第11日目 5月28日
① 平安14:08(114次)→14:35王營(Bus)→15:32阜新
② 阜新19:00(2106次)→10:17北京北
モーニングコールよりも早くに起き上がれました。ロビーに下りると既にF先生とO氏のお二人さんともお待ちでした。
今日お二人は、阜新から瀋陽に向かわれ、乗換えてハルピンへ。一泊されて翌朝のCZ便で帰国されます。一方の私は、夜の夜行列車で北京に戻り、いつもの一人旅となります。
▲ Taxiを待って昨日同様の平安駅踏切に着きましたがご覧のとおりの夜明け前です。写真は3:56、ISO3200、F5.6・1/40の手持ちで撮っています。
▲ 4:20、ようやく入替作業の開始、昨日と違ってスモッグが濃いようです。まだ薄暗いのに機関車の前照灯は消していました。入替機は1319号機。
▲ 5:13、1319号機が入替作業を終えて一息つく頃に朝日が雲間から顔を覗かせました。
▲ 5:20、ヤード横からの1460号機が後ろ牽引でズリ捨て線を上がっていきました。
▲ 7:06、朝日が差し込む平安站に到着した988号機牽引の職工通勤列車。
お2人が帰途につかれた後、平安站からまだ行っていない王營站までを乗車してみることにしました。
▲ 平安~王營間は工場、住宅街の中を通って14:25に王營站に到着しました。所要時間27分間の短い乗車時間でした。乗客の殆どは終点一つ手前の民主站で降りて、王營站では私一人の下車でした。王營站は採炭場があるのみで見渡す限りのとうもろこし畑が広がっています。折り返し列車は17:28。蒸気もいなく時間があり過ぎるので職工さんに近くのバス停を教えてもらい阜新站に戻りました。 王營站はこちらです。
阜新站からはバイクTaxiに乗って新邱からの帰りに見た上遊型が放置されていた高徳站方面に向かいました。
▲ 16:30、高徳站に到着。O氏が運行しているかどうかを確認したがっておられた海州露天鉱方面からのズリ満載の5両編成が入線していました。牽引するのは、この炭鉱線で最も綺麗と思われる1320号機。しばらくすると新邱方面へと走行して行きましたが、この方向にはズリ捨て場はなかったはずで、一体どこへ向かったのか疑問が残りました。本線上をヤード方面に向かうのは、1460号機牽引の空車のズリ6両編成。と言う事は、新邱方面に見過ごしたズリ捨て路線があるようです。
▲ 探していた上遊型の廃車は、ヤード方面に約10分歩いた所にありました。911、989号機と番号不明のもう1台の計3台が放置されていました。本線上との塀のかさ上げ工事をしていた職工のお兄さんには写真を撮って欲しいと頼まれました。ついでに入っておいでよと誘ってくださいます。上遊型の他にもかなりの車両が放置されていて見てみたかったのですが、見るとかなり時間がかかりそうなので、丁重にお断りして先を急ぎました。
【海州露天鉱国家鉱山公園】
さらに線路沿いをヤードに向けて約20分を歩くと海州露天鉱国家鉱山公園に着きました。海州露天鉱はかつてアジア最大の露天鉱と言われ、阜新は石炭によって立ち、石炭によって栄えました。2005年、資源枯渇のために一応閉鎖されましたが、その歴史を保存する記念館が開設されていました。地図はこちらへ。
▲ 幅4×2キロ、深さ250mもの広大な露天掘を一望できる展望台があり、かつての路線跡も見ることが出来ました。そして公園内にはかつて露天鉱で活躍した車両の展示もされていました。
▲ 露天鉱で使用された連接式のZG150-1500型電気機関車、韶峰028号機。1972年製造、でかい!
【ZG150-1500型】
直流1500V、 全長;20.26m、幅;3.20m、高さ4.77m、自重150㌧、軸配置;B0-B0-B0、1時間定格出力;350kw×6=2100kw、1時間定格引張力;256KN、軌間;1435mm、最小走行半径;80m、最高速度;65km/h、撫順露天鉱等主要炭鉱で使用された。
【推土犁 Bulldozes the plow】
全長;14.41m、幅;3.604m、高さ;4.456m、自重95㌧、ズリ線のラッセル用。自走は出来ず機関車に牽引してもらいます。
▲ 巨大なパワーショベル、ラッセル車、1974年製の上遊型1395号機。
もう少しゆっくりと見たかったのですが、夜行列車の乗車時間が近づいてきました。阜新站へと急ぎました。 Part16 へ続く