続いて冬の北海道ならではのBlue Momentを見ていただきます。この2018年、注目したのは富良野線の西中という駅でした。これには伏線があって、2011年、ぶんしゅうさんと一緒に北海道へ行った時、富良野線で撮影して、西中駅も訪れていました。名も無いような無人駅ですが、一面草原のなかの木組みのホームが気になって、いつか季節を変えて再訪したいと思っていました。改めて時刻表と、日没時刻を照合すると、西中駅で思い描いた撮影が可能かと分かり、宗谷本線に続いて、富良野線の乗客になっていました。
▲目指す西中駅は、富良野から40分ほど、まだ明るいうちに下車した。周りはずっと雪原が広がっていて、向こうのほうに、人家の灯りが見えるだけ。ただ、ひたすら最適の時刻を待つ。2月にしては、それほどの寒さでもないが、写真に見える2畳ほどの待合室に入って、身をかがめて、その時刻を待った。▲▲2011年訪れた、初夏の西中駅、「お立ち台通信」にも載っていないような無人駅だが、伸びやかな周囲の風景がずっと気になっていた。
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -2-
夏の終わりから一転して、冬の北海道へ飛びます。Blue Momentのもとで列車を撮る場合は、当然のことながら、限られた時間帯に列車が来ることが絶対条件で、事前の調査が不可欠です。この年の北海道行きは、Blue Momentの面白さに目覚めた時でした。昼間の撮影は適当にして、この時間帯に集中することにしました。第一日目、昼に千歳に着いて、足が向いたのは宗谷本線でした。旭川発名寄行き329Dが、その時間帯を走り抜くことが時刻表から読み取れ、日没時刻から計算して、最適の駅を塩狩としました。
▲15時前の列車で塩狩に到着、実に50年ぶりの塩狩下車だ。名物のラッセルが停車していて、待ち時間を有効に使うことができた。次第に周囲が暗くなって、雪のなかのBlue Momentを迎えた(以下、2018年1月)。
青い瞬間(とき) -Blue Momentを追いかけて -1-
写真展を終えて、一服しているところです。こんな時こそ、久しぶりの旅行をと思うのですが、連日の不順な天気では、その気も失せてしまい、相変わらず引き籠もり生活が続いています。いっぽうデジ青も、「カビが生えたような写真は止めて、色付きの写真でも載せたらどうや」の声に対抗できる新作はほとんどありません。それならばと、数年前から、密かに(?)温め続けていたテーマを、今回、公開しようと思った次第です。と言っても、「またか」の発表済み写真もありますが、「デジ青テーマは無限、タテで切ったら、ヨコにも、斜めにも切れる。もっと横断的なテーマを」と吹聴した当事者としては、これもアリかなと思った次第です。
テーマは、Blue Moment(ブルーモーメント)。日没後に一瞬だけ訪れる、空が青く染まった時間帯です。デジカメの普及で、アプローチしやすいテーマとなり、写真用語では「マジックアワー」とも言われています。ここ数年、意識して、“青い時”を求めて、写した記録をランダムに見ていただきます。
▲夕景でも夜景でもない、日没後の5分程度見られる“青い世界”、撮影には事前の計画も大事だ。遠くへ出かける気力・体力がめっきり減退した高齢者体質となったいまは、自宅近くの鴨川での“夕練”が日課になった(8月30日撮影)。
岐路に立つ西武の黄色い電車
西武鉄道といえば、黄色い電車。このイメージは関西の鉄道ファンも持っている認識かと思います。
実はその数は少しずつ、でも確実に減ってきています。

西武のイメージカラーを纏う新2000系(左奥)と旧2000系(右)。旧2000系は本線用8両編成が引退し、風前の灯に。
青春18で巡る四国3日間(その6最終回)
キハ32の4918Dと交換、伊予上灘。
(青春18でひたすら帰る)
今回、初日はキハ40系、2日めはとさでん交通、そして3日めの8月15日はキハ185系3100番台と決めていました。北伊予で3100番台628Dの回送を撮ると、もはや特に狙うものはありませんが、せっかくのなので、松山地区でしか見られないキハ54型と宇和海の2000系を撮ります。月曜日なので、新装なったキハ185の2代目の伊予灘ものがたり号を見ることが出来ないのが残念です。 続きを読む
3年のご無沙汰でした。第9回クローバー会写真展「鉄路輝く 私のお宝写真」
巷では「3年ぶり」という枕詞が大はやりです。クローバー会写真展も「3年ぶり」
です。場所は今までと同じ京都四条通り祇園にある「ぎゃらりー西利」で、期間は8月17日から23日まで7日間です。写真展の準備も今までですと現役生のBOXでプリントを写真フレームに取り付ける作業などをしていたのですが、BOXで大勢の人が集まることが禁止されているので作業にも従来と違う方法を行う必要がありました。とにかく無事に開催できてほっとしています。ではどんな感じだったかというと
Web版 第9回クローバー会写真展 作品集 「私のお宝写真」
Web版 第9回クローバー会写真展 追悼展示 沖中忠順さんをしのぶ
第1回から第8回までの写真展はTOPの「写真展」のタブから入ることができます。または下記のURLをクリックしてください。
「近鉄特急」がきっかけ

皆様がDRFCに入会したきっかけは何でしょうか。
私の場合、高3の時に手にした「田淵仁著 近鉄特急(上・下)JTBキャンブックス」が、同志社大学鉄道同好会OB会との初めての出逢いでした。
カラー写真が満載で、税抜き1600円と決して安くはありませんでしたが、近鉄好きということもあり、奮発して上下巻2冊とも購入しました。
その書籍を手にすると、「同志社大に合格したら、絶対に鉄道同好会に入るぞ!」と思った次第です。
DRFC OB会会員(役員)となった今、今度は新規会員を集める立場となりました。些細なことがきっかけで、入会に繋がることはよくあると思います。そういった「きっかけ」作りを日々考えています。
“ナメクジ”に 魅せられる (6)
貨物列車を牽く“ナメクジ”
本シリーズも最後となりました。今回は、“ナメクジ”が本領を発揮した貨物列車を牽くシーンです。旅客を牽いた前回と比べて、さすがに多くの写真を撮っていました。いまの動態D51は旅客ばかり牽いていますが、やはり、D51は貨物を牽く機関車だったと改めて思います。その中の“ナメクジ”ですが、全国分布は、前回に記したとおり、東北・北海道に多く見られました。機構上、集煙装置を取り付けられないことと、第一動輪の軸重が少し軽く、勾配区間ではあまり好まれなかったようですが、それでも、全国的に“ナメクジ”の牽く貨物列車が見られました。
▲最終回に当たり、改めて“ナメクジ”と標準型の差異を並べて見た。左:D51 61[尻] 初期グループの半流線形、1~85、91~100の95両がいた。右:D51 164[戸] 給水温メ器を煙突前に置いた、“デゴイチ”の代名詞、日本の蒸機の代表的スタイル。これ以外に戦時タイプの1001~1161の161両がある。両者を比べると、“ナメクジ”は煙室端面にRがあるが、標準型は角型、煙室扉の取っ手は、“ナメクジ”は両側の2個、標準型は片側1個。
青春18で巡る四国3日間(その5)
宇和島駅へ進入。
(キハ185系3100番台)
8月15日の早朝、宇和島6時9分発の628Dを撮りに出動します。出庫は5時53分とのことですが、その時間にはまだ駅構内に入れないので駅手前の跨線橋から駅進入を撮ります。架線がないのでいとも簡単に撮れてしまいます。この松山行の628Dと、途中で伊予大洲で交換する松山5時51分発宇和島9時10分着の911Dの1往復が、キハ185系3100番台の定期運用です。 続きを読む
お城と電車(4)
有名な城であっても線路に近くないと本題にそぐわない。その点、山形城はそれほど有名ではないが、とにかく駅から15分も歩けば城郭の雰囲気を味わうことができ線路に近い。山形城は最上氏の居城で現在の城址は最上義光が拡張、整備したもの。その後、鳥居、保科氏ら譜代大名が城主として入れかわり明治に及んでいる。
山形-北山形間は山形新幹線、奥羽本線、仙山線、左沢線の車両が通過して行く。日本の多くの城は公園になっており桜の名所でもあるが山形城も霞城公園として例外ではない。桜関連は後日貼り付け予定。古い時代のC51、C57、DF50の時代はとても手が回らなかったが、現在は首都圏から日帰り圏になったので時々訪問している。

仙山線の快速山形行きE721系 2018.1.19 ▲

左沢線(フルーツライン)左沢行き後部キハ101-12 通常2両だがラッシュアワーに入り4両となる。2018.1.19▲
沖中さんの置き土産
“乙訓の老人”こと沖中忠順先輩が西方への旅に発たれてはや3ヶ月になろうとしています。今でも電話が掛かってきて「おい、話があるから四条大宮まで出てきてくれ!」と言う声が耳に響く気がします。そんな頃、四十九日・納骨式が開かれることになり、会長と共にお呼び頂きました。
ところで沖中さんが亡くなって驚いた事(不謹慎ながら嬉しいこと)がありました。
それは、会いたかった方にお目にかかれたことです。
お一人は、このホームページでたびたびコメントを下さっている「乙訓の老人の甥」さん、今一人は当会創立者のお一人の「重澤崇」先輩です。
青春18で巡る四国3日間(その4)
735D、吾桑。
(予土線へ)
高知駅の高架下でそそくさと昼食を食べ、暫しとさでん交通を撮影してから、高知14時35分発の735Dで終点の窪川まで1000型ディーゼルカーに約3時間乗ります。3連で出発しましたが途中の須崎で2両を切り離し、30分停車した後、4735Dとなって1両で窪川まで向かいます。高知から窪川まで直通する普通列車は下りで5本しかなく、「特急にのってください」ということなのでしょう。もっとも高知―須崎の区間運用の普通列車は1時間に1本程度はあるので、輸送密度に応じたダイヤになっているのだと思います。
写真展の裏話
写真展 トークショー行われる!
祇園「ぎゃらりぃ西利」で開催中の第9回クローバー会写真展「鉄路輝く」も、あと2日を残すのみとなりました。来場者は、この5日間で120名程度でしょうか。決して“大賑わい”と評価するほどの数ではありませんが、その分、来場の皆さんとは、ゆっくりと対話を楽しむことができました。遠来からは、首都圏からわざわざお越しいただいた方も数人、なかには鉄道雑誌の敏腕編集部員にも来ていただきました。
さて、20日(土)16時からは、恒例となった「トークショー」が会場で行われました。16時前から続々と会員が集まり、開始時には14名、そのあと、途中入場、終わってからの来場も含めて、計18名が集まりました。遠く、四国は香川県から、愛知県、兵庫県からも来場をいただき、皆さんで写真にまつわる、自慢話、失敗談、あの話この話で大いに盛り上がりを見せました。
▲さっそく、あちこちで話が盛り上がる
▲撮影者でないと語れない興味深い話が惜しげもなく披露された。
▲開始前に記念撮影、その後も途中入場者も含めて18名が来場、その場にいた出品者全員から、ありがたい話を聞くことができた。
青春18で巡る四国3日間(その3)
とさでん交通800型、はりまや橋
(8月14日、とさでん交通)
8月14日、日曜日は、とさでん交通の郊外区間に乗るのが主な目的です。これまで、高知駅前からはりまや橋、桟橋通五丁目までは乗ったことがあるのですが、東の後免、西の伊野まで郊外線は乗ったことがないので楽しみです。 続きを読む
青春18で巡る四国3日間(その2)
国鉄時代の塗装のキハ185系剣山6号と交換、阿波川島。
(徳島から普通で高知へ)
徳島からは11時38分発の449D阿波池田行きに乗ります。JR四国の1200型ディーゼルカーの4連です。この1200型は、もともと1000型でデビューしたものを、後で出てきた1500型と併結が出来るように改造したものだそうです。特急剣山なら徳島―阿波池田を1時間10分ほどで走破するところ、鈍行なら倍の時間かかりますが、平成の新造車なので空調付きの空気ばね車で、固定クロスだが国鉄時代の直角シートと比べるとかなり上等です。 続きを読む
青春18で巡る四国3日間(その1)

最終23時35分難波発のサザン号(別日に撮影)
(8月13日、徳島)
青春18と切り出して、いきなり看板に偽り有りですが、徳島に渡るのに「南海好きっぷ」を使って23時35分難波発最終の特急サザン号に乗ります。この好きっぷは南海電車の難波から和歌山港までと徳島フェリーを併せて2200円です。もし、これをばらばらで買うと3130円なのでお得感があります。 続きを読む
私が出会った”ナメクジ”たち
総本家青信号特派員殿の連載記事に刺激を受けて、自分は何匹(何両)ぐらいのナメクジに出会ったのだろうと調べてみました。吹田ヤードの78号機以外は、東北、北海道ばかりで、特派員氏の解説に納得しました。さて下手クソな写真ばかりですが、時系列的に並べてみました。まずは昭和43年3月27日の奥中山です。高校を卒業し、DRFCに入学する直前の春休みに友人2人と6泊7日、すべて夜行列車泊の東北旅行を敢行しました。奥中山はすでに架線も張られ、電化直前でDD51も姿を見せてはいましたが、続々とやってくる客レ、貨物とも蒸機の天下で、圧倒されたのを覚えています。
“ナメクジ”に 魅せられる (5)
旅客列車を牽く“ナメクジ”
昨日からクローバー会写真展「鉄路輝く」が開かれています。私も初日から受付をさせてもらいましたが、東京、京都、大阪から著名な鉄道ファンや、デジ青でお馴染みのコメンテーターの皆さんに来場いただきました。3年半ぶりに行われた写真展では、同席した会員相互の親睦だけでなく、外部の皆さんとも交流できるのは、何より写真展の魅力です。来場者との話は、デジ青にも及び、やはりクローバー会活動の源泉を担っていることも再認識しました。
さて、“ナメクジ”のこと進めます。これからは、客貨列車を牽く“ナメクジ”を見て行きます。改めて“ナメクジ”の地域別の配置を調べてみました。昭和42年(55年前)の配置を見ますと、“ナメクジ”95両のうち、廃車になったのは4両だけ、なんと91両が現役で走っていたのです。地域別にみると、北海道33両、東北30両、中部・近畿13両、九州15両となり、北海道・東北で大半を占めています。なぜ、こんな偏りがあるのでしょうか。考えられるものとして、“ナメクジ”製造直後の配置には北海道が多く、その後も道内を転々として、海を渡らなければならない北海道では蒸機も封じ込めの例があったこと、“ナメクジ”は構造上、集煙装置を取り付けられず、北海道には集煙装置の使用線区が無かったことなどが挙げられます。ただ、貨物を牽く“ナメクジ”は多く撮ったものの、旅客列車に限定すると極めて少数です。
▲雪に覆われたニセコ・アンヌプリを背景に上目名の勾配を上がって行くD51 64[長] C62重連「ていね」「ニセコ」の先頭が時々D51に差し替えられてガックリきたと聞くことがある。それがもし“ナメクジ”だったら、C622先頭より価値があっただろう(上目名~目名、昭和46年3月)。
“ナメクジ”に 魅せられる (4)
これも“ナメクジ” 変形機のいろいろ
“ナメクジ”95両のうち、ほかとは異なる外観をした機体もいました。前号の長鉄式デフの95号も含まれるかもしれませんが、今回は、デフなしナメクジと、標準型になったナメクジという珍品です。

▲吹田第一機関区のデフなしナメクジ、D51 78 吹田一区のD51の役目は、おもに吹田操車場での入換え。付近を電車で通ると、はてしなく広がる操車場のあちこちにD51の煙が立ち上っていたものだ。何十両も連結した貨車編成を、ハンプへ押し上げて突放し、係員がデッキに飛び乗り、前後動を繰り返していた。係員の立ち位置の確保と見通しを良くするため、思い切ってデフを取り去ったもの(梅小路、昭和41年10月)。



