お城と電車(1)高松城

電車がお好きであった沖中忠順先輩の四十九日が行われたとの報に接しました。生前に親交のあった趣味仲間の方々も多数参列されましたが、私にとっても沖中さんは思い出の人となりました。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

さて、デジ青についていつも総本家青信号特派員さん、ぶんしゅう旅日記さん、米手作市さんなど長老の皆様ばかりに頼っていては申し訳ないのでこのあたりで投稿のほぼ最長老者になった私も下手な自主公演を始めたい。今回は「お城と電車」と題してこれ迄撮影した時にチラッと城や石垣が写っているもの等を発表していきたいと思う。過去にもデジ青でこのテーマが話題になったことはあるが、皆さんもコメントや参考写真などがあれば横槍を突いていただきたい。

第1回目は琴電高松築港駅~片原町間で見られる高松城である。ここはお城の石垣と堀がよく写り、琴電自身も動く鉄道博物館と言われて各地で活躍した兵(つわもの)が多く見られたので何度も訪問された方も多いと思う。高松城は玉藻城とも言われ藩主松平氏の時代が明治維新まで続いた。城跡は玉藻公園となっており天守跡も残っている。

ことでんこと高松琴平電鉄のターミナル高松築港駅は石垣が迫りくる迫力でこのような風景は他所ではなかなか見られない。停車中の電車は1255長尾行きと1209琴電琴平行きでどちらも元京急の2代目700形で18m級4扉車である。2017.7.25▼

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 ほぼ50年前 同月同日メモリーズ  ②

昭和45(1970)年7月24日 最後の「びわこ」を撮る

京阪大津線を走っていた「びわこ」号60形のうち最後まで残った63号が、大津線全車のパンタ化により、引退することになり、この日、記念の貸切電車が京津線、石坂線で運転されました。日本最初の連接車、昭和9年にデビューし、天満橋~浜大津での活躍を始め、数々の伝説を残してきた「びわこ」60形61~63でした。しかし、次第に活動の場が狭められ、62号が昭和42年12月、61号が昭和43年12月に廃車になり、残るは63号のみになっていました。この1両も、ポール集電(スライダー式)からパンタ集電に改められるのを機に廃車されることになりました。この日は、鉄道友の会の貸切電車として、久しぶりに京津線、石坂線を走ることになったもの、夏休み期間中でBOXでの情報交換も得られない時期でしたが、例によって大西顧問から、詳細な情報を入手し、まずは三条通で待ち構えました。蹴上を通過して、専用軌道へ入って行く臨時の「びわこ」63号、当日は、錦織13:52→(回送)14:33三条14:40→15:05浜大津15:08→15:33三条15:40→16:16(回送)錦織のダイヤで運転された。 続きを読む

 ほぼ50年前 同月同日メモリーズ  ①

「50年前の同月同日シリーズ」をことし冬に投稿しましたが、予想どおり途中で挫折してしまいました。やはり「50年後の同じ日に投稿する」制限を加えると、その価値は認めるものの、書き手としては、相当な重荷となって、いつの間にやら中断してしまいます。考えるに、48年前であろうと53年前であろうと、今となっては大した問題ではなく、毎日更新をウリとする“デジ青”で価値があるのは「同月同日」の部分だと分かりました。そこで「ほぼ50年前」と看板を改めて、少し気分をラクにして「同月同日」シリーズを適宜、載せて行きます。

昭和43(1968)年7月22日 灼熱のなかの大阪市電

京都市電はあれほど撮っているのに、近くの大阪や神戸の市電はほとんど撮っていません。駅ターミナルへ行くことはあっても、市電が走っている街なかへ出掛けることもありませんでした。それが大阪万博を前に、市電がつぎつぎに廃止されて、他所の街ながら、気がかりになって来ました。

この日の本来の目的は、城東貨物線の蛇草信号場へD52を撮りに行くことで、初めて大阪のミナミへ足を踏み入れて、「天王寺西門前」へ来た。市電上町線が走る谷町筋と、市電天王寺線の走る国道25号線が交差するところで、現在の「四天王寺前」交差点である。写真は、交差点東北から、上町線を見たところ、この左手奥が阿部野橋(天王寺駅前)となる。左手には、信号塔のあるのが分かる。ここで、阿部野橋発の1号系統が大国町・四ツ橋筋へ向かって左折するため設けられている。谷町筋はこの直後に倍以上に拡幅され、今では全く面影は残っていないが、「エコー歌謡学院」という看板が見える。ここは、松山恵子や藤島武雄を生み育てた、大阪の名門の歌謡学院だったそうな。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part10 根室本線、山線乗り鉄旅

第7日目 6月28日

▲ 7:02 昨夜宿泊した『富良野AK STAR HOTEL』です。駅や繁華街からも離れて目立つ看板もなく一見してホテルとは見えません。昨夜着いた時もオーナーがホテル前でお待ちでしたので見過ごさずに入れましたが街灯もない暗い場所ですので初めて宿泊する方が到達するのは難しいでしょうね。

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JR四国の主要列車を撮影 ~駅撮り一時間 現代版②

鬼無駅で駅撮り一時間半

JR四国6000系2編成を撮影した予讃線鬼無駅で、その前後、停車・通過する列車を撮影しました。その一時間半の成果を見ていただきます。時刻は8時から9時30分まで、朝の時間帯とあって、高松へ向かうJR四国の代表的な列車が通って行きます。

予讃線で高松から二つ駅の鬼無駅、つぎつぎに列車がやって来る。最もポピュラーなのが普通列車、7200系の2連。6000系も含めて約10分ヘッドでやって来る。国鉄時代の四国初の電車121系を完全リニューアルした。鬼無駅は、複線の対向式ホームで、何の変哲もない構造だが、この時間なら珍しく順光で撮れる。背後にある讃岐地方独特の円錐形の山もアクセント、手前の家や広告さえなければ、言うことなし。

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 大好き JR四国6000系 ~駅撮り一時間 現代版①

夏が来ても、遠出ができず、家に籠ったままの生活が続いています。つい思い出すのは、直近に行った旅のことです。クローバー会で行った四国〈多度津・琴平ツアー〉から二ヵ月近くで経ちますが、同じ目的を持った仲間と旅することの楽しさを再認識しました。集合前の朝に、ぶんしゅうさんとともに、小さな駅に降り立って、ホーム端から高松へ向かう列車をつぎつぎに撮影しました。JR四国の列車写真を短時間でこれほど撮ったのは初めてでした。なかでも、前から憧れていた、JR四国6000系電車を全編成(と言っても2編成だけ)撮れたのは大きな収穫でした。

211系顔をしたJR四国の6000系、この顔はJR各社にさまざまな形式があって、端正な顔立ちで最後の国鉄型電車スタイルを確立した。なかでも6000系の高松方は、「前パン」になっていて、その魅力を倍加している。後部には右のように7000系のTc車7100を併結した4両編成となっている。 伊予西条発高松行き114M快速「サンポート」 6001-6201-6101+7108 予讃線鬼無

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京都市バス201系統 50年~祇園囃子を聞きながら

京都に祇園囃子が戻ってきました。昨年、一昨年は、祇園祭の巡行は中止、3年ぶりに囃子を耳にしました。京都の人間は、やっぱり心が浮き立ちます。私も昨日、写真展見学のついでに、四条通へ行ってきました。

高齢者は、無理やり市電と結び付けようとしますが、満員の通行人のうち、市電を知っている世代は皆無に近いほど、若い人たちが多いのに驚きます。市電四条線が無くなったのは昭和47(1972)年1月ですから、ちょうど50年になるわけです。代わりに走り始めたのが京都市バスで、市電の経路に準じた、系統番号200番台の代替バスです。その代表が、市電1号系統の代替バスとなる201号系統です。

祇園祭巡行でつねに先頭を行く長刀鉾の横を走る、京都市バス201号系統。みぶ~千本今出川~百万遍~祇園~壬生と、京都の中心部、千本、今出川、東大路、四条通を循環する。市電の1号系統の代替バスとして走り始めて、ことしで50周年となる。市電廃止時に多くの代替バスが走り始めたが、この間、一度も経路が変わらず、京都の中心部を走り続ける、市バスの代表的な系統となった。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part9 摩周そばを求めて

第6日目 6月27日

① 釧路8:18⇒10:45根室

今日は前回の旅で食べそこなった根室駅絶賛の駅そばを食するため、リベンジで参りました。今回の旅の目的の1つでもあります。店の営業開始は11時からと駅員から聞きましたので10:45着の列車で向かいます。


8:07 釧路駅4番ホームに参りましたが、前回はガラガラだった車内はおばちゃま達の団体客で満席です。
運転席後ろに立って進行方向を見続けるのは大好きですので苦痛ではありませんが、それでも2時間半はちょっとしんどいかなと何とか空席を見つけました。

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 駅撮り一時間 〈10〉

昭和47(1972)年2月16日 新大阪駅

新大阪を通過する、下り新快速の西明石行き。設定当初の新快速は、京都~西明石の運転で、昭和46年4月に草津まで延長された。当初の停車駅は大阪、三ノ宮、明石で、新幹線と接続する新大阪、神戸市の代表駅、神戸も無視、あくまで京阪神の中心駅の直結輸送を目的とした。京都~大阪の所要は、特急と遜色のない32分運転だった。

大阪駅で優等列車を写したあと、新大阪へ移動しました。翌月の昭和47年3月改正による新幹線岡山開業に伴い、新幹線接続は新大阪から岡山に移り、新大阪発着の優等列車は、大幅な改廃が実施されることになります。

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 駅撮り一時間 〈9〉

昭和47(1972)年2月16日 大阪駅

581系の特急「つばめ」が大阪駅に4番ホームに到着し、11:37に発車する。「つばめ」は昭和40年10月改正で151系から481系に変わり、さらに昭和43年10月改正で581系に置き換えられた。名古屋~熊本の昼行運転なので車内は座席として使用された。

雑事に追われて、私も投稿ができていませんでした。もちろん毎日閲覧はしていますが、最近のコメントを見ても、8年前の投稿に対して、岩手県にお住いの方から地元ならではの書き込みがありました。検索機能を使って、過去の投稿にも多くの閲覧があることが分かります。「デジ青」が巨大なデータベースに育っていることを痛感しますが、それを継承して行くためには、とにかく「写して、書いて、投稿する」しかないのです。もう停滞はできません。

少し前に昭和40年の大阪駅の「駅撮り」を載せました。それから、7年後に、大阪駅、新大阪駅で、一時間程度の駅撮りをしました。この7年間、国鉄も大きく変わり、その象徴は新幹線の延伸でしょう。昭和40年当時は新大阪まで、その後、山陽新幹線の工事が進捗し、来たる昭和47年3月改正では、岡山まで開業します。新幹線接続も、新大阪から岡山へと移り、ダイヤ改正が実施されます。変動のある列車を求めての駅撮りでした。

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追悼・乙訓の老人 ここはどこ?わたしはだれ?

早いもので、乙訓の長老様が還らぬ旅に立たれてひと月になります。
パソコンの前に座ってもキーボードに指が届かない日が続きました。
目の前には長老様から預かった写真の山があります。奥様から「放っておくと捨ててしまうので全て任せるので持って帰って欲しい」と言われた写真です。そのうち長老様と思い出話をしながらゆっくりと整理すればいいや、と思今となっては今となっては悔やまれてしかたがありません。
会員の皆様も同じと見えて新規投稿も少なければコメントもしめりがちです。

こんなことでは「デジ青」ファンの皆様に申し訳なく、長老様が楽しみにしていた「デジ青」にも申し訳が立ちません。そこで気持ちを切り替えて写真整理に取りかかりました。長老様に聞いても「しらん、撮ったおぼえもないわ」と言われた写真から掲載しますので、例によってデジ青探偵団の皆様に「車両の特定」「撮影場所」「撮影時期」を教えて頂きたいのです。

おおいにツッコミ頂いて盛り上げてもらい、以前の賑やかさを取り戻して天国の長老様に笑ってもらえたらうれしいと思いますので宜しくお願い致します。

同志社号発車式で檄を飛ばす長老様

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part8 登別から釧路へ乗る 2の2

第5日目 6月26日 その2

根室本線 東鹿越~新得は、2016年台風10号の影響で集中豪雨となり斜面の崩壊や線路への土砂流入、橋梁の流出など甚大な被害が発生し、復旧には概算で10.5億円の工事費と少なくとも12か月以上の復旧工事期間を要するとの調査結果が発表されました。多大な費用が掛かることから費用の工面が付かずそのままとなっています。このために東鹿越~新得バス代行で結ばれています。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part7 登別から釧路へ乗り鉄旅 2の1   


今日は釧路へと向かいますが問題はルートです。A・B案とも登別から旭川までは同じですがここで東と南方向に分かれます。

登別 8:37(北斗1号)⇒9:50札幌10:00(ライラック11号)⇒11:25旭川
Ⓐ 旭川 12:41(大雪1号)⇒16:31 網走 18:54⇒22:08 釧路
Ⓑ 旭川 11:33⇒12:07 美瑛 13:08(富良野・美瑛ノロッコ号)⇒13:59 富良野
  富良野14:19⇒15:04東鹿越15:13(バス代行)⇒16:21新得
  新得 16:33(おおぞら7号)⇒18:39 釧路

Ⓐは、前回来た時は平日運休で乗車できなかった特急大雪号と夕焼けの釧網線に乗車できます。ただ網走での乗継時間が2時間23分もあり釧路着は22時を過ぎます。網走でゆっくりと夕食時間にしても良いのですが、22時着は遅すぎるように思えます。

Ⓑは、富良野線のトロッコと根室本線代行バスに初乗車できます。Ⓐと違って釧路着は丁度いい時間です。

どちらを選択しても宿泊はスーパーホテル釧路駅前を予約していましたので着くのが多少遅くになっても電話を入れておけば問題ありません。
旭川に着く直前まで悩み続けましたがそれまで検討時間がとれたのはこのフリーきっぷのおかげです。そして最終的にはⒷプランへの願望が勝りました。
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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part6  函館から初めての登別へ 2の2

第4日目 6月25日 その2

東室蘭から室蘭支線 7.0㌔に乗り換えて室蘭を目指します。2021年3月13日よりキハ40系から置き換えられたE100形に乗車します。苫小牧運転所では現在18両が運用されています。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part5  函館から初めての登別へ 2の1

第4日目 6月25日 その1

今朝も5時前に目覚めましたので直ぐに朝風呂です。露天風呂はありませんが温泉です。広い浴場で快適な朝を迎えました。ただ空を見上げると雨は止んではいますが青空は広がってはいません。TVの天気予報では今日は青空が見えて晴天になると言っていますので期待はあります。
朝食は7時からですので朝の散歩を兼ねて函館市電を撮りに出かけることにしました。
▲ 6:10 湯の川温泉に着いた駒場車庫から出庫した一番電車、車内に乗客は見られず、電停での乗降客は誰もおられません。

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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part4 暴風雨の中、函館市電を撮る 

第3日目 6月24日

今朝も5時には目覚めましたが、部屋の窓からは雨しか見えません。宿泊している東横インは朝食が付いてはいますがドーミーインやスーパーホテルのような美味しいものではなくおにぎりに総菜が2~3品ほどついた程度です。
6時半からしか出ませんのでホテル周りにある豪華な海鮮物の並べられた朝市を見て回って満足感をいただくことにしました。ホテルからはほぼ軒の下続きで雨を避けて回ることができます。コロナ騒動以前に来た時はインバウンド客、特に中国本土からの客が多く中国語が飛び交っていましたが、今は日本語だけです。それも大声はなくとても静かなものでした。
▲ 7:53 食後部屋でTVを見てゆっくりとしてから街へ出ました。ご覧の通りの土砂降りで時々横風が吹いてまつたけ傘にもなります。
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『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅 Part3 函館本線(山線)を南下して函館へ 

第2日目 6月23日 その2

 

② 倶知安 12:35⇒14:11 長万部

▲ 12:05 再び倶知安駅に戻りました。ホームには本来今から乗車します長万部行きに接続する小樽発の1938Dが到着していました。乗り継ぐ乗客も多く降りて待っておられます。
そして折り返しでやってきた長万部行きはH100-11号の単行です。車内はご覧のように満席状態となりました。途中駅での乗降客は少なく、ほぼこの状態で終着駅へと向かいました。乗客の多くは鉄ちゃんらしい方々が多く思えました。皆さん北海道新幹線の工事が進む中で今のうちに山線との別れを味あっておきたいと望んでおられるようでした。青春18きっぷのシーズンが近づいています。多分三江線が廃止になった時と同様に乗り切れない客で一杯になるのでしょうね。
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