Part15を投稿してから1ヶ月あまり経過してしまった。中国版新幹線の追突事故発生があって控えていたわけではなく、次の旅の準備に追われ、また大の野球好きですので連日好戦の続く高校野球に見入って、単にサボっていました。申し訳ありません。続編を掲載させていただきます。
前回の紀行分 Part15はこちらです。
第11日目 5月28日 阜新19:00(2106次)→10:17北京北
阜新の海州露天鉱国家鉱山公園での撮影を終えTaxiに乗って、17:45に阜新站に着きました。
1929キロ先の上海往復の所要時間約25時間を筆頭に上下20本が発着する阜新站の待合室は、1階のみで他の中国鉄路站同様に天井が高く十分な広さがあります。
▲ 改札までの間、お話していた先頭で並ぶ可愛い3人姉妹、親戚の家に遊びに行くといっていました。発車35分前に改札が開始されましたが、春節時期と違って走る人もなくゆっくりの乗車光景でした。
▲ 阜新から北京北までの乗車するのは、DF4Dが牽引する2106次。走行線区が変ると列車番号も2107/2102と変ります。通常は12両編成のようですが、この時期は乗客が少ないようで硬座寝台1両と硬座車1両の連結はなく、10両編成ですが、2号車は列車乗務員用ですので、乗客利用は8両となります。
【東風DF4D型 電気式ディーゼル機関車】
1998年から客車用は最高速度145km/hで580両、貨物用は最高速度100km/hで206両が製造されました。全長21,100mm、車軸配置Co+Co、動輪径1,050mm、重量138㌧、軸重23㌧、最小通過半径145m、エンジンは英国リカルド社からの技術協力を受けた出力4000HP、モーター出力2425kwが搭載されています。
東風DF4D型には、この他に多くの改良型が存在します。
1999年には、エンジン出力4400HP、モーター出力2980kwにアップした最高速度170km/hの準高速DF4DK型が登場し333両が製造されています。車番は3001~3333で塗装が日本の旧国鉄特急色同様のヒゲ付きとなり、現地ファンでは「花老虎」と呼ばれています。同年には、貨物用として最高速度80km/hながらモーター出力3180kwにアップし牽引力重視のSF4DD型(4000番台混在)が226両製造されました。こちらはダークブルーのツートンカラーに塗装されています。その他にも試作車等の54両が製造され、総製造数は1399両と無電化区間の主力になっています。
2106/7/2次は、阜新→北京北間の772キロを15時間9分、表定速度約52km/hでゆっくりと走行します。
19:10、 変らぬ車窓には飽きて、楽しみの食堂車に出かけましたが、利用客は皆無です。客がいないので、調理人もヤル気を失せたのか注文できるのはわずかでした。
夕食後は疲れも溜まっていたのか快適な軟座寝台で爆睡 翌朝は夜明けの5時には目覚めました。
▲ 列車は、ゆっくりと錦承線の山間を走行して北京へと向かっていきます。
▲ 通過する途中ローカル駅の駅舎は様々の様式です。
▲ 6:45、食堂車から朝食の車内販売がやってきました。メニューは、お粥定食の1種類のみ。
コンパーメントで同室だったおばあさんは、しばらく会っていない娘さん夫婦に会うのが楽しみだと言われて、北京に近づくにつれて顔をほころばせておられました。
▲ 10:17、定刻に北京北站に到着、おばあさんは、車内まで迎えにこられた娘さんに寄り添って出口に向かわれました。
▲ 北京北站には、北京市の2級保護文物に指定されている旧京張鉄道時代(北京~張家口)の旧西直門駅舎、ホーム屋根と跨線橋が保存されています。
▲ 旧京張鉄道には今も残る万里の長城の最寄站の八達陵スイッチバックがあります。アメリカから輸入されたマレー機も活躍しました。
今日の泊まりは中国での故郷、天津です。北京南站に向かう途中で今まで行っても閉館だった中国鉄道博物館正阳門館に立ち寄ることにしました。