ほかの線区でも走った“金魚鉢”
阪神軌道線の3線〈国道線、北大阪線、甲子園線〉の紹介は以上ですが、実は“金魚鉢”こと71形が走っていたのは、この3線だけではなく、ほかの支線でも走っていた時期がありました。それが尼崎海岸線(出屋敷~高洲、昭和37年廃止)、いまもある武庫川線(武庫川~洲先(当時))なのです。▲ 尼崎海岸線 大正時代、阪神は今津から海岸線に出て、出屋敷まで「コ」の字に結ぶ今津出屋敷線を出願した、第一期工事として、昭和4年に出屋敷~東浜を開業するが、以降は未成線のままとなった(途中の浜甲子園~中津浜のみ甲子園線の延長として開業)。昭和26年に沿線の地盤沈下のため高洲~東浜を休止・廃止。結局、出屋敷~高洲の一駅のみ1.7km、乗車時間2分の支線として残り、“金魚鉢”が細々と走っていた。架線柱、軌道敷は複線分が確保され、当初の構想の大きさを感じさせた(昭和37年9月、篠原丞さん撮影(以下同じ))。