1 ~旅のはじめはお船に乗って~

 備後三原に住まいする西村さんから書状をいただき、備後路の旅を計画されてはいかがですかとお誘いを受けました。私は、備後辺りはあまり知りません。以前に「しまなみ海道」を車で走っただけでしたので、よく見てみたいと思っていました。それでどのように行くか考えてみました。旅の楽しみはまず計画する楽しみです。目的地の行き方ですが、新幹線でシャーと行ってしまう方法もあります。これではあまり芸がないので、「旅のはじめはお船に乗って」ということにしました。備後へ行く船があるのかと言う声が聞こえそうですが、実はあるのです。まず、船で四国へ行って、さらにそこから船で芸備や備後に行くのです。最初は伊予鉄や、途中の三津駅、三津浜駅、高浜駅、伊予和気駅などを寄って、そして広島に渡り広電を見たりとあちこちとてんこ盛りにした計画を立てていました。ところで大阪からの船ですが、大阪南港を22時出航で伊予西条近くの東予港に翌朝6時に到着するオレンジフェリーに乗船するということにし、帰りも船で往復割引を適用できるようにと思っていたのです。そうすると、船中2泊と広島、福山での宿泊で2泊ということになります。しかし、あまり家を空けるのも具合が悪いのでフェリーで往復する弾丸ツアーも考えたのですが、ちょうど旅行を予定した日が「しまなみサイクリング大会」で今治から福山まで乗る予定のバスが、西瀬戸自動車道が今治ICから因島北ICまで通行止めのために午前中運休で断念し、西村さんとメールで情報交換しながら最終的には船中1泊と宿1泊で宿は鞆の浦としました。さて、その三原までのルートというのは図のようなものになります。

旅行ルート説明図

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part13 瀋陽⇒大連 瀋陽駅、中国高速鉄路

DSCN634304_1▲ 哈大高速鉄道開業に伴い大幅リニューアルされた沈阳站コンコースのエキナカにあった「招き猫」ショップ、中国語では「招財猫」というようだ。
招き猫の発祥は江戸時代の日本であったそうでWikipediaによると、由来については今戸神社豪徳寺自性院伏見稲荷大社と名乗りを上げてはいますが、何処なのかは定かではありません。ただ陶器としては愛知県常滑市が日本一だそうです。
右手を上げている猫は金運を招き、左手を上げている猫は人(客)を招くとされているそうな、他にも色によっても意味があるようです。
中国でも店屋や食堂でよく見かけますが、なぜにこの駅にこれほどのショップがあるのでしょうか、???です。

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part12 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)を撮る 5号線


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▲ 15:07 トラム撮影に励んでいますと突然に赤い高級車軍団が列をなしてやってきました。
これは「迎新花車」と言って中国の結婚式の伝統的な儀式の1つです。新郎側が用意した飾り立てた紅い車に新郎が先導して新婦の家にお迎えに行き、街中をけたたましく回って披露宴会場へと参ります。そして会場に到着すると、みんなで爆竹を鳴らして盛大にお祝いします。
私も駐在時代に何度か披露宴に招待されましたが、人生の新たな門出にふさわしい派手満点の行事でした。新婚が住む部屋に案内されるのも定番で、新婦の実家ではお祝いに麺を出され食しました。
あまり親しくない人からも招待を受けますのでなぜかなと思いましたら、日本人が出席するのはステイタスの1つだったそうです。また宴会場ではキャンドルサービスで新郎新婦が各テーブルを回りますが、その際にご祝儀を手渡します。金額も日本人なら張り込みますのでこれが嬉しい事でもあったそうです。こんな時はいつも日本流の立派なご祝儀袋を用意しましたが、これが大変に喜ばれました。

こんな光景を見ますと、かつての思い出が浮かんできました。

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part11 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)を撮る 1・2号線

DSC_955320▲ 12:12 撮影地⑦ 尚盈丽景~电车公司 Google座標; 41.658296, 123.389241
バックの木々をご覧のように、この日もすさまじい暴風が吹き荒れていました。
砂塵も舞う悪天候の中、白いトラム016編成が快走していきます。この白いトラムは、現地では白い小海豚(イルカ)と呼ばれているそうです。波を切って行くのが海のイルカなら、陸のイルカは風を切って走ります。白いイルカとは、中々イメージに合った愛称です。485系よりも似合っています。

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D50、D60磐梯山麓を駆ける-半世紀前-

前回投稿会津(滝ノ原)線撮影の翌日、磐越西線を訪れた時の記録です。この線区の機関車は、若松のD50、郡山のD60、それにD51、DF50と多彩でした。その内からD50、D60中心の写真です。

この日は好天で、残雪の磐梯山を終日眺めることができました。先ずは夜明けすぐの貨物。朝日を浴びてD50の登場。
▼貨1282レ 機D50369【若】磐越西線・翁島--更科信号場間 1965.5.5    10606
10606磐越西線が完成した頃から長く、新潟・新津発の上野行き列車は磐越西線経由だったと聞いた(上越線完成後も暫くの間は)が、撮影時は新潟-上野直通列車はディーゼルの『いいで』のみ。若松-上野間は『ばんだい』など5~6往復が存在した。

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2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part10 沈阳有轨电车(瀋陽路面電車)その3、5号線

DSC_935454▲ 18:14 暫定の5号線奥林中心站で発車を待つ白いトラム(015号車)。いずれ駅周辺が整備されれば、1・2号線と同じ場所でターミナルが建設されると思われます。沈阳の夏は東北らしく乾燥していますので蒸し暑い夏にはならず快適です。その代わり冬は積雪もあり、マイナス20℃前後にはなります。新設ターミナルは待合客のために暖房の効いた待合室の設置が欲しいところです。
撮影地 Google座標; 41.743909, 123.448214

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