短期間で終わったリゾート列車
避暑・登山などの臨時列車「リゾート」は、同じ夏臨の「ビーチ・マリン」に比べると、その歴史は浅い。大阪・京都発で見ると、国鉄時代に避暑・登山の専用臨はなく、JR化以降、昭和63年の白馬・信越方面へ直通列車「リゾート白馬」「リゾート信越」が運転されたのが初めてだった。その後、軽井沢方面へ余剰気味の583系を使用した夜行「シャレー軽井沢」、485系の昼行「スーパー雷鳥 信越」などが運転され、拡大を見せる。平成に入ってからは、平成2年に富山地方鉄道乗り入れの「リゾート立山」「リゾート宇奈月」を新設。「シャレー軽井沢」も二段寝台化されるなど、平成4年度は「リゾート」利用者数が最高の4万人を記録したと言う。しかし、その後の景気減退や阪神大震災の影響もあって、需要の微減が続く。平成7年には、女性専用の寝台車を連結した「リゾート白馬」を新設したが、運転直前に大糸線が豪雨で不通になり、一回も運転されないまま全面運休になる不運も重なった。結局、平成10年までに、JR西日本の「リゾート」はほぼ消滅してしまった。
▲定期の特急「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を夏季に区間延長してリゾート地へ向かう臨時列車を運転した。これは、クロ481-2001先頭の「スーパー雷鳥 立山・信越(サンダーバード)」と長ったらしい愛称。平成元年の「スーパー雷鳥 信越(サンダーバード)」が始まりで、富山行きの「スーパー雷鳥(サンダーバード)1号」を延長運転する形で、信越線経由の長野行きとして運転された。この撮影時の平成4年には、付属編成を富山地方鉄道乗り入れの立山行き「スーパー雷鳥 立山(サンダーバード)」として運転・併結したため、この愛称の誕生となった(平成4年8月)。