5月の晴れ間に 日常+αを記録する ②

日常シリーズ、つぎは福井へ向かいました。敦賀延伸後の新幹線に初めて乗って、着いた福井は、絶好の五月晴れ。ある切符を握りしめて、福井鉄道の電車に乗って、まずは、左右に田園が広がる三十八社に下車しました。この日は、ずっと青空が広がっていて、至るところで、みごとな水鏡が見られた。えちぜん鉄道番田にて(以下、2024年5月8日)

関西からは、上下移動を強いられる新幹線敦賀の乗り換えも、いずれ“日常”の風景になるのだろう。

 

 

新幹線開業後の福井駅前は、恐竜で占められていた。ティラノザウルスと福井鉄道のコラボを。

福井駅から乗車した福武線の電車では先頭からロケハン、三十八社に到着の直前、ひとりの撮影者が目に飛び込んだ。ン? 老人の域には達しているが、ただならぬ気品の漂うその姿、どこかで見たような‥‥。下車して思い切って声を掛けてみた。当たり !  なんと大津の86さん、その人だった。聞いてびっくり、86さんも水鏡狙いで晴天の本日を選んだとのこと、そして、手にした切符も同じで、これはマルーンさんに格別のお世話になりました。

水田は水が張られたばかり、形の良い山影を入れて、真横から撮影。▲▲最新鋭のF2000形は、ブラックフェイスがどうも映えない。

撮影に打ち込む86さんと青空を入れて。広告電車を1枚。つぎは、二人でえちぜん鉄道の勝山永平寺線に乗った。フリー切符なら、終点まで行って折り返してくるのが通例だが、本日は目的が明確なため、昨年に来て目を付けていた越前竹原で下車する。少し戻ると、残雪の白山も見える田園地帯がある。ここでも田には水が張られているが、陽が中天にあると、反射が見られない。水鏡の条件は、風の有無、太陽の位置など、さまざまな条件があることを学んだ。

一時間で越前竹原を去り、今度は三国芦原線へ、早めに戻る予定の86さんとは途中の中角で分かれて、私はそのまま乗り続けて、終点の三国港に久しぶりの下車。一時間ほどの間、三国までのひと駅間の街歩きを楽しんだ。三国芦原線も水張りを終えた田園が見られるが、駅近くはさすがに家が多い。ただひとつ、番田だけは、下車徒歩10秒でもう水田が広がっていて、徒歩鉄には絶好。

 

そしてプラスαを狙うため中角に移動、ここも水田が広がる。夕方近くになり、光線は最良だが、少し風が出て来た。愛嬌のある“ki-bo”が鷲塚張張までの相互直通に入っていた。日中一時間に1本の鷲針原~たけふ新の相互直通は以前は急行運転だったが、すべて各停に変更されている。

 

中角に隣接して九頭竜川の鉄橋がある。ホームからトラス橋を渡る電車が撮れ、夕方の時間帯、暮れていく時間の経緯を楽しんだ。左から、時刻17:43、18:53、19:12の撮影。築堤上のホーム一面のみの中角駅、陽が暮れても水田だけ明るさを残していた。

 5月の晴れ間に 日常+αを記録する ②」への10件のフィードバック

  1. 総本家さんの日頃の鉄道写真姿勢を改めて感心して拝見させていただいております。1年365日、地域により好撮影日の違いがあります。桜も水鏡も時期が来たら「それー」と出陣すべきと思いますし日頃から行きたい好適地はインプットされていると思います。勿論車窓から「ここええなー」と降り立つこともあります。私はアホの一つ覚えで好天気で順光、オーソドックスな写真が好きですが、現地の状況や総本家さんが言われる太陽の位置やその他風向きなど天候により場所を変え写し方を変えたりしていますが、あまりうまくいかないことは自覚しております。曇ってきたら形式写真や下手な流し撮りにトライしています。さて投稿されたお写真ですがどれもお見事ですが、2連程度なら横から狙ったのが好みで最初の1枚は水鏡も綺麗です。適当ないい形の山をバックにしたのは琴電琴平線を思い出しました。バックの白山連峰の残雪も昔よく行ったスイスを思い出させてくれるような感じがしました。
    さて、思わぬところで出会ったただならぬ気品の漂う老人の域に達していると思われる方も多分すごい作品を撮られたことでしょう。発表してください。

    • 準特急様
      さっそくのコメント、ありがとうございます。桜と較べると、水鏡は場所も時間帯も限定され、今までほとんど撮ったこともありませんでした。撮影地ガイドの「A地点」の紹介もなく、自分で見つけなければなりません。逆に自分で見つけ出す楽しみがあり、撮れた時の手応えは格別のものがあります。
      思わぬところで出会った、気品漂う老人とともに、楽しく撮ることができました。

  2. 見事に晴れ渡った福井の風景を楽しませていただきました。水を張った田んぼに映る電車、残雪の白山が見えるのどかな田園風景に加え、季節の花や落ち着いた街並みも撮影されているのは、さすがは総本家様と敬服いたしております。
    福井駅前にティラノサウルスも出現しましたか。東尋坊に永平寺、芦原温泉しか連想できない私ですが、知人に聞いたところでは「福井といえば恐竜ですよ」とのこと。世代間格差を感じます。
    さて、私は「中角」に注目しました。九頭竜川を渡ると風景は一変します。ここは母方の親戚があるところで、ホームから家が見えると聞かされていました。その昔、小学生時代の母は夏休みを中角で過ごし、この駅にまつわる話をよく聞かせてくれました。駅の周りに水田が広がる様子は、母が戦前に見たであろう風景を思い浮かべます。
    添付の画像は架け替え前の鉄橋を渡る元南海の2005で、昭和50年代の撮影です。
    ところで本日、総本家様のご自宅近くを徘徊し、数枚の「仁丹」を写してきました。末丸町の2枚はすぐそばにありながら、起点となる通り名が異なっていて、興味深いところです。

    • 紫の1863様
      架け替え前の九頭竜川鉄橋、ありがとうございます。1863さんは、福井に縁者がおられるとは聞いていましたが、なんと「中角」に深い縁があるとは知りませんでした。西側にある神社も、いい雰囲気で、線路に沿って両側に道があって、水鏡に限らず、どこから撮っても絵になるところですね。ここは、福井市の西端に当たるのですね。相互乗り入れが鷲塚針張までなのも、福井市内限定の乗り入れと聞きました。
      いまは「仁丹」ですか ! 末丸町のものは知っていますが、起点が違っていますか、知りませんでした。明日、見てきます。

  3. 総本家青信号特派員様
     これぞ!五月晴れ!実によく晴れた日ですね!
     水田の水鏡、残雪の白山、三国の街並み、夕刻のブルーの世界等々素晴らしいシーンを堪能させて頂きました。
     それにしても86さんとご一緒になったとは! こんなこともあるのですね!凄い!
     これからは麦秋、蕎麦の花、早生の刈り取りと季節が進んで行きますね。
     ところで、先日初めて新幹線を利用しました。敦賀から福井まではあっという間でした。福井駅で降りたってやっとこの新幹線開通で高架工事が全て完成し、福井駅付近の東西が開放されたという実感を持ちました。長かったですね!
     それとやっぱり敦賀乗り換えは面倒。所要時間は変わらないのに料金だけが高くなるのは? 一日も早く大阪延伸が出来ることを祈ります。
    生きてる間には無理かな?うーん!

    • マルーン様
      お蔭さまで、運命の出会いを果たすことができました。ありがとうございました。たしかに、水鏡以外にも、麦畑や蕎麦畑も見られます。季節ごとに楽しめるのも、福井の良さですね。
      今までサンダーバードに乗れば、あとは寝たままでも目的地へ運んでくれたのですが、乗り換えの緊張感で寝ることもできませんでした。マルーンさんからも聞きましたが、福井駅の新幹線ホームが島式一本とは、県庁のある新幹線駅としては意外でした。

  4. 本当に偶然で驚きました。始発で家を出て、在来線でハピラインふくいを初乗りしてまずは福井に行く予定だったのですが、敦賀の乗り換えでうろうろしているうちに席がなくなり立っていたため、武生で降りて武生側から撮影を始めたのでお会いできました。お会いする前は日野川の鉄橋で紫式部のラッピング車を撮っていました。次のえちぜん鉄道は撮影場所の予備知識がなく、総本家さんにくっついて行って、白山をバックに水鏡を取ることができました。気持ちのいい一日でした。ありがとうございました。

    • 大津の86さま
      ほんとにびっくりしましたよ。でも、狙いの日にちと場所が完全に一致したのは、さすが心通じ合うクローバー会会員との思いでした。車中でも、いろいろ話ができて、楽しかったです。えちぜん鉄道の白山バックは良かったです。実は水鏡に気を取られていて、現地へ行って初めて分かりました。紫式部のラッピングは、私も夕方に撮りました。何故と思いましたが、越前市は紫式部が唯一、都を離れて住んだ町とのことでした。

  5. 総本家青信号特派員様
    遅れましたが、「三国港」は私の好きな駅のひとつなので投稿いたします。この駅は鉄道院三国線の貨物駅として開設されてから1944年に京福電気鉄道貸与され、その後えちぜん鉄道の駅になり現在に至っています。そのような経緯から品格のある駅で、駅構内は究極のバリアフリーとなっています。
    写真は、現在と正反対の季節の2016年11月19日に九頭竜川河口に沈む夕日の写真を撮るために訪れた時のものですが、総本家青信号特派員さんの歩かれた方向とは逆方向の三国サンセットビーチに向かったのですが、残念ながら雲に隠れて夕日の沈むところは見られませんでした。丁度駐車場では「三国湊かに祭り」が開催されており大層な賑わいでしたが、えちぜん鉄道には一切関係がないという感じでした。
    「芦原温泉」に新幹線が停まるようになった今、旧国鉄三国線の「金津」(現在の「芦原温泉」)-「芦原」(現在の「あわら湯のまち」)間がえちぜん鉄道で復活できないものかと考えてしまいます。

    • 快速つくばね様
      ご返信が遅れて申し訳ありません。いつもコメント、ありがとうございます。国鉄時代の三国線の橋台跡がまだ残っていたこと、車内からも確認できました。現在の三国駅舎内にも、その歴史の解説板があったり、三国港駅の眼鏡橋にも解説のプレートがありました。三国の街は、私も好きです。古い街並みがあるだけでなく、銀行建築など洋風建築が残っているのがいいですね。

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