本日の江ノ電

寒い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?
朝の撮影も寒さに負け久しくカメラを持ち出していませんでしたが この寒さで富士山がきれいとのことで 久しぶりの江ノ電です。
鎌倉高校前」にて朝日を浴びて藤沢へ向かう2002号です。
通勤、通学者で混雑しています。

海岸では高校生の朝練でしょうか?朝日がきれいです。
横の道路は海抜10.1mと表示がありましたが地震、津波の時はこわいですね。

鎌倉高校前を発車し鎌倉へ向かう61号です。富士山が少し見えてきました。
横の道路の車は渋滞、江ノ電はスイスイ走っていきます。

少し鎌倉方面に歩くと 上下の電車が交換する所(峯が原信号所)があり、そこを発車した古豪355号です。富士山がきれいです。昨年の今頃は雪が少なく絵にならなかったそうです。相変わらず道路は混雑しています。バスは思うように走れないようで乗客は少なく、江ノ電は大活躍です。この時間は高校生の足という感じでした。

七里ヶ浜駅を通り越し いつもの踏切です。道路も少しすきました。
江ノ島と富士山と1251号です。
ここまでが朝の江ノ電風景です。

次からは夕方から日暮れの風景になります。

先ほどの踏切の少し鎌倉寄りです。きれいな夕焼けの光を浴びて、人気のカラーリングの10-50と2001-2051の4連です。
次の塗り替えの時大変だろうなと思うのは私だけでしょうか?


きれいな富士山のシルエットです。右の方で金色に光っているのが先ほどの4連で 峯が原信号所を発車したところです。(と思います)

かなり暗くなってしまいました。2051号です。これを写して引き揚げました。
富士山と江ノ電 皆様もぜひおいでください。
犬伏

恒例、JR西日本の柿の木

毎年この欄に登場、JR西日本敷地内の柿の木。今年は豊作で、昨年のように数を数えることができませんでした。桃太郎がヨコを通り抜け。神戸線立花駅西方。

2012年冬の中国鉄路の旅 Part7 国境の町、绥芬河(綏分河)へ  その2

第8日目 11月19日

今日は、旅に出てから8日目です。そろそろ疲れが溜ってくる頃です。ゆっくり起きて、ホテルで朝食を食べにレストランに行きますと、ロシア人ばかりです。子供を連れた家族連れが多く、ロシア人にとって綏芬河は、気楽な海外旅行のようです。そして、朝からビールを飲んでいます。アルコール度数100%近くにもなるウオッカを飲みなれているロシア人には、中国の薄いビールは水と一緒なのでしょうね

昼近くまで部屋でインターネット接続との格闘です。と、言いますのも、接続できたと思って使っていると、いつの間にか切断されています。昨夜から同じ状態が続きますので、フロントに苦情を言うと、強制的に接続できるIPアドレスを教えてくれました。中国のホテルでは、ホテル内の回線設備が悪く、いつも経験していますので、ここもそうなんだろうと、強制設定をしますが、それでも接続できなくなりました。お手上げです。部屋を代えてくれと申し出しますが、どの部屋も一緒と取り合ってくれません。
▲ 部屋で過ごすのを諦めて、国境に向かう午後の列車を撮りに街に出ることにしました。
零下の世界ですので、雪が降ってもほうきで掃けば飛ばせられます。町のあちこちで作業員がほうきでの作業をされておられました。
昨日のロケハンで、撮れる場所は国境に向かう道路橋しかありません。Taxiは結構走っていますので、捕まえて向かいました。町のはずれまででも6元(約80円)です。昨日と同様にロシアから輸入された原木運搬貨車のヤード作業が続いていました。

続きを読む

鉄道同好会 新体制発足

 2012年も残り数日です。今年、鉄道同好会は大きな飛躍を成し遂げました。それは、熱意ある現役会員の積極的に活動していこうとする姿勢・態度、そしてOBの温かいご支援があったからこそだといえます。

 先日、新体制が発足し、さらなる高みを目指そうと会員が一致団結しました。模型班・展示班の2班体制を再編し、来年は模型班・写真班・旅行班の3班体制となります。(活動内容は順次ご報告するといたしまして、)きっと今年を上回る活動が実現するだろうと私は信じております。また、現役会員からOBと個人的な交流をしたいとの声が挙がってきているので、今後私から多種多様なお願い事やお誘い事を申し上げることになるでしょう。来年も引き続き、よろしくお願いいたします。

 以上は会の報告でしたが、私個人としては来年時間をとって、地元を走っていた大仏鉄道の遺構巡りをしようかと考えています(高校時代はバス通いでしたが、そのとき毎日黒髪山隧道があった場所を通っていました)。関西本線のJR加茂駅に集合し、大仏駅跡地(奈良市)まで約12kmの道のりを“歩いて”巡るというツアーです。現地のボランティアガイドさんをお招きすることも考えております。もしご興味がありましたら、ご一緒に歩きましょう。持ち物は、動きやすい服装、そして12kmを歩き切るための豊富な体力・精神力です。当然、実施は暖かくなった5月・6月がベストですね。ゴールは奈良にある鉄道模型カフェ「シルクロードの終着駅」でも良いかもしれません。ただ、この場合、大仏駅跡地からさらに歩くことになりますが…
 

小樽から江差へ、そして青森 4日目から7日目 江差は遠かった。

 3日目の夜、雷雨の小樽から札幌に行き、夜行バスで函館へ。江差線の一番列車で江差へ行く。天気が心配であったが、何とか雨がやんでほっとしたが、前夜のすさまじい雷雨でとんでもないことになった。そして江差から函館に戻り、唯一の動かないところでの一泊をする。

  いよいよ津軽海峡を越えて青森へ。写真展の会場に行き、S氏とT氏に会ってワイワイがやがや。夜に皆さんと別れて再び津軽海峡を渡って、函館から?へ行き、苫小牧から船で敦賀へ、そして奈良に帰った次第である。 続きを読む

2012年冬の中国鉄路の旅 Part6 国境の町、绥芬河(綏分河)へ  その1

第7日目 11月18日

长春19:46(2727次)→翌日9:10绥芬河

長春から乗車した2727次は、ロシアとの国境の町「绥芬河」までの794キロを13時間24分で走破します。丹東駅で切符購入の際に軟臥下鋪を要求しましたら、ありません。なぜかなと思っていましたら、この列車には軟臥車の連結そのものがありませんでした。
取れた切符は硬臥下鋪でしたが、運良く2階建て車両の2階席で見晴らしも良くて大変快適でした。また 同室者は牡丹江へ行くという若い女性3人です。日本人と話すのは初めてなので、日本の事を教えて欲しいと深夜まで質問の嵐を受けました。

▲ 6:45、浜綏線下城子駅にて日の出をむかえました。終着駅はもうすぐです。

続きを読む

晩秋風景

KAWANAKAです。

準特急先輩に神戸電鉄を取材せよとも取れるコメントを頂いたというわけではないのですが、冬を迎える風景には良いかも知れないねえ、と思って休みの度に出かけた。その月の内なら日曜4回乗り放題1800円というのがあって、三宮から新開地までも料金に含まれるから安い。大阪までの定期があるので、三宮までの休日を金券ショップで買うと片道240円(安い!)。みなさんも利用してはどうですかね。JRを使わずにかなり広い場所まで遠征ができますよっ。

神戸電鉄は紅葉の名所はないと思うが、それなりの原風景が大都市の景色とごっちゃ混在しているので、イケルかも知れない。行ってみると意外と残り柿子があったりして、しかし中々、線路と良い位置関係にはないのですが、探してみるとそこそこありました。場所を言うと面白くありませんので、興味があればそのうちコメントなどに載せようかと思います。

晩秋といえば残り柿子でしょう(と勝手に決めました)。いくつかあるうちの2枚を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑バックがクサイので少しぼかしてみました。

次に、線路脇に残った柿が撓わに残されている場所がありました。近くに古い民家もあり、そこにも1本残った柿の木がありました。晩秋の日本の秋と思います。このような風景が好きですねん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう1つはススキでしょう。ススキは誰でも撮ていますがここまで枯れてくると、秋も終わりという感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶらり散歩をしていると野焼きをしているおばさんがいました。断って何コマか撮りましたが恥ずかしがって、ケツを向けます。仕方がないので、これでもどうぞ、というところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これで秋の仕事もお納めになり、いよいよ冬へと向かっていきます。晩秋の日本の風景です。

PS: WAKUTA氏がハルカスの写真をいっぱい発表されています。ついででなんですが、阪堺線松虫あたりはよく見える場所で好きですね。もっといっぱい紹介して欲しいと思います。発展する街と古い街が混在していい雰囲気を醸し出す場所が他にないかなあと・・。

オマケです。

2012年冬の中国鉄路の旅 Part5 长春路面電車と軽軌

第6日目 11月17日

① 図们 前日20;30( K7368次)→5:45长春
② 长春19:46(2727次)→翌日9:10绥芬河

定刻に夜明け前の長春に到着しましたが、前回と同様に本站から離れた臨時站です。
少し歩かないと本站まで行けませんが、降った雪で思うように進めません。

途中で朝飯にしました。チェーン店のお粥屋ですが、中々でした。

続きを読む

あべのハルカス

東京では、スカイツリーが話題になっていますが、大阪特に南大阪で話題になりつつあるのが「あべのハルカス」です。近鉄があべの近鉄百貨店に建設中の日本一高いビルとなります。元南大阪の住人としてはその周辺が気になり今回環状線から時計方向に見てきました。初めての事で今回紹介する場所以外にも最適なポイントはあると思います。最初は環状線の寺田町駅天王寺方面行きのホーム先端からです。

多少邪魔者が入りますが仕方ないです。次に阪和線の美章園に向かいましたが適当な場所がみつかりません。次は南大阪線の河堀口です。突然ラビット復元色が現れ慌てました。

さらに阪堺線です。ビルを正面に狙えるのがあべの筋、下町の情緒を入れられるのが東天下茶屋あたりでしょうか。

もう一つの大阪名所通天閣とのツーショットは、えびす町駅です金網が気になります。

最後に南海です。車両が小さくなりますがなんばパークスの屋上庭園からです。アクリルの壁越しとなりますが我慢しましょう。

これら以外にもいい場所はあると思います、ビル完成後も楽しみです。

国立駅の線路改良工事

あと10日ほどに迫り、お知らせのパンフも各駅の構内に配置されています。

 

現行の景色で何か証となる様なものを撮りたいと考え快晴の今朝、富士山と中央ライナー(3572M、E257系)を同一画面に入れました。

 

線路改良後には中央東線の通過列車は画面右側の通過線を走りますので、現行の線路上を優等列車が通るのは武蔵野線への列車以外、稀な事となります。

 【追補】

富士山をもう少し鮮明に映すため、コンデジからミラーレス一眼に変更しました。そして富士山に露出を合わせてみました。

2012年12月12日 3562M/青梅ライナー、従来線の最終走行日

 

 

2012年12月12日 3572M/中央ライナー

 

 

どですかでん様、見つけました!

阪急のアロハ特急についての情報を教えて下さったどですかでん様、TMS181号(1963年7月号)に中島新治氏製作で、阪急800型アロハ特急が掲載されていました。記事にも「当時の常識を破って、黄色と空色の派手な塗り分けで登場して話題をまいた阪急802+805の自作ペーパー製」と書かれています。

2012年冬の中国鉄路の旅 Part4 国境の橋Ⅲ 琿春(珲春)

第5日目 11月16日

① 図門(Taxi)→琿春(珲春)→図们
② 図们20:30(K7368次)→翌日5:45长春

今日は、昨日のTaxiを再チャーターして、図们から東方向(珲春)へと向かい約60キロ先の国境の橋を目指しました。
【不運の鉄路】
 1932年に「珲春鉄路」が設立され、1935年に満鉄北鮮線の訓戎~珲春(14.8キロ)が、762mmのナローゲージで開業しています。訓戎~水湾に架かる国境の橋はこの時に建設されました。
1938年には、「東満洲鉄道」に買収され、1939年には輸送力増強のために1435mmへと改軌されました。国境の橋も、この時点で付け替えられています。その後、珲春以降の延伸が続きましたが、1945年のソ連の突然の侵攻により鉄路は破壊され消滅したようです。わずか10年で消えた不運の鉄路です

続きを読む

小樽から江差へ、そして青森 1日目から3日目小樽まで

 青森の写真展から1ヶ月以上が過ぎた。私も青森へ行くことにしたのであるが、せっかく北の方へ行くのであるからあちこち行ってみようと計画をした。そして考えたのがとにかく船で北上することにした。理由は運賃が安いからである。いろいろ考えた結果、奈良から近鉄で名古屋へ行き、太平洋フェリーで苫小牧へ。苫小牧からとにかく函館に行き、ここから青森へ行くことにした。帰りは再び苫小牧に戻り、今度は新日本海フェリーで敦賀へ。そして奈良に帰る計画である。せっかく北海道に行くのであるから、小樽と江差に行き、津軽海峡は船で往復することにした。その結果、船中4泊、夜行高速バス1泊、ビジネスホテル1泊という7日間の旅となった。

 この旅では予期せぬことがあり、面白い旅となった。写真を中心にして構成したが、船とか建物などの鉄道以外の写真も多く出てくるので、この点は少しお許しを・・・

 では、1日目から3日目の小樽までを。 続きを読む

2012年冬の中国鉄路の旅 Part3 国境の橋Ⅱ 開山屯へ

第4日目 11月15日

① 丹東 前日14:42(K7378)→11:38龙井
② 龙井(Taxi)→開山屯→図们 

 丹东~龙井の1,066キロを約22時間かけて走るK7378次は東北地区のみを走る列車としては、走行距離の長い列車の一つです。
走行する和龙~白河は途切れた路線でしたが、 最近つながりこの列車が生まれました。使用される車両は旧型緑皮車で、暖房は車両ごとの石炭炊きのボイラーです。しかし、乗り鉄には応えられない車両です。
ただ、食堂車がないことが問題ですが、我々二人の主食はビールと白酒ですので、よく来る車内販売で十分でした。 続きを読む

目撃者、探しています!

終戦直後に、こんな電車が走っていたとは思いませんでした。これを知っている人はわずかでしょう。阪急ファンでも知らないのでは?マルーンさん、知ってましたか?さらに、写真を持っている(リアルタイムで撮っていた)可能性のある人は、山科でD52のボイラー破裂を見た方とか、四国の私鉄を撮りまわっていた方ぐらいでしょう。

2012年冬の中国鉄路の旅 Part2 国境の橋

第3日目 11月14日

① ホテル7:30(車)→9:01上河口駅→10:55长甸駅→丹東駅
② 丹東14:42(K7378)→翌日11:38龙井

 朝7時前に目覚めました。昨夕の新義州駅の列車が気になります。急いで屋上に上がって見ました。逆光の向こうに新義州駅があります。
続きを読む

伊賀線廃線跡Ⅱ

伊賀線廃線跡Ⅱとして大阪線桔梗が丘付近を紹介します。周辺は宅地開発が進み昔の面影は無いようですが、今でも判るポイントです。桔梗が丘から名張よりにある今は道路橋として使われている鉄橋があります。国道368の抜け道となっており、車1台がやっと通れる狭いものです。

次は桔梗が丘駅から見た廃線跡ですが、今は右側の工事車両等の留置線となっています。右斜め方向に上記の鉄橋があります。

同じ留置線の伊賀神戸方向です。

旧線は奥の林の方向を左方向に進み(痕跡は残っていません)「西原」「美旗新田」と繋がっていたようです。

旧型車さよなら運転の様子です。

この辺りの風景はいいのかどうか?あまり変わっていません。

 

 

KAWANAKAです。

錦秋版が2つ発表されて、まだ1つ叡電が出るのかも知れないが、そろそろ見納めなので、小生も休みを利用して小さな外回りをしているので、こんなことをしてまっせ、とお披露目したいと思います。

拙宅は高槻なので、休日の金券ショップに行けば200円で河原町か嵐山まで行けます。嵐電は乗り放題500円。

また近江八幡まで同じく金券ショップで900円くらいで近江鉄道の乗り放題は550円。この辺がリーズナブルに行ける範囲かと思います。そうそう京津線も500円やから安いわねえ。という訳で箱根や叡電ほどではないが、ぶらりと出かけました。嵐山から嵐電は桜と思いますが、いやいや紅葉もいけますのやでえ、というところを。第一、春の鳴滝みたいに押すなおすなの人出はありません。

まずは200円で嵐山へ。駅の線路脇のフェンスからできるだけ長焦点にすれば桜のあいだに存在感を出そうと頑張っているモミジが・・・。マルーンが同化していて鮮やかさは今ひとつかもしれませんが、確かに紅葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に嵐電で500円払って鳴滝を通って宇多野まで。

宇多野の陸橋から仁和寺(かな?)が見えます。枝と車両の関係が上手くいかずですが、遥かにお寺が望めるのが如何にも宇多野らしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここでウロウロとしていますと、宇多野で下車する若い二人連れに出会いました。断る時間もなく、距離も離れていたので数カット撮りましたが、如何にも京都、なにかポスターになりそうな写真になりました。撮ったでー、ということで目的達成の感がしましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、鳴滝は桜の名所ですが桜の紅葉もモミジのケバさがなく捨て難い。幸い同業者は皆無。落ち着いた色彩の中から電車が現れてきます。落ち着いてじっくり味わえる時間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京津線は紅葉は難しいのでまたの機会にして、550円で死ぬほど乗れる近江鉄道の無名の晩秋を載せて最後の投稿写真とします。場所はお分かりでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

一昔前の野蒜駅と仙石線


野蒜駅を発車したクハ68086他4連/ (50-5-2)

特派員さんより10月20日【25248】「被災地の鉄道はいま―1―」で仙石線野蒜駅の被災状況の報告があった。たまたま古いネガを見ていたところ、同駅の改築前の写真が見つかったのでご覧に入れたい。
前身の宮城電鉄時代が昭和3年4月18日、松島公園(現松島海岸)~陸前小野間の延伸開業時に建てられたものである。(50-5-2)

【同時期の仙石線風景】
(1)手樽~陸前富山~陸前大塚間
陸前富山~陸前大塚~東名間は海岸線ギリギリに線路が敷かれていた。陸前大塚~陸前小野間の津波による壊滅的被害は特派員さんの報告の通りである。

陸前富山駅/ (50-5-1) 電車はジュラルミン製のサハ78202(昭和21年川崎車輌製)の改造車クハ79902(29年大井工場で全金改造)。


陸前富山~手樽/(49-4-29) クモハ73319+サハ78+モハ70047+クハ79902

陸前富山~陸前大塚/ (49-4-29) クモハ73331+サハ78+モハ72132+クハ79926

陸前富山~陸前大塚/ (50-5-1) クモハ54004+サハ78+クモハ54105+クハ68062

陸前富山~陸前大塚/ (50-5-1) 103系と同様の車体に載せ替えたクハ79600番代とクハ72970番代の4連

陸前富山~手樽/(49-4-29) クハ68060+クモハ54107+サハ78226+クモハ54004

陸前富山~手樽/(50-5-1) クモハ73003他4連

(2)高城町~松島海岸間
特派員さんからの報告の通り、あおば通り~高城町間は復旧されているが、陸前小野までの区間は被害が甚大過ぎて復旧は2015年までかかると言われている。高城町~陸前大塚間は海沿いであるが松島湾の入り江になっているため津波被害はなく、護岸工事を実施した上で現ルートで復旧、陸前大塚~陸前小野間は山側に線路を移設して復旧の予定である。仙台~塩釜~石巻の都市間輸送の他、仙台への通勤、通学客、松島への観光客等多くの人に利用されている重要な路線であり早急な復旧をお願いしたい。

高城川の鉄橋を渡る クモハ73022他4連/ (50-5-1)

同 クハ79208他4連/ (50-5-1)

クハ79926他4連/ (50-5-1) 左側は東北本線

クハ79600番代とモハ72970番代の4連/ (50-5-1)

松島海岸駅に進入するクモハ54004他4連/ (50-5-1)

高城町駅で休車中のモハ70125/ (50-5-1)
モハ70は昭和46年1月から2月にかけて、明石から123~125、11月に新前橋から047が転入したが、朝のラッシュ時の収容力に難点があったため、車体新製のクハ79600番代、モハ72970番代と交代して、50年2~3月にかけて047、124、125の3両は松本区に転属した。125のみ仙石線に残ったが使用されることなく52年3月廃車になった。

松島海岸駅と東北本線松島駅を結んでいた宮城交通のバス(37年式日野RB10)/ (50-5-1)

 (3)単線時代の本塩釜付近
撮影時、複線区間は仙台~西塩釜間で、西塩釜~東塩釜間が複線化されたのは56年11月であった。この区間は塩竈市内の中心部を通り複線化が困難であったため線路が付け替えられ、本塩釜駅と東塩釜駅は移転した。
単線時代の本塩釜駅は棒線にも拘らず仙台方面への折返し電車が存在した。

単線時代の本塩釜~西塩釜間/ (50-5-2)

本塩釜駅前/ (50-5-2) 後ろにホームに電車が停車している。

駅の直ぐ横の踏切を渡る宮城交通のバス(46年式いすゞBU10P)/ (50-5-2)

本塩釜駅前の宮城交通のバス(38年式日野RB10)/ (50-5-2)

 同 (40年式日野RC300P)/ (50-5-2)
元貸切車でヘッドライトきはいすゞのものを付けている。

本塩釜駅前の仙台市営バス(46年式RE100)/ (50-5-2)
当時仙台市交通局も塩釜までの路線を持ち営業所もあった。距離が長く交通渋滞のため定時運行が困難になったため50年代に廃止された。