雨の京阪電車

6月18日の大阪北部での地震に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。19日より大阪へ行っており被害の大きさを痛感しております。
さてKAWANAKA先輩の雨の小湊鉄道(フロントガラス越しのキハ200)に刺激され昨日6月20日の雨の京阪電車をご覧ください。前日からの雨が降り続き 朝から大粒の雨が降っていました。淀屋橋9時30分発の特急出町柳行き 運良く最前列のシ-トに座ることができました。天満橋を発車し地上に出ると雨 運転席はワイパ-がしきりに動いていますが 助手席側は止まったままです。これ幸いとカメラを取り出し対向車を写すことにしました。京橋手前でまず1555号と出会いました。

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記憶の中の京阪電車 Ⅲ

京阪電車について過去2回書込みをしたが、よくよく考えると当クローバー会には、乙訓の長老を筆頭に京阪に超詳しい諸先輩方が多数おられるし、また、同社の元役員、社員の方、現役の方も多数おられるため、私如きが出る幕はないが、まあ8年間も乗っていると、たまには、珍しいこと、思いもかけないことに遭遇するものである。そんな思い出等をあと少しだけ書込みしたい。

1900の試運転

1900については、小林純爾氏が「青信号」やJTB Can Books「京阪特急」の中で詳しく解説されておられるので今更という感じであるが、昭和39年3月23日に撮影した「試運転」の写真が出てきた。1950+1913の2連が枚方市を発車したところであるが、周りの景色も何処となくのんびりしている。

 

 

706と並んだ1950

1800の急行

新1900形と交替して1800系はロングシート化され、一般車となったが、塗装は暫くの間そのままであった。1803-1881+1804は最初からロングシートで作られ、主に急行に使用されていた。

 

1809他5連の急行   昭和41年2月19日     丹波橋

 

最初からロングシートの1804  昭和41年2月15日     丹波橋 

スカートの無い2200

2200を初めて見たのは、昭和40年1月8日、3学期の始業式の日のことである。この日は授業がなく午前中に自宅に帰れるので、午後は京都駅で臨時列車の撮影を計画していた。電車が深草を通過した時、東側の留置線に停まっている車両(2205+2255)を見て、昼食もそこそこにカメラを持って深草に引き返した。最初見たときは2000と変わらないと思ったが、初めて営業運転で見たときスカートが付いていたので、逆に吃驚した。

 

 

昭和40年1月8日  深草

宇治線の300形3連

昭和39年頃の宇治線の朝ラッシュ時は殆ど300形3連であった。六地蔵辺りで満員になり、桃山南口、観月橋では超満員、ただでさえ小さな木製車体ははち切れんばかりであった。特に着膨れシーズンともなれば車掌さんは正に命がけの勤務であった。

 昭和39年3月20日  中書島

1000系5連の急行

昭和39年頃、1000系もよく急行運用に入っていた。この編成は中間に1200形を挟んだ綺麗な貫通編成であるが、それ以前は500形がよく入っていた。 

 

昭和39年11月3日   滝井

過渡期の1000形

1000形と1100形は運転室側にジャンパ線がなく、編成の中間には連結できなかったが、運用上不便なため昭和40年頃からジャンパ線の取付け工事が始まった。写真の1005は、準備工事としてジャンパ線の取付座が設置されたところである。

編成の先頭の1204は正面の窓枠がアルミサッシ化され、貫通扉が金属製のものに取り替えられている。

 

昭和41年1月15日  丹波橋