
豊橋19時35分発三河川合行(647M)/ (50-1-2)
三河川合で駐伯して翌朝241M上片桐行きとなる。
モハ40形の解説を書き始めたところで、次の急電用のモハ43形が登場したので、こちらを先に解説する。
昭和9年7月20日吹田~須磨間で実施された電車運転は、同年9月20日須磨~明石間、12年10月10日吹田~京都間の電化工事が竣工し、京都~明石間の直通運転が開始された。
急行電車(急電)用として11年3月にモハ52形流電の1次車が1編成、1年後の12年3月には2次車が2編成新製された。1次車は狭窓であったが、2次車は広窓となり、より洗練されたスタイルになった。引続き同年8月に3次車が登場したが、流線形ではなく、モハ51等と同じ半流となりスカートは省略、窓配置のみ引き継がれ、あたかもモハ51とモハ52の中間的なスタイルになったため「合いの子」と呼ばれた。
形式は、2扉クロスシートのため、先頭車はモハ43形となり、既存のモハ43形の追番43038~041、中間車はサロハ66018・019、サハ48032・033が付番された。































