準特急様のリクエストにお応えして若干古い写真ではありますが投稿致します。先般の【90506】愛電デハ3080が起点となって瀬戸電、お濠の電車に話が拡がりました。お濠の電車と言えば 準特急殿がご指摘のように六文銭で名高き真田の城 上田城のお濠を走っていた上田丸子電鉄も欠かすことはできません。とは申しましても、私が撮っていますのは廃線跡だけです。

平成12年7月30日撮影 旧公園前駅ホーム跡。けやき並木が美しい。
準特急様のリクエストにお応えして若干古い写真ではありますが投稿致します。先般の【90506】愛電デハ3080が起点となって瀬戸電、お濠の電車に話が拡がりました。お濠の電車と言えば 準特急殿がご指摘のように六文銭で名高き真田の城 上田城のお濠を走っていた上田丸子電鉄も欠かすことはできません。とは申しましても、私が撮っていますのは廃線跡だけです。

平成12年7月30日撮影 旧公園前駅ホーム跡。けやき並木が美しい。
カープがセ・リーグの2連覇を果たし、今年も優勝パレードが行われることは以前から公表されていました。昨年は運よく花電車(貨51号)とパレードのツーショットを撮ることができ、【77393】で報告させて頂きました。昨年は11月5日に実施されましたが、今年はなぜか11月25日と3週間も遅い実施となりました。今年もきっと花電車を走らせてくれるものと信じて、早起きしてイソイソと広島に向かいました。広電さんも昨年の反省からか、しっかりと準備されていました。

カープ女子たちに電車を案内する広電社員 広島駅前にて
いつもお世話になっております。現役生渉外担当です。
明日11/26㈰より、今出川校地の文化祭「同志社EVE」が始まります。当会も大教室にてブースを展開しております。
詳細は以下の通りです。
第142回同志社EVE【鉄道同好会ブース】
(場所)
良心館104教室
(日時)
11/26㈰ 10時30分~19時
11/27㈪ 10時30分~19時
11/28㈫ 10時30分~16時
(おもな内容)
写真コンテスト,鉄道模型展示,プラレール展示,旅行班展示
また、会誌「青信号」最新刊74号も販売しております。
皆さまのお越しを現役生一同お待ちしております。
写真は昨年の様子です。

湖畔の老人氏から札幌市交通局路面ディーゼルカーの写真が出た。電車なら出る幕はないが、事ディーゼルカーとあらば、この須磨老人が黙っている訳には参るまい。この異端ともいうべき一連のディーゼルカーに関しては、意外に情報がない、或いは知られていない、という訳で勝手に力んで、鋭意以下講釈に及ぶ。
時は1958年―ほぼ60年前にさかのぼる。ともかく元気だった札幌市は、人口増加が激しいだけでなく意気盛んだった。1950年代後半以降急速な都市化―市域拡大で、特に札幌駅前から函館本線をオーバークロスし、北の琴似に向かう鉄北線が1952年から1964年にかけて新琴似駅前に延長され続けた。この延長区間を電化せず、ディーゼルカーを運行すれば、変電所の増備が不要で、架線も電柱もないから都市景観上も、いいことだらけとして発案されたのがこの路面ディーゼルカーであった。
1958年2月12日「工事方法変更」が申請され、従来の動力「電気」に「内燃機関」が付加された。ほぼ従前通りの車体床下に最大出力150PSの日野DS40を装着し、トルコン、逆転機を経て、片側台車の2軸を駆動する。空気ドラムブレーキ、空気バネ、暖房用にはウエバストを備える。
建設費での比較では、路線(複線)1km当たり、停留場5か所、車輌4輌として、ディーゼル動車は1輌1,000万円、電車950万円、架線750万円、変電所1,300万円が不要になる代わり、給油設備に15万円、車庫修理工場800万円、修理設備560万円を要す。ランニングコストでは電車1km当たり8円78銭、ディーゼルカー13円80銭と1.57倍、減価償却でも耐用年数が短いため電車に対し1.07倍である。何やかやでトータル電車1億2,000万円に対し、ディーゼルカーなら9,535万円で済む、初年度の収益および資本収支では、ディーゼルカーが2,639万1,000円有利との「皮算用」ではあった。

試作車D1001 1959年ごろ 西4丁目 榎 陽撮影 スカートが全長にある 続きを読む
北の国から雪の便りがくる季節になりました。
1965年(昭和40年)3月にはるばる北海道へ行った時の記録です。
元々さほど路面電車に興味があったわけではなかったのですが、「札幌市電にはディーゼルカーがある」と聞き、興味本位で見に行きました。 続きを読む
中国支局長として連日ご活躍の西村雅幸さんが昨年の4月22日付[70699]デジ青で地元JR山陽本線本郷-河内間の夕陽の沼田川沿いで撮影された東京メトロ千代田線の新造車16025編成の東上写真を発表された。以前、私の撮った糸崎、三原界隈の写真を投稿した所、即その場所の現在の写真を報告していただいた。これは何とかしないと思い時々撮影に出かけやっとのことで先日キャッチしたので報告致したい。併せて撮影に行った時の併走写真も見ていただければ幸いである。
小田急永山とはるひ野および京王永山と若葉台の間にある電車見橋と言われる橋の上からの撮影でいつも付近の保育園児が爺さんに声をかけてくれる。これは京王との併走を撮影中のワンカットで拡大すれば16025のシルバー切り抜きナンバーが確認できる。
2017.11.02 小田急永山~はるひ野 我孫子行き急行16025 ▼
準特急先輩や湯口先輩の貴重な阪急710系の写真の後で、お口汚しですが、我が家に阪急710系の成れの果てのグッズがあります。「714」の車体側面切り抜き番号です。3ドア化された後の側面番号です。準特急先輩の元気に活躍していたころの「714」の写真を見て、思わず投稿させて頂きました。部品収集が好きで、コツコツ阪急の車体番号を収集しており、そのコレクションの一つです。旧型車ばかりですが、2ドア車である320系や900系。920系、800系の側面番号は、社紋の下に車体番号がありなかなかいいものです。阪急の旧社紋は、大阪市章と神戸市章が重なったデザインですが、神戸市章が輪郭だけのものや普通のものがあり、興味が尽きません。阪急の旧型車の写真続編期待しています。合致する番号がありましたら、また、投稿させていただきます。

11月12日ホームカミングデイの総会では関先生が新京阪、京阪の生の作品を披露され講演もしていただいた。先生の最近のデジ青発表作品は表題の愛知電鉄電7型電車2017.11.15[90436]である。紹介されている米手作市さんもいつものコメントの後「誰か知ってるの居らんのか」とお叱りをされていたように感じ探してみた。表題に「成れの果て」と書いたが「成れの果て」とはおちぶれた結果であるが関先生の説明では「愛知のデハ3080はその後制御車となり瀬戸線に移って特急のトレーラーとなりパノラマ並みの看板と警笛に使うタイフォンを装着し、あで姿を誇った」と述べられていた。正に歳をとってから花が開いたようなものである。その電車はひょっとしてこれかなと思い用意してみた。私は電車のハード面や履歴には疎いがこれが該当するのではないかと思い2枚だけ出してみる。間違っていたらごめんなさい。
愛知デハ3080→名鉄モ3200(3203)→ク2300(2301)
1972.09.11名鉄瀬戸線尾張旭-三郷ク2301+モ901 ▼
愛知デハ3080→名鉄モ3200(3222)→名鉄ク2320(2322)
1972.09.11三郷-尾張旭 ク2322+モ905 特急 ▼
このデジ青欄は、というより同人諸兄は躁鬱の傾向を抱えておるようで、投稿がやたら集中する時期と、何やらトンと寂しい時がある。どうやら昨今「鬱」の季節だったようで、さっぱりだったが、やっと準特急氏阪急710系の投稿があり、須磨でヤキモキしていた老人もホッとした。これで半年ぐらいは寿命が延びそうだ。
で、この老人が生涯でたった1枚だけ撮った阪急が710系なのである。1954年5月頃だから63年半前。6×6のお蔭でヴィネガー・シンドロームにも侵されず、幸い今日ある。
マルーンさんから冬眠中たたき起こされたが目覚めが悪く時間が経ってしまった。ところで老い先が短くなると昔を懐かしく思う傾向が強くなる。紅白は見ないが懐メロは見る。鉄ちゃんもその傾向があり、国鉄時代を懐かしく想い、JR化後にはあまり興味がわかない。そういいながらJR化して何年経つのであろうか。平成も間もなく終わるそうである。私も鉄ちゃんの性格を持っているので古く懐かしい阪急京都線710形の思い出を発表してみたい。
710形は1950年から1953年にかけてナニワ工機でMc710+Tc760の7編成14両が製造された。全金製の車両で神宝線810形と共に19m、車体巾1750mmで初めての阪急標準車体で登場した車両で両者は京都線100形と神戸線800形・920形を足して2で割ったような車両であるが細部を見ると電気関係、台車、窓枠の色等に差異もある。マルーンさんによると機器の位置が両線の車両には反対の位置にあるものもあるという。技術的なことはよくわからないが、私が感じたのは同じ会社でありながら両線の番号の付け方が違うことと運行表示板の位置が急行では左右反対であったことである。このことは後で触れてみたい。710形が170KW×4の大出力であることは後年知ったことであるが、小学生時代の私は神宝線沿線に住み京都線710形との出会いはたまに大阪に連れて居ってもらった時に十三-梅田間の神戸線との併走区間で見た運行表示板を2枚付けたクロスシートの710形の特急を見た時であった。この頃は十三も停車せず京都大宮終点までノンストップで走破していた。神戸線の特急は810形の初期4編成810~813がクロスシートであったが存在感が薄く、800、900、920形の17m中型車が中心で特急表示板も1枚で十三にも停車した。当然、710形の京都線の方が格上に見えたが、神戸線の方がフリークエントで600ボルトながら100km/h以上で飛ばしていてどちらも高速運転路線であった。羨望の眼で見ていた京都線710形特急も趣味活動の出遅れにより乗車体験はあったものの撮影はしておらず1969年3月4日の大雪の時にダイヤ乱れで急遽登場した時と複電圧車の機能を発揮してシーズンの休日に宝塚行き特急「歌劇号」として運行していた記録が全盛期を彷彿させてくれる唯一の姿である。そのうちの「歌劇号」が下の写真である。
1967.5.28 長岡天神-大山崎間 今津線経由宝塚行き特急「歌劇号」 714+764
三江線の余命も4ケ月余りとなり、全国からの訪問者も増えているそうです。いつものように中国新聞の記事と昨日放映されたNHKテレビの番組についてご紹介します。

平成29年11月17日 中国新聞朝刊
また、京阪ネタで恐縮ですが…。
半世紀以上前、500型から1200型まで様々な形式をまじえて組成した「標準化編成」が複々線上を疾走していました。特急用の1900系も新旧入り混じりバラエティに富んでいました。
編成の固定化が進むとこのような「標準化編成」も姿を消したかのように見えましたが…。 続きを読む
会員諸氏にお尋ねするが、よもや大畑ループ、姨捨スイッチバックと木次三段スイッチバックに行ったことがない、などという者はいないだろう。
ところがいたのである。だれあろう我がDRFC会長のマルーン氏である。
ことの始まりは今年四月の木次線旅行でのこと。突然の崖崩れで予定の備後落合から木次へ行く列車が運休になり、JRが代行バスをだしたことで肝心の三井野原-出雲坂根のスイッチバックに乗れなくなった。マルーン会長様は当該区間は齢七十にして初めてのスイッチバックであったそうで、密かな期待で胸をときめかしていたそうな。ところが代行で乗れなくなったため泣きたくなるのを堪えながら「代行バスに乗ったからスイッチバックを通ったことと同じやな」と風呂につかりながら独りごちたのを居合わせた会員に聞かれてしまったのだ。
「夜行列車で通っても、寝ていたら乗車距離には入れてもらえない鉄の掟も知らぬ会長よ、三段スイッチバックも乗ったことのない会長よ」と後ろ指を指されるこれからの余生思うとき、マルーン会長様の屈辱はいかばかりか。
続きを読む
片上鉄道が廃止されたのは26年前の1991年(平成3年)7月1日でした。吉ケ原駅には多くの動態保存車両があり、往時を偲ぶことができます。一方吉ケ原以外の場所の保存車両についてはあまり情報がありませんが、この度たまたま某団体のバス旅行の途中、運よくトイレ休憩のためにドライブインにバスが停まってくれたので、思いがけなくキハ311に再々会できました。

片上鉄道キハ311 H29-11-8 岡山県国道484号菊ケ峠のドライブイン前にて
鉄鈍爺さんの「【デゴイチ】さようなら運転」の投稿でコメントしたのですが、その時に持って行ったTRIX製の小型蒸気機関車が何かよくわかりませんと書きました。何かよくわからず動かしていたのですが、やはり気になります。そして、動かしたのは1994年に購入してから2回目です。最初は2012年の「デゴイチ」での運転会でした。今回も最初は少し押しましたが、その後は快調に2周しました。
さてこの機関車はいったいどのような機関車なのでしょうか。
昨日(11/3)夕方のカンテレで1955年の阪堺線「田辺」駅の写真が出ていました。昔の写真を見て、この場所が何処かを捜す番組ですが線路の上にはもう阪神高速が見えていました。大阪の北田辺に住んでいましたので中学生の頃は家から股が池(確かこの字だったと思います)に遊びに行く時や、桃山学院へ模擬試験を受けに行く時は通っていた記憶があります。「目の高さ」で電車が動いていました、踏み切りも路盤も電車と共有していました。さすがに中学生当時の写真はありませんが1972年10月頃の「阿倍野」での平野線の写真がありました。123、121は恵比寿町~平野、301は天王寺駅前~平野などです。このときは地下鉄はもちろん阪神高速も見当たりません。
はじめまして。
同志社大学鉄道同好会の副渉外です。
前回の告知より間が空いてしましましたが、イベントの告知をさせていただきます。
11/4、11/5に京田辺校地にて同志社クローバー祭が開催されます。
当会は11/5のみ出展致します。
ぜひお越しください。
詳細は以下の通りとなります。
「れっしゃだいしゅうごう‼」
知真館1号館119教室
11/5(日) 9:00~17:00
写真は昨年のものです。
