5月の台湾(5月4日)その2

2日目は藍皮解憂号の乗車です。
コロナ真っ只中の2020年、南廻り線の電化完成により同線で残っていた3671、3672次普快列車の運行停止で旧型の客車も終わりかと思われましたが、一日一往復の観光列車、藍皮解憂号として運行が継続されています。これは乗る値打ちがあります。藍色の重連ディーゼル機関車と旧型客車5連、撮るだけで十分と思いましたが、固定窓の車両や通勤電車とは違います。乗ってよかったと思いました。残してくれていて有難う、と言いたいです。
▲台東行きの藍皮解憂号を金崙大橋の上から撮ります。

続きを読む

5月の台湾(5月3日)その1

莒光666次を始発潮州から終点台東まで12時間乗り通します。週末の金曜日のみ運行されている座席夜行ですが、貴重な定期運行です。近いうちに動力集中式の電車E1000型(広義には前後に機関車が付いた客車か)運用に変わるとの報もあります。台湾を九州になぞらえると、例えばですが、鹿児島の東、国分か隼人から鹿児島、熊本、博多、大分を経て宮崎に行くような列車です。潮州から台東までは南廻り線の自強号(特急)に乗れば、遅くとも2時間かかりません。国分か隼人から宮崎まで特急きりしまに乗ってもそんなものでしょう。それをわざわざ遠回りする莒光号に乗るのも我ながら物好きと思います。わざわざというか全線乗り通す客は想定しておらず、高雄など南部の都市から台北など北部の都市に夜遅くに到達するのと、夜行列車として台東をめざすのは同じ列車でも異なる使命を併せ持っていると言えましょう。さて莒光号の客車は、リクライニングシートもよく倒れ、快適な乗り心地なのですが、空調を効かせ過ぎで寒すぎます。そんな時に限って車掌がつかまらない。他の人も申し立てないのか、言ってもどうすることもできないのか、着込んで耐えている人が多かったように見えました。かつての客車急行のように長時間停車もありません。莒光666次は、潮州を17時35分に出発、高雄18時18分、台南19時、嘉義19時50分、彰化20時57分、台中21時15分、新竹22時35分、台北23時55分、宜蘭1時47分、花蓮3時5分、玉里4時37分、終着台東には5時48分に着きました。

▲始発、潮州駅で出発を待つ莒光666次 続きを読む

駅名喫茶店(第106回:神戸市営地下鉄の駅名)

神戸市営地下鉄には、西神・山手線(通称名)、北神線、海岸線の3路線があります。

京都市営地下鉄線、大阪メトロ線、神戸市営地下鉄線を完乗しましたので、次は名古屋市営地下鉄でも乗りに行きましょうか。

続きを読む

 札幌の路面ディーゼル車 ~路面電車あれこれ噺⑯

今回は。昨2023年5月に亡くなられた吉田耕司さんのネガから、札幌市で走っていた路面ディーゼル車を見ていただきます。吉田さんは、DRFC現役時代には、各地を旅行され多くの鉄道写真を残されました。このたび、ご遺族から米手さん経由でネガをお預かりしデータ化しました。なかでも昭和40年に北海道へ行かれた際に、札幌市交通局の鉄北線を走っていたディーゼル車を撮られていて、その一部は現在発売の「鉄道ピクトリアル」6月号「札幌都市圏の鉄道輸送」にも、ご遺族の了解を得て掲載することができました。日本では唯一の路面ディーゼル車を今回は見ていきます。札幌市の北部を走る鉄北線は、順次延長されて、昭和34年に北二十七条、昭和38年に麻生町、そして昭和39年に新琴似駅前まで延長された。北二十七条以北は、人家もまばらで、コスト節減のため非電化で開業した。すでに昭和33年から路面ディーゼル車の製造・増備が進められており、鉄北線延長後は同線に集中して使用された。

続きを読む

愛知県の気になる乗り物

少し前の話となりますが、青春18きっぷを使って愛知県の気になる乗り物に乗ってきました。
東海交通事業城北線、リニモ、ガイドレールバスの3か所です。このうちガイドレールバスは鉄道の範疇に入るのかと気になったのであえて気になる鉄道ではなく、気になる乗り物とした次第です。
最初に訪れたのは東海交通事業城北線です。名古屋の隣の枇杷島から中央線の勝川に行く全長11.2kmの路線です。名古屋という大都会を走るのに愛知県唯一の非電化路線です。開業は1991年と新しく、当初は瀬戸までの計画路線でしたが、勝川以遠はその後工事は凍結されたままになっています。
↑ 枇杷島駅:名古屋方面と線路はつながっていますが直通列車はありません。地平の駅を出ると東海道線を越えて高架となります。
続きを読む

大相撲夏場所が始まりました。

過日の日経新聞に相撲列車という記事が載っていました。車輛については書かれていませんが、裸の力士が通路に座っているというのと、やはり二人席を一人で使っている画像が面白く転載してみました。室内妻面の色から車輛は185系と思いますが、客車時代の団臨相撲列車は楽しい混成の編成が組まれていたんでしょうね。

 

 50年前の広島電鉄市内線 ~路面電車あれこれ噺⑮

広島電鉄市内線では、広島駅と直結する駅前大橋線の新設工事が最終盤を迎えています。デジ青でも、西村さんからの現地レポートがあり、ネットニュースでも進捗状況を確認しています。新しくできる広島駅ビルの2階まで高架で乗り入れ、改札口を出たら、すぐ市内電車に乗れる、本当に楽しみです。その開業まであと一年となりました。

さて、私が初めて広島を訪れたのは、昭和30年代の後半でした。被爆直後にできたコンクリートの固まりのような小さい駅舎を出て、市内線に乗って原爆ドームへ行きました。まだ単車が走っていたことは覚えていて、駅前の闇市のような商店街とともに、失礼ながら、発展から取り残された田舎都市の印象を受けました。その後も呉線の蒸機撮影で何度も広島に下車していますが、路面電車は撮影の対象ではなく、やっと写したのが昭和49(1974)年のことでした。ちょうど50年前のことになります。その後、広島へ来ることになる1900形は、まだ京都市内を縦横に走って活躍していた時代で、広島は、戦前、戦後の自社製造車や、大阪・神戸から来た電車で占められていて、“軽快電車”と呼ばれた新型車両のデビューもまだでした。では50年前、広島市内で見られた電車たちを見て行きます(以下すべて昭和49年9月)。

50年前の広島駅前で発車を待つ市内線、右の504号500形は、昭和28年の自社発注車、501~505があった。京都市電800形と酷似の広電800形を継承したスタイルで、こちらも京都市電に通じるところがある。左の766号750形は、もと大阪市電1600形などで、いずれものちに廃車されている。

続きを読む

 名鉄岐阜市内線 “長良線”  ~路面電車あれこれ噺⑭

準特急さんの「お城と鉄道」特集号に多くの応援コメントが入りました。皆さんの関心の高さを思いましたが、なかでも、西村さんや紫の1863さんから名鉄岐阜市内線のレポートがありました。金華山の岐阜城から市内線を超俯瞰した写真もあって興味深く拝見しました。岐阜市内および近郊へは多くの路面電車が走っていましたが、市内中心部で最初の廃止が、この岐阜市内線の徹明町~長良北町、通称“長良線”でした。廃止は1988(昭和63)年6月で、ことしで36年目になります。私も一度だけ、短時間でしたが撮ったことがありました。 岐阜の繁華街である柳ヶ瀬から、写真の岐阜城のある金華山のふもとを通り、長良川を渡って岐阜市北部を結んでいたのが“長良線”、城下町・岐阜の歴史ある町並が続いていた(昭和50年12月)。公園前

続きを読む

 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ①

阪堺電車、大阪メトロ、南海を記録する

5月に入って連休期間中、いい天気が続いています。連休の人出とは、関わりを持たないようにしている高齢者ですが、新緑と青空を見ると、ついカメラを持って外へ出たくなります。デジ青投稿最高齢を誇る準特急さんも、散歩がてら近くを徘徊するとコメントに寄せられています。準最高齢の私も、これに刺激を受けて、昨3日(金)は大阪へ出掛けました。大仰なタイトルとなりましたが、要は、準特急さんのように、日常の鉄道をこまめに記録しておくこと、さらに自分なりの撮影スタイルもプラスすることが大事と感じた一日でした。皆さんからも、日常の鉄道、ぜひ投稿お願いします。最初はコレ、阪堺では連休期間中、旧型車モ161を連日運転するとリリースされていた。午前中に、我孫子道~浜寺~天王寺駅前を2往復するもので、あべのハルカス狙いで行ったが、間に合わず、途中の併用軌道区間となったが、クルマにも被られず、赤電カラーの162号を、まず一枚。

続きを読む

2箇所で撮った名鉄モ750形

「お城と鉄道」では思わぬところで岐阜金華山の岐阜城が紫の1863さんや西村雅幸さんから市内線の電車とともに紹介があり、さらに話が谷汲線まで飛んで嬉しい限りである。岐阜市内、揖斐線、谷汲線で活躍したも510形とともに最後まで残っていたモ750形についてもその前に活躍していた瀬戸線のそれも同番号で紹介するが尾張や美濃を75年間も走り去った老優であった。

モ750形は1927(昭和2)年、旧名古屋鉄道デセホ750形として10両製造された。本線昇圧後広見線系統、その後瀬戸線に移り活躍した。そして瀬戸線昇圧で揖斐、谷汲線に転属し2001年9月30日両線の廃止とともに廃車となった。モ755は旧谷汲駅舎とともに保存されている。

 

1972.9.11 瀬戸線尾張旭₋三郷間 準急瀬戸行きモ755+ク2222 後のガソリンカー改造と思われるクハが気になる。▼

続きを読む

スカイレールが運行終了しました

代行手段の電気バスの準備が遅れたために、スカイレールの廃止日が延期されていましたが4月30日をもって25年余りの運行が終了しました。

令和6年5月1日 中国新聞朝刊

なお、ゴンドラが「ヌマジ交通ミュージアム」に寄贈予定とされています。「ヌマジ交通ミュージアム」とは、かつて「広島市交通科学館」と呼ばれていた施設で、アストラムラインの長楽寺駅すぐそばにあります。アストラムラインの車両基地に隣接しています。交通科学館ですので、陸海空すべてが対象で、どちらかというと子供向けの体験型施設です。屋外展示ですが、広電650型654号が保管されています。「ヌマジ」とは何かと思われるでしょうが、命名権料の関係で現在の施設名に変わったのですが、「ヌマジ」とは「沼田自動車学校」の略称で、地元の人にしかわからない 一般受けしないネーミングです。

広電原爆ドーム前電停から少し北に公園内を進むと、「広島市こども文化科学館」横にC59161が保存展示されています。それを見て、紙屋町か県庁前からアストラムラインに乗って長楽寺に向い、ヌマジの654号を見学するのもいいかもしれません。

2024年春 桜前線追っかけ旅 長良川鉄道

今年も桜前線追っかけ旅をしたいと計画を練り出しましたが今年は桜の開花時期が遅くなって各地の満開時期が読み切れません。また、いつもは車に乗って出かけていましたが高齢を意識するようになって長距離を運転する自信がなくなってきました。
1カ所に絞ろうと昨年雨に降られて悔しい思いをした長良川鉄道北濃へのリベンジを果たしたいと決めました。問題は桜の開花状況です。いつものように近くの事務所や飲食店を探して実際の様子を聞いてみることにしました。
電話を入れたのは撮影予定地の向かいで昨年昼食を食べた道の駅「清流長良川 あゆパーク」です。返ってきたのは「今年は桜が咲くのが遅く心配していましたら昨日に突然咲き出して今日はあっという間に満開になりました。来られるなら直ぐが良いですよ。」との事で、びっくりしました。直ぐに出かける用意をしました。
▲ 昨年4月6日に訪問撮影しました。ただ残念ながら霧雨模様の天候で望んでいた光景にはならず、春の日差しの中で撮りたいとリベンジを誓いました。今年は天気も良さそうですので予約はしていませんが粘るつもりで宿泊の用意もして楽しみに出かけました。
続きを読む

2024年春のミニイベント「比叡山を巡る鉄道」

今回の春のイベントは、電車・ケーブル・ロープウェイ・ハインキングで、「比叡山を巡る鉄道」企画しました。実施日の2024.4.13(土)は、お天気にも恵まれて、絶好の行楽日和で、9名の方の参加をいただき、開催いたしました。
コースは、①集合 叡電 出町柳駅→八瀬比叡山口駅、②比叡山ケーブル 八瀬ケーブル駅→ ケーブル比叡駅、③比叡山ロープウェイ ロープ比叡駅→比叡山山頂駅 ④比叡山延暦寺他周辺散策(バス・ウォーキングのコースに分かれて) ⑤坂本ケーブル ケーブル延暦寺駅→ケーブル坂本駅 解散 です。
当日は、9時半に出町柳駅に集合出発し、電車・ケーブル・ロープウェイとも順調に乗車でき、また行路途中に京都市内の景色も十分に眺めることが出来ました。(前回私が来たときは、紅葉シーズンでもあったため、時間が少し遅かったのもありますが、各々の乗り物に、2便乗車待ちがありましたので) そして山頂駅到着後、①ウォーキング組4人、②バスで横川方面に行く組5人と分かれて行動することとなりました。私は約1時間のウォーキングで延暦寺を目指すコースを選択しました。
ウォーキング(ハイキング)コースで一路延暦寺へ。途中かなりの人がハイキングそしてジョギングを楽しんでいました。延暦寺では、根本中堂の改築風景見学、そばを食べて、集合場所である坂本ケーブル、ケーブル延暦寺駅へ。集合時間の14時より早い時間に到着し、延暦寺駅舎内を見学。駅舎は開業(昭和2年)当時からそのままで、重要文化財とか。駅舎の中は、資料館となっていて、また3階の屋上も整備されていて、びわ湖・大津市が眺望できます。そうしている内にバス横川チームも合流し、駅舎をバックに記念撮影。
坂本ケーブルは、全長2,025mあり、日本一長いケーブルです。びわ湖を眺めながら、坂本駅へ。坂本駅で解散して、京阪・JRへのバス組と歩きの組と分かれる予定が、日吉大社山王祭とのことで、バスは運休していました。よって全員徒歩で駅を向かうこととなりました。日吉大社の入り口あたりから、歩行者天国となっており、露店も多く出店しており、すごい人出ででしたが、枝垂れ桜をみながら、一路京阪坂本比叡山口駅へ。なお打ち上げは、京阪山科駅近くの居酒屋で開催し、疲れを癒やしてから解散となりました。皆さんお疲れ様でした! 安達

 桜とともに散っていった車両たち

桜も散って、いまは新緑真っ盛りですが、15年ほど前の桜ネタで、とにかく掲示板の空きを埋めて行きます。いつもどおりの変わり映えのない写真ですが、車両だけは、もう見られません(過去の投稿済みも含まれています)。

桜のシーズン、叡電とともによく行ったのは、阪急嵐山線の桜だった。以前、阪急沿線に住んでいた時は、乗車時間10分余りで、上桂、松尾と、桜が満開の駅へ行くことができた。なかでも運行標識板の2300系は、マルーンの車体にホントに桜が似合った(2007年4月)。

続きを読む

 「お城と鉄道」 発売 !

本日、主要書店でいっせい発売の「レイル」130号に、わが準特急さんが企画・原稿・写真を担当された「お城と鉄道」が30ページにわたって掲載されています。一日千秋の思いで、各方面から発売が待たれていた待望の特集です。

「お城」と来て、ピン!と来る方は「デジ青」読者の証拠、そう2022年7月から、掲示板に「お城と電車」のシリーズで25回に渡って連載されてきました。今回の記事は、「デジ青」をベースに、さらに加筆追加されたもので、タイトルも「お城と鉄道」と広範に、鉄道に近接した城、残存天守閣のある城に分類されて、全部で26の城が紹介されています。

準特急さんは、車窓から城が見えることに着目されて、ライフワークとして、全国各地に何度も取材、撮影に向かわれていました。文章については、準特急さんならではの城に関する知識、雑学が満載。「デジ青」でも強調されているように、鉄道を語ろうと思えば、車両の知識だけではなく、鉄道の背後にある歴史。文化など、あらゆる事象を知らないと鉄道は語れない、その発露に他なりません。また写真については、高校生、DRFC現役時代から、ずっと撮影を続けてこられた準特急さんならではの厚みが感じられます。併用軌道を行く京阪2000形と大阪城、江戸城桜田門付近の都電5000形、田んぼばかりの近鉄竹田付近の背後の伏見城など、昭和40年前後の写真は、準特急さんならではです。ためしに、30ページ分の撮影日を分類すると、なんと延べ40日にわたって撮影に行かれて、その熱意、行動力には脱帽です。始まりは高松城から。堀端を走るのは元京急230形とは、昭和の電車大好きの準特急さんらしい。

もうひとつ準特急さんを喜ばせたのはクローバー会を中心とした皆さんの写真提供だとおっしゃっています。松山城だと、お城の前を走るのは旧色時代の元京都市電2000型と、ズバリの写真が提供されています。同じ四国では、土器川橋梁を渡るDF50と丸亀城と言う、今まで見たことが無い写真も提供されました。今回の特集は、準特急さんの力によることは言うまでもないことですが、これらクローバー会の連帯感で実を結んだことは、たいへん嬉しいことです。ただいま、全国の主要書店で発売中です。ぜひお手に取って見てください。

桜関東版

歳は取り過ぎてもかろうじて桜と電車を撮った。総本家さんの毎度見事な撮影に対し怖気づいているが関東では元気な快速つくばねさんが発表されてホッとした。もう新緑鮮やかな時期で今さらなんやと言われるが私の桜も見ていただきたく発表した。足腰が確実に弱くなっているので小湊鉄道や秩父鉄道にはちょっとしんどいのでワンコイン範囲内での撮影である。

近場でいつも行くのが、井の頭公園、高井戸、稲城、武蔵関、相武台前あたりであるが、今回は歳のせいか撮影回数も少なくなった。

最初は4月7日の西武新宿線東伏見-武蔵関間でここは桜がたっぷりあり駅から近いので年寄り向きだが一般客も多い。西武30000系の各停西武新宿行きでスマイルトレインと言われているがあまり好きになれない。▼

続きを読む

 歳は取っても やっぱり“桜”

いい季節になりました。京都では桜も散り果て、もう新緑が目に鮮やかです。日頃は日陰でくすぶっている高齢者も、外へ出て陽を浴びたくなります。先ごろ少数精鋭(?)で行われたクローバー会の比叡山ツアーも楽しいものでした。ところが「デジ青」は“冬眠”が続いています。準特急さんからは「もっと発表せぇ~」とハッパを駆けられ、私も日頃のカビだらけの写真は止めにして、この10日間の今年の“桜鉄”活動をご覧いただきます。定点撮影のように、毎年、同じ写真ばかり、一向に進歩のない撮影ばかりですが、高齢者は、これでいいのです。同じ場所へ毎年行けるのが、何より元気な証拠だと実感します。皆さんからも、春の活動レポート待ってます。今年も来ました岩滝口、ぶんしゅうさんと一緒に行って以来、惚れ込んだ京都丹後鉄道の岩滝口駅、丹鉄の前身となる宮津線が開業100年に当たるため、4月14日にはイベントも行われた。イベント参加はそこそこに、午後はやはり岩滝口へ足が向く。列車を降りて10秒、ホーム端から、いま満開のしだれ桜を入れて撮れる。

続きを読む

新刊本のご案内

当会では昔から熱心な活動で時々デジ青にもバスを含めて古い車両を紹介されている藤本哲男さんがこの度この世界では有名な諸河久さんと共著(写真・諸河久、解説・藤本哲男)で「地方私鉄の記録第2巻北関東編」をフォット・パブリッシングから発行されました。

藤本さんのプロフィールには同志社大学鉄道同好会HP「デジタル青信号」に多数投稿とあります。諸河さんは路面電車に造詣が深いとご本人から聞いたことがありますが、藤本さんとの出会いは60年前のお互いが高校生時代に京都五条坂の「タカハシ写真店」で店主の高橋弘さんから講義を受けて以来とのことです。

さすがにプロと言われるだけの内容ですが、何よりも定価が安くお買い得の内容と思われますので一度ご覧ください。

 

久しぶりにお会いした親友

今年は3月が低温だったせいか桜が新入学の時期までもったようで今日は入学式があったのかランドセルを背負った小学生を見ると微笑ましく感じました。さて、皆さんもそんな桜と電車を写しにあちこちに出かけられたことでしょう。よくワクヒロさんが近鉄電車と桜を発表されていたことを思い出します。皆さんの作品も老人投稿の間隙を縫ってデジ青上で発表していただきたいですね。大体は近場でどこに行くか予め決めておられると思いますが、関東では東中野や池上線の石川台付近が定番でしたが最近は木が伐採されてアウトです。井の頭公園や高井戸-浜田山、駒場東大前などにはよく出かけますが、今日は高井戸-浜田山間の有名な定番撮影地の踏切で鉄研三田会の不錆鋼さんに出会いいろいろと話が進みました。遅い昼食もご一緒させていただき楽しいひと時が過ごせました。不錆鋼さんはDRFC-OB会に参加していただいておりますが、東急におられた関係もあり伊賀鉄道のイベントでも大変お世話なりました。(私より若い)DRFCの訪台したメンバーの話も聞かせていただきました。先日のクローバー会写真展も鉄道友の会京都支部の会合の参加の前に見学されております。湯口さんが上京された折に元三田会会長の高井薫平さんとのお酒の席に不錆鋼さんもよく同席されたそうです。それでは今日は曇天気味でしたので2年前の令和4(2022)年4月2日に撮った高井戸-浜田山間の1779先頭の急行渋谷行きを貼り付けます。