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カラフルなディーゼルカー(気動車、以下DCと表記)のこと
蒸気機関車牽引の旅客や貨物列車の撮影によく出掛けました。それらの合間には、どの線区でも必ずカラフルなディーゼルカーが通過しました。蒸機列車と違い、バックを気にしなくてもよいし、なによりも周囲の風景によく溶け込んで見えました。それは当時の日本の風景の一つでした。でも我々は当時、貧乏学生か薄給な勤務初年兵であり、高価なカラーフィルムをふんだんに使えません。蒸機以外は撮影しないことにしていました。それでも時々気が向けば、通過する通勤通学や優等列車のDCにカラーフィルムを消費していました。
そんなポジフィルムが、およそ300コマほど残っています。拙著HP『蒸気機関車山路を行く』のテーマから外れているので、アップもしていませんでしたが最近、ページ稼ぎに『カラフルDC』としてアップしました。幸いカラーの損傷が少ないので見ることはできますが、如何せんバカちょんカメラに中程度の撮影技術。お目にかける代物ではない物も多いのですが、ご辛抱ください。また、DCの形式説明などに誤りなどがあるかと思います。ご遠慮なくコメント欄等でご指摘ください。お願いします。
まずは、加太会で撮影した関西線加太付近のDCからです。
1.加太会発足の日、320D湊町発亀山行き、キハ35が画面左へ25‰の坂を下ります。
2.同日323D、昼前の亀山発湊町行き。キハ35とキハ20の混編成です。
3.明けて1965年2月28日。206D準急「かすが1号」です。キハ55、キロハ25など。後部には、2両のキハ17が併結されています。まさか客扱いはしていないように思われます。翌日からのダイア改正に備え回送かもしれません。この日は、例の2442レ「鳥羽快速」の運転最終日でした。「かすが1号」の8分後に撮影地を通過しました。最終日の蒸機はC57148で、現在大阪の共永興業株式会社の本社ビル内に陳列されています。同社の本社ビル完成記念に整備陳列したものです。同時発行の「永遠に走れ!われらの蒸気機関車」と題した箱入りSPレコード付記念誌が手元にあります。
一日の撮影終了後、関駅まで出て、文字通り最終の2441レで山陽本線兵庫まで乗車帰宅しました。1964年4月入社の初年兵は、毎朝兵庫から大阪まで、「鳥羽快速」で通勤し、時に帰りも同列車でした。11ヶ月間の客車通勤もこの日でおしまいでした。
4.中在家信号所の334D湊町発名古屋行き、5時間近くの運転です。画面奥の待避線で335Dと交換し、手前の待避線にバックで進入、再び方向転換して坂を下って行きました。
5.DC列車は併結・分離が得意で、分岐駅の多い関西線にはそんな列車が沢山通過しました。 これもその一つ、準急「平安1、かすが1号、はまゆう」の奈良、白浜、京都行きです。キハ55、キロハ25などが見える10両編成です。
6.同日332D、キハ35の4連です。農家は稲刈りです。刈取り機から粉塵が上っています。懐かしい日本の風景の一つです。
7.同様の334D、今度はキハ20との混成5連です。
次回は、特急「あすか」や急行に格上げされた「かすが」、「はやたま」などをお目にかけます。