岡山での昼休憩を終え、12時53分発の糸崎行きに乗ります。227系の数も増えていますが、やって来たのは115系でした。3両編成の車内は少し混み合っており、地元の方が中心でした。列車はモーター音を唸らせながら、山陽本線を西へ進みます。

115系車内より、瀬戸内海を臨む
岡山での昼休憩を終え、12時53分発の糸崎行きに乗ります。227系の数も増えていますが、やって来たのは115系でした。3両編成の車内は少し混み合っており、地元の方が中心でした。列車はモーター音を唸らせながら、山陽本線を西へ進みます。

115系車内より、瀬戸内海を臨む
2日目(11月11日)続き
酒田港線ではDD200を撮っただけに終わりましたが、事前の調査不足のせいと納得しレンタカーで次の地点へ向かうことにしました。酒田の豪商 本間家は最上川水運と北前船による物流で巨万の財を成しますが、その富を酒田の海岸線に広がる砂丘の緑化事業に投じ、酒田の町を砂嵐から守ることが酒田の繁栄につながると何代にもわたって続けるだけではなく、庄内藩、米沢藩の財政を支えた篤志家でした。その本間家が力を注いだ砂丘地帯に広がる広大な黒松林を抜けて国道112号線を南下します。庄内空港を過ぎるとこの地の名刹 善宝寺があります。
かつて鶴岡を起点に海岸の湯野浜温泉まで庄内交通湯野浜線がありました。昭和50年3月に廃止され、既に50年を経過しますが、その中間駅 善宝寺駅跡にモハ3が残されているので見に行くことにしました。
モハ3は高校1年生の夏休みに友人と東北を夜行列車乗り継ぎで1周した際、上野発秋田行き臨時急行「男鹿」の車内から撮ったのが最初の出会いでした。昭和5年日車東京製で、小さな車体に似合わない大きなパンタグラフが印象的でした。
クローバー会のホームカミングデーや写真展は毎年欠かさず参加していますが、そのためだけに上洛するのはもったいないので、なるべく鉄分補給の旅を兼ねることにしています。今回はホームカミングデーのあと、山形方面への旅を計画しました。東北地方は何度も訪れているとは言え、やはり訪問先には偏りがあります。近年は東北地方に限らず、県庁所在地訪問を旅のテーマにしていることもあって、今回はまだ訪問したことのない山形市をプランに組み込みました。
ホームカミングデーの懇親会を少し早めに退席して阪急電車で蛍池に向い、家内と合流し伊丹空港で1泊し、翌11月10日早朝のJAL便で新潟へ向かいました。山形県は日本海沿いの庄内地域と内陸部の最上地域、村山地域、置賜地域の4つのエリアに分かれています。今回は新潟から羽越本線で北上して鶴岡、酒田の庄内地域に入り、月山の麓を越えて寒河江、天童、山形の村山地域に入り、更に仙山線で奥羽山脈を越えて仙台から空路広島に戻るルートを設定しました。新庄の最上地域や米沢の置賜地域はパスです。
新潟・酒田間は特急「いなほ」が早くて便利なのですが、観光列車 快速「海里」でゆっくり日本海の景色を楽しむことにしました。「海里」は4両編成のハイブリッド電車(昔風に言うと電気式気動車)で、新潟寄りから①HB-E302 6(ダイニング)+②HB-E300 6(イベントスペース・売店)+③HB-E300 106(コンパートメント)+④HB-E301 6(座席指定車)となっています。この観光列車のコンセプトは地元食材による食事提供が売り物で、1号車はそのための食堂車、2号車には全く客席がなく、売店では 予約された弁当の手渡しや酒類の販売が行われ、3号車は山側通路の個室席、4号車は全シートが元々少し海側に向くように固定された座席車です。今回 海側の指定席が取れてラッキーでした。我々はグルメ旅ではありませんので、新潟で買った駅弁持参です。JR東日本は「海里」に力を入れているようで、新潟駅出発時にはホームでのお見送りがありました。しかし残念ながらこの日は平日だったせいか、乗車率は30%程度で、盛り上がりに欠けた出発となりました。
【嬬恋村 紀州鉄道軽井沢ホテル】 36.461752, 138.563207 2022年9月15日撮影
オロネ10 88,90,91
日本の代表的避暑地軽井沢の山奥にも廃車体がある。
軽井沢で下車したのは初めてである。どんな所かと思ったが駅前一帯は霧がかかって数10メートル先が見えない。それにかなり寒いので町の散策はやめにした。

軽井沢駅南口 続きを読む
夜行急行も大幅削減
53・ 3改正の趣味上のトピックは、山陽・東海道筋では、EF 58牽引のブルトレがほぼ全滅、加えて装備されるヘッドマークが無くなることの2点で、寝台特急に話題が集中していましたが、特急を補完していた夜行急行も大幅に削減されます。私にとっては乗ったこともない寝台特急よりも、何度も乗車した夜行急行に、より惜別の思いが強くなったものです。新大阪基準で見ると「阿蘇」「西海」「日南」「桜島」「高千穂」「天草」「雲仙」「屋久島」(季節臨含む)など、大部分が廃止、残った愛称も経路や車種の変更が行われました。今回は夜行急行列車に焦点を当てます。
▲ EF61 14[広]の牽く名古屋行き「阿蘇」。 EF 61は18両全機が広島区に配置され東海道・山陽本線の急行・荷物列車の牽引に当たっていて、EF58とは別運用だった。EF 58牽引がほとんど占める客車牽引にあって、その優美なスタイルは際立っていた(昭和50年3月、山崎、以下同じ)
紫の1863さんのコメントで気がつきました。今回テーマの昭和50年3月改正から今年でちょうど50年が経過したのですね。大きな時刻改正は時間軸で覚えているものです。新幹線ができた3910改正は〝かなり昔〟、白紙大改正が行われた4310改正は〝やや昔〟この5003改正は〝ちょっと昔〟という感覚でしたが、50年も経過していたとは‥。今回も寝台特急を見ていきます。
▲「あかつき」と並んで本数の多かったブルトレが、日豊本線を始終発とする「彗星」だった。4310改正で新設されて、改正ごとに本数を増やし、5003改正前には都城発1往復、宮崎発、大分発が各2往復と、計5往復の新大阪行きが設定されていた。広島区の若番、EF58 8の牽く「彗星1号」、回送とはいえ、新快速も走る外線のこと、かなりの速度で通過する(以下、山崎付近、昭和50年3月)。
先週3日間東京へ行き、人に会ったり、写真展の見学をしていました。そこで多くの方から聞いたのが、「〝デジ青〟見てます」の声、改めて感じ入りました。私も老骨にムチ打って、まだ続けます。変化球勝負は置いておき、正統な(?)列車・車両の思い出から〝熱中時代シリーズ〟今までの「山科大カーブ」「交直接続区間」に続いて、昭和50(1975)年3月改正の前後の「山崎」としました。
山崎の朝 EF58ブルトレのヘッドマークが輝いた
昭和50年3月のダイヤ改正では、山陽新幹線博多開業に伴い、関西発着の在来線優等列車が大幅に削減・再編され、とくに昼行特急・急行の廃止、夜行列車の整理が顕著でした。 昼行特急は、岡山発着の「つばめ」「はと」「しおじ」、京都発着「かもめ」も
廃止、急行も関西を通る「桜島」「高千穂」「天草」「日南」なども廃止され九州方面の昼行優等列車は新幹線に置き換えられます。夜行列車も整理・再編、寝台特急(ブルトレ)は一部存続するも、大幅削減され、関西〜九州間の旅客輸送は、新幹線接続を前提とした再編が進みました。また湖西線の開業により、北陸方面の列車体系にも変化が生じました。 ▲初めて山崎に撮影に行ったのは、高校1年生、昭和40年の秋だった。これから紹介する寝台特急「あかつき」が昭和40年10月改正で誕生、関西では初めて明るいうちにブルートレインが見られたのだった。さっそく山崎へ行き、丸っこい20系後部を写すことができて大満足だった。
9月2日(月)
京都 8:30 ― 3421M新快速 姫路行き → 姫路 10:08
姫路 10:09 ― 957M 播州赤穂行き → 相生 10:28
相生 10:29 ― 1313M 岡山行き → 岡山 11:38
岡山 12:53 ― 1735M 糸崎行き → 糸崎 14:26
糸崎 14:54 ― 327M 岩国行き → 岩国 17:09
岩国 17:17 ― 2237D 徳山行き → 徳山 18:36
徳山 19:03 ― 3343M 下関行き → 新山口 19:48

旅もいよいよ後半戦。京都駅6番のりばよりスタート。
以前、若手会のイベントで乗車した紀州鉄道に関わるニュースが舞い込んできました。このご時世にも関わらず乗車賃が安く、なんと良心的なのかと感心していましたが、現実は厳しいようです。駅名喫茶店(第109回:紀州鉄道の駅名)
https://toyokeizai.net/articles/-/915252?display=b

明日は待ちに待ったホームカミングデーです。あまり期待しすぎるとと行けなくなりますから、このあたりで。
最近、能勢電鉄ではデジタルスタンプラリーのエキタグが導入されました。駅名喫茶店(第127回:エキタグのある駅名(関西編))に追記するにあたり、対象駅を調べてみると、どうやら全駅への導入とのこと。せっかくならば全部まとめてみようと思った次第です。

松江の友人から木次線の情報が入りました。
12月14日に木次経済文化会館で、今年のホームカミングデーで講演される江上英樹氏が講演をされます。
12月12日は木次線の全線開通記念日で、それを祝うイベントが木次線沿線で盛大に開催されるそうです。
そこでは木次線存続に関してパネルディスカッションや江上英樹氏による基調講演「マンガでつなぐ地域の未来」が開かれます。
また、当日完成で木次線応援コミックス「さかねとつむぎとキスキ線」が発表されるようです。
送られてきたパンフを掲載しますのでご覧頂き、行ける方はぜひともご参加下さい。
熱海から浜松までの所要時間は2時間半、ロングシートでの移動でしたが、思いのほか早く通り過ぎたという印象です。長旅に慣れてしまったせいかもしれません。

熱海から211系電車に揺られること2時間半で、浜松に到着。
京田辺は近鉄を利用すれば1時間以内で着けるので、もうこれは行くしかありません。現地での熱気を写真とともに紹介します。会場でお会いした紫の1863様、ご来場いただきましてありがとうございました。
なお明日も出展予定とのことです。11月2日(日) 9:00~15:30予定 TC1-206(知真館1号館)


都心に残るのんびりした朝の風景に溶け込む池上線。(旗の台にて)
8月26日(月)
旗の台 7:25 ― 溝の口行き → 溝の口 7:44
武蔵溝ノ口 7:50 ― 712F 川崎行き → 川崎 8:12
川崎 8:20 ― 1833E 熱海行き → 熱海 9:50
熱海 10:00 ― 435M 浜松行き → 浜松 12:29
浜松 12:46 ― 955M 豊橋行き → 豊橋 13:18
豊橋 13:32 ― 2525F 快速 大垣行き → 大垣 15:01
大垣 15:09 ― 235F 米原行き → 米原 15:44
米原 15:47 ― 3491M 新快速 播州赤穂行き → 京都16:42
【大阪市住之江区 保育園】 2024年1月3日、4月11日撮影
オハ50 173,174
◆2両とも1980.2.22富士重工業新製 亀山配置 → 1986.11.1向日町 → 1989.3.11姫路1990.3.28廃車

4月11日撮影。画面右がオハ50 173、左がオハ50 174
用件が立て込んで、デジ青投稿もままならない状態が続いていますが、気がつくと写真展など関係する催事の発表も遅れてしまって、開催中、と言うかあと数日で終わってしまう写真展も含め、一挙ひとまとめにご案内します。
◎ もう終わりますが また江若鉄道写真展
つい先ごろやったばかりですが、舌の根も乾かないうちの江若鉄道写真展、近江今津駅近くでやっています。
琵琶湖岸に沿って、浜大津から近江今津へ~江若鉄道写真展
10月1日(水)~31日(金)滋賀銀行今津支店 (銀行営業時間のみ開催)
滋賀銀行での写真展は、高島町支店、志賀町支店に続き、3回目の開催となります。限られたスペースの銀行ロビー展でありしかも今津では、コミセンで何度も開催しています。全く変わり映えのしない写真内容で
すが、世代交代も進んでいます。少しでも多くの方に、会場のすぐ近くに江若鉄道が発着していた事実を知っていただきたいと思っています。気が付けば、残り5日間だけの開催です。▲会場の銀行支店は、写真の江若の近江今津駅とは目と鼻の距離にあった。ところが、開催を願い出た銀行担当者は、その史実を全くご存じない。しかし、知らないのが世間の常識、知っているのは老人だけと納得、不断の告知の必要性を感じた。後世に江若鉄道の思いを継いでいく「江若鉄道を語り継ぐ会」の会議が昨日行われて、私も参加、晩の21時まで今後の活動計画を侃々諤々で進めた。