駅名喫茶店(第88回:「口」を含む駅名)

最近、阪急線に乗車する機会に恵まれましたが、「川西能勢口」や「西宮北口」、「苦楽園口」等、「口」を含む駅名を多く拝見いたしました。ということで、駅名喫茶店、久しぶりの開店です。駅名改称により誕生した「口」駅名も数多く見られます。

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スクラップブック 1 新幹線編

一体いつ頃から鉄道関連記事のスクラップを始めたのか、その1ページ目は昭和35年8月18日「山陽線で貨車脱線転覆」だった。尾道付近の本線上を走行中のD52牽引の幡生発、大阪中央市場行き鮮魚列車が置き石のために脱線転覆した事故の記事が第1ページを飾っていた。この事故は中学二年生の犯行で、後に岡鉄局は66,460,540円を請求している。

これらを一挙に公開は大変なので、事件・事故、開通、私鉄、その他などの話題毎にまとめてゆっくりと公開したい。
まずは「新幹線開通」に関する記事から。
ここでお断りしておくが、当時の新聞記事をスキャンするため、今日ではコンプライアンス的に問題があると思われる表現もあるが、気にしないで記載するのでご了解いただきたい。

記事に関して一切の個人的感想は記載しないので、読者が勝手気ままに感想をのべ合ってください。
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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~30~

2006年11月 初めて鹿島鉄道へ(2)                  ▲霞ケ浦の対岸に陽が落ちて行く。浜~玉造町 29レ KR505

鹿島鉄道の撮影記、続けます。当日午後からは、霞ケ浦に沿う八木蒔~浜~玉造町の鹿島鉄道ハイライト区間を、行ったり来たりの撮影となりました。11月ともなると、陽の落ちるのが、いっそう早くなり、その変化を採り入れながらの撮影となりました。

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【近日公開】スクラップブック

近々引っ越しの予定があるので身辺の整理をしています。
ところが出てきたのは中学時代から貯めていた新聞の切り抜き記事です。
スクラップブックに整理されたものもありますが、切り抜いたままのものもあり、もう酸化してボロボロのものもありあります。そこで一念発起してスキャンを始めました。なにせ60年以上前のものですからスキャナーに広げるだけで粉々になるものがあります。
そんな中からいくつかのシリーズに分けて公開しようと思います。
最初は思い出深い新幹線に関する記事から始めます。
お断りしておきますがスキャナーベッドがA4サイズのため見切れてしまう場合があります。この時は皆様の想像の翼を広げて切れた部分を想像してください。

スクラップは全て破棄しますが、必用と思われたら差し上げますのでご一報ください。

では、予告編をご覧下さい。
説明文は入れませんので各自ご議論ください。

1960年2月4日

 いとしの広電1900形 ②  ~路面電車あれこれ噺~

広島1900列伝 ①

広島の1900形、続けます。思いのほか、多くの皆さんからコメントや思い出を頂戴し、皆さんの“1900愛”を感じています。改めて、広島へ行った際に、気張らずに撮った1900を調べてみると、そこそこの点数になっていました。番号順に挙げてみると、全車撮影かと気色ばんだのですが、結局15両のうち2両は撮り逃がしていました。ここでは、撮影した13両を番号ごとに、紹介していきます。冬晴れの広島を行く1902(「桃山」←京都1917←京都917) 原爆ドーム前

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カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (11)

何気に写した駅の風景

大阪通信員さんは、車両以外も、多くの写真を撮っておられます。否、車両以外の日常的な風景にこそ、通信員さんの鋭い感性が発揮されているように思えます。スライドを点検した際にも、「鉄道の施設」として、分類された袋があり、意識して撮られていたことが分かります。駅や撮影地で、何気に通信員さんが撮った、そんなカットを見ていただきます。あったなぁ、こんな洗面所が‥。夜行列車の発着する主要駅では、朝に列車が到着すると、われ先に顔を洗ったものだった。私自身は、蒸機を写していた時代、一時間でも機関区に居ようものなら、顔の周辺が汚れでムズがゆくなり、ホームや駅舎にあった洗面所へ駆け込んだものだった。写真は大阪駅で撮られたが、洗面所付近を黒くツブし、対向の471系急行を際立たせたのも、非凡な才能を感じる。

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現役生が第19回クローバー祭に出展いたします

現役生が第19回同志社クローバー祭にレイアウトを出展いたします。

日時:11月4日(土) 12:30~18:30、5日(日) 9:00~16:30

場所:同志社大学京田辺キャンパスTC1-211(知新館1号館211教室)

https://cloverfes.com/2023/store/263

 

以前の現役生からの投稿です↓

https://drfc-ob.com/wp/archives/146261

 後ろの客車が気になる!  ~雄別鉄道の客車たち

 

「雄別鉄道開業100年」展ポスターのC111

いま北海道の釧路市立博物館で「雄別鉄道開業100年」展が行われています。1923(大正12)年、釧路~雄別炭山の開業から今年で100年を迎えました。また廃止の昭和45年まで所属していたC111が、このたび東武鉄道でC11123として動態保存され、「SL大樹」が2022年から運転されていますが、更新部材を郷土資料として博物館が譲受し、C111の運転台部分が目玉として展示されています。ご承知のように、C111の元を正せば江若鉄道のC111「ひら」となり、私は知る術もありませんが、故・湯口徹さんが優れた写真を記録されていることは知られています。江若鉄道で水泳列車を牽くC111(1955年、湯口徹撮影)

このたび、博物館から依頼を受け、終点の雄別炭山で写した鉱員輸送列車を牽くC111を、催事広報のメインビジュアルとして使っていただくことになりました。たまたま撮った写真は、形式写真ではなく、あまり知られていない、作業を終えた鉱員を、3つ先の古潭駅前にある社宅へ送るための鉱員列車を牽いているところがミソです。さまざまなツールにも展開していただき、博物館様のご厚意には深く感謝する次第です。ところが、ある方から「C111もエエけど、それより後ろに繋がっている客車のほうが、もっとエエんちゃう」の声が。

なるほど、いわくありげな客車が繋がっていますね。当時、旅客はすべてDC化されていて、客車が使われるのは鉱員輸送の列車だけでした。C111を写したあと、1両ずつ客車を撮っていました。

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 あの日あの頃 ほぼ同月同日に還る ~29~

2006年11月 初めて鹿島鉄道へ  (1)

「あの日あの頃」も続けます。2006年に鹿島鉄道へ行っています。茨城県下には非電化の私鉄が多くありましたが、常総線や筑波線は、連れられて行ったことはあるものの、距離も短く、車両数も少ない鹿島鉄道は、訪問順位が低いものでした。鹿島鉄道がアテにしていた貨物輸送が無くなり、急に先が見え出した、この年の11月にやっと訪れることがてきました。これぞ“ニッポンの田舎”と言った、穏やかな風景、きれいに整備された車両と、すっかり魅入られました。

霞ケ浦の湖畔を走る。対岸も望めて、筑波山も霞んで見えている。玉造町~浜 キハ432   鹿島鉄道は石岡~鉾田27.2kmの非電化私鉄。1924年に鹿島参宮鉄道として石岡~常陸小川が開通し、1929年に石岡~鉾田が全線開通した。その後、1965年に取手~下館、土浦~岩瀬の常総筑波鉄道と合併し関東鉄道となり、石岡-鉾田は鉾田線、取手~下館は常総線、佐貫~竜ヶ崎は竜ヶ崎線、土浦~岩瀬は筑波線となった。常総線は都心に近く利用客が増加したが、鉾田線と筑波線は利用客が減少、同じ運賃では採算が合わなくなったことから、関東鉄道は鉾田線と筑波線を分社化させ、鉾田線は鹿島鉄道、筑波線は筑波鉄道に分社化された。

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 いとしの広電1900形 ①  ~路面電車あれこれ噺~

広島の街を40年以上走り続けている、もと京都市電の1900形、よく言われていることだが、京都時代よりも広島時代のほうが長くなって、すっかり広島に溶け込んでいる。歳のせいか、とみに1900が愛しく感じるようになった。

最近“デジ青”の低調さが気になりますね。私も、締め切りのある依頼が続いて、いつでもOKの“デジ青”は、つい後回しになってしまい、自省の念に駆られています。言い訳無用、とにかく、自分でできる範囲で頑張るしかありません。

この歳になると、活動は衰えても、頭のなかは、いろいろな思いが巡ります。ひとつは、鉄道趣味も本卦還りするのではという思いです。春にクローバー会で北九州・福岡を訪れた際、広島で路面電車を撮り、北九州・福岡市内でも路面電車の廃線跡を巡りました。生まれた時から市電に囲まれて育ち、その原体験が鉄道趣味へと繋がっていきました。廃止された各地の市電を思い、今も元気に走っている路面電車を見ると、この歳になって愛おしさを感じるようになりました。まさに“本卦還り”ですね。

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駅名喫茶店(第87回:和歌山の駅名)

デジ青では廃線の話題で溢れています。最近乗った妙見の森ケーブル線も今年中には「廃線」となるのは大変寂しい限りです。

今回は和歌山の駅名です。私は、あとは紀勢本線(紀伊勝浦~新宮間)と紀州鉄道に乗車すれば、和歌山の全線完乗となります。奈良交通の八木新宮線(←文句なしで日本一長い距離を走る路線バスです)にも以前より興味があり、近々制覇したいと考えております。

せっかくの機会ですので廃駅名も分かる範囲で記載いたしました。古き良き時代のお話、せひお聞かせください。

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癒しの島 台湾鉄道2023年秋の旅 Part11 高雄MTRの撮り鉄。乗り鉄

第8日目 9月7日

① 高雄駅 8:18(高雄MRT)⇒8:23 凹子底

今回の旅は、4年ぶりの海外でしたが台風の直撃に見舞われて今一納得の撮影には至りませんでしたが、今日帰国、夜には自宅に戻っています。朝はゆっくりとホテルでバイキングを食べてから荷物はフロントに預け、MTRで凹子底へと向かいLRT環状線の乗り鉄・撮り鉄を開始することにしました。

▲ 8:28 C23「龍華國小」から現在の終着駅C24「愛河之心」に到着するトラム、環状線22,1㌔の全線開業は今年末の予定だそうです。

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カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (10)

別府鉄道、片上鉄道

兵庫県下にも、山陽本線沿いには中小私鉄がいくつかありました。別府鉄道、片上鉄道へも大阪通信員さんは行かれていました。

山陽本線の土山から出ていた別府鉄道の土山線、別府港からの貨物輸送が中心で、DLが貨車と二軸客車を牽くと言う、なんとも浮世離れした編成が、昭和59年まで運転されていた。旅客数は極めて少なく、西日本の私鉄で最低の輸送人員だったが、ファンにとっては格好の乗車対象となり、私も何度か乗ったものだった。晩年は貨物量も減少し、写真のように、貨車なしのDL+二軸客車も見られ、手小荷物は、客車のデッキに積まれていた。DLはDD1351で、もとは江若鉄道で、廃止後に別府に来た。

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カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (9)

朝夕のみ、能勢電の単行電車

大阪通信員さんの昭和の記録、続けます。おもに撮られた昭和40年代、蒸機に代表される国鉄だけでなく、中小私鉄にも、大阪通信員さんは強い興味を示されていました、関西を中心に、各地の車両を見ていただきます。今回は、先ごろ、鋼索線(妙見ケーブル)、索道線(妙見の森リフト)の廃止が発表された能勢電鉄、川西能勢口~川西国鉄前の国鉄前線です。昭和56年まで走っていて、比較的よく知られていましたが、なにせ、走っていたのは朝夕だけで、私もついぞ撮り損ねた路線でした。地平時代の阪急川西能勢口前から、何度もカーブを描いて、家の裏手の専用軌道を国鉄川西池田駅までを結ぶ0.6キロの路線だった。開業当時、沿線の旅客輸送のみでは苦しく、国鉄からの貨物輸送も狙って敷設されたと言う。廃止前は51、61が専用車として、朝夕のみ運転されていた。川西国鉄前駅はホームだけの構造だった。

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カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (8)

尾小屋鉄道

福井鉄道に続いて、北陸の鉄道、ナローゲージの尾小屋鉄道です。北陸本線の小松駅の裏側にあった新小松から、山あいの尾小屋まで、16.8キロ、762mm軌間で、昭和52(1977)年に廃止されています。実質的には、日本最後の非電化軽便鉄道でした。撮影時期は、昭和40年代後半と思われます。町内会の遠足だろうか、キハ3+ホハフ8から、ホームいっぱいの人が下車した。車内にまだ人が乗っている。日中は単行であり、一両は増結だろう。こんな何もない山のなか、これからどこへ行くのだろうか。

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癒しの島 台湾鉄道2023年秋の旅 Part10 台鉄「藍皮解憂号観光列車」に乗る

第7日目 9月6日

今日は南廻線に走った日本・インド製造の旧型客車による「普快車」がリニューアルされて9ケ月ぶりに「藍皮解憂号観光列車」として復活しました。運行される南廻線に乗ってかつての雰囲気を味あいます。列車は高雄側の坊寮を出発して南廻線を回って台東に着いた後、再び折り返して坊寮に戻るルートです。往路では歴史ある各駅の見学、復路には途中、台湾の原住民、プユマ族の村落のある金崙集落に1時間ほど見学、坊山駅では台湾海峡に沈む夕日を鑑賞するツアーになっています。両方に参加することも検討しましたが復路ツアーは次回にして今回は往路だけにすることにしました。「藍皮解憂号観光列車」の申し込みは出発前に日本で行いました。
▲ 太麻里に停車する「藍皮解憂号観光列車」、この日は、R135+R[22+40TPK32217+35TP32859+35SP32578+TPK32220の編成で運行されました。 続きを読む

癒しの島 台湾鉄道2023年秋の旅 Part9 淡水トラムの延伸線に乗る撮る

第6日目 9月5日 その2

① 十四張 11:20⇒ 12:40 紅樹林

▲ 安坑トラムの乗り鉄・撮り鉄が終わりましたので次は以前に訪問した淡海トラムの延伸はされたようですのでこちらを訪問することにしました。
LRTの十四張からは環状線の大坪林へ向かい、ここで松山新店線に乗り乗り換え、中山紀念堂淡水新店線に再度乗り換えてで紅樹林を目指します。
紅樹林からは淡水トラムに乗り換えてトラム延伸線を目指します。
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駅名喫茶店(第86回:三陸鉄道の駅名)

東北地方の話題として、今回は三陸鉄道 (sanrikutetsudou.com)リアス線(全長163.0 kmの日本一長い第三セクター路線)です。震災の困難を乗り越え、全線再開した路線であり、DRFC必見の路線でもあります。【2023/10/2修正】

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癒しの島 台湾鉄道2023年秋の旅 Part8 安坑と淡水トラムの延伸線に乗る撮る

第6日目 9月5日

昨夜は0時を回ってからのチェックインでしたがホステル『漫歩1948-北車』に入館するのに必要な入口ドアの暗証番号が受け取っていたメールに記載された番号とは合わず、入れません。デカンショまつり号さんが台北に着く前に決められた別の駅前のホステルに変更しようかと悩みましたが突然、ホステルに宿泊されていたお嬢さんが隣のコンビニに行かれるのか出て来られましたのでドアが開いた瞬間に入館することが出来ました。ラッキーでしたが初めて宿泊する宿には早くに着いておかないととんでもないことになります。以前にもヘルシンキで同じようなトラブルにあっていましたので凝りていませんでしたね。

昨夜就寝したのは1時近くでしたが6時過ぎには目覚めました。このホステルは4階建てなのですが1階はエレベーターホールだけでフロントがありません。どこかの階にはあるかなと各階を見て回りましたが4階に自炊スペースがあるだけでした。先客がおられましたので尋ねてみましたがこの方も良く分かっておられませんでした。

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カラー版◆大阪通信員さんが撮った 昭和の鉄道 (7)

福井鉄道

今回の“昭和の鉄道”、少し足を伸ばして、新幹線延伸で沸く福井市を走る、福井鉄道を見て行きます。いま福井駅西口では、高層ビルが建ち並ぶ駅前再開発が進行中ですが、その地区の南側、“電車通り”には、福井鉄道の通称“ヒゲ線”が発着していました。いまは福井駅前広場まで少し延びて、その名も「福井駅」となった終点ですが、少し前までは、「福井駅前」を名乗っていた終点から発車する電車です(以下、昭和41年8月撮影)。背後が再開発工事中の街区に当たり、高さ120mの高層ビルが建ち、事務所やホテルが入居すると言う。福井駅前-田原町の札を下げた、モハ63が発車を待っているところ。後には、デビュー間もないモハ200形が待機する。雑多な電車が集まり、福井鉄道がいちばん面白かった時代。

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