福島を取り巻いた電車

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先のデジ青【17434】では湯口会員から福島の電鉄線形成について経過が紹介された。図を参考にしてほしい。Aは今も残る飯坂西線、Bは廃線となった飯坂東線で、東線は1925年内に改軌と電化工事が竣工した福島電気鉄道である。梅鉢鉄工所製木造車は車体巾1676粍、車体妻外寸法9690粍、出入口巾610粍、窓寸法縦612×巾735粍、座席巾355粍、屋根高3327粍と、数字を羅列したのはどなたかペーパーモデルを制作してくれないか、との老人の呟きである。台車:梅鉢鉄工所、電動機:芝浦35HP×2、制御器:芝浦単式、制動機:梅鉢手動、空車時重量:7,950kg、最大運転速度:24km/hr、乗客定員42人となっていた。

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2016年 初夏の北陸路一人旅 Part8 富山地方鉄道市内線を撮る

第6日目  6月5日

クローバー会の富山ツアーも盛況で終わりました。朝食後は現地解散です。この後、皆さんは黒部渓谷鉄道の乗車や富山地方鉄道の乗り鉄、撮り鉄に向かわれる方、東京に行かれる方等様々です。私はINUBUSEさんから是非に乗ってこられたらとお薦めを受けた富山地方鉄道市内線に向かうことにしました。前回来た時に撮っていますがまだ乗っていない水戸岡鋭治氏がデザインされた7000形路面電車に乗るのと、富山駅乗り入れをみるのが主たる目的です。

DSC_4254001▲ 8:20 部屋の窓から見ました宇奈月を発車していく3番目のトロッコ列車です。ほぼ満員で新山彦橋を渡っていきました。駅前の旅館街から離れていますが撮影にはもってこいの鉄ちゃんルームです。
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京王帝都現役時代5000系

関東でも最も貧弱で軌道イメージの残っていた京王帝都を他社並みにイメージアップさせた車両として有名で井の頭線3000系に続き連続ローレル賞受賞(京王はその後ローレル賞なし)した車両である。そのスタイルと1968年製造車両からロングシート通勤タイプ車両としては始めて冷房を装備したこともあり「関東の名車」とよく言われるが特に新機軸はなく経済車である。ただ、趣味的に見ると実に多様性に富み、車体巾が2種、モーターも110KW、130KW、150KWの3種があり特に110KWは2700系のものを流用した吊り掛け式であった。台車、冷房装置も試行錯誤の時期であったのか多種多様で数えきれないほどであり編成ごとに特徴があった。ハンサムなこの車両も関三平先生が最近発表された名鉄5200系とよく似た顔でこちらの方が製造も早くその顔をどのようにもらったのかもらっていないのか真偽のほどはわからない。その関先生の描かれた京王帝都5000系にはヒゲがついている。当初ヒゲつきは1967年の撮影では見られたが翌年にはなくなっているので登場後4年間くらいついていたものと思われる。

 

1967.7.9 明大前 特急京王八王子行きヒゲ付きの5779~5703

5070系はその後5100系と形式が変更されたためこの5779は5859と変番され、さらに海を渡って伊予鉄766となった。明大前のこの風景は現在もあまり変化がない。▼s-67.7明大前5779~5703特急京王八王子

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駅風景 富山地鉄寺田駅、越中三郷駅

 黒部宇奈月温泉で1泊の富山旅行については既に投稿いたしました。ところで電鉄富山駅に集合の前に、私と偶然にも大阪駅で同じサンダーバードで同じ車両となったK氏と富山地鉄寺田駅と越中三郷駅を訪れたのでした。私がデジ青の最初の投稿が「駅風景 富山地鉄五百石駅」でした。その後、寺田駅のことを投稿しようと思っていたのですが、ながらくのお休みをしていました。今回、再び寺田、越中三郷の両駅を訪れたので「駅風景 富山地鉄寺田駅、越中三郷駅」としてご紹介いたします。

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京王帝都5000系の一畑電鉄での姿

宍道湖の畔を走る元京王帝都5000系である。京王時代と異なり編成は短いもののいろいろなカラーと3扉の2扉化や座席のクロスシート化など車両にも変化があり見ていて飽きない。

2014.3.28 宍道湖畔の松江イングリッシュガーデン前-松江温泉間を行く松江温泉行き2112▼s-14.3.28松江しんじ湖2112

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1968.8.2鷹取工

1968年8月2日鷹取工場の廃車蒸機群を、大急ぎで撮影したネガが出てきたので、事のついでにご笑覧に供する。詳細は省略するが仕事で鷹取工を訪ね、辞去の寸前ほんの5分ほどの間に、行き掛けの駄賃として走り回ったのだが、カメラが取材用でワイドレンズ装着だったから、ご覧のように「ともかく撮った」というだけ。48年前である。回送時はメインロッドを外すのが常識で、煙室扉が開けっ放しだったり、デフレクターが無かったりと、いずれも解体待ちの見るからに索漠とした悲しい姿ではある。
68652解体前1968.8.2鷹取工S 続きを読む

2016年 初夏の北陸路一人旅 Part7 黒部渓谷展望ツアーに参加する

DSCN5237004これからが黒部渓谷展望ツアーの開始です。ようやく実感がわき、ワクワク感が高まってきました。まずは黒部渓谷鉄道に乗車して欅平を目指します。

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選挙と広電

第24回参院選が公示され選挙戦が始まりました。すると広電恒例の啓発花電車が走ります。22日の中国新聞記事をご紹介します。

平成28年6月22日 中国新聞

平成28年6月22日 中国新聞

この写真では判りにくいのですが、使用される電車は元神戸市電の582号の筈です。かつて570型は17両もいたのですが 今ではこの582号1両だけとなっています。3年前の第23回参院選のときに I氏と一緒に撮影したショットを添付します。もうあれから3年経ったのだと 暑い夏の日を思い出しました。次回平成31年の参院選のとき この582号が元気でいるかどうかも気になりますが それよりも自分自身が元気でカメラ片手に広島の街を歩いているかを心配した方がよいのかも。まずは今回 7月10日までに一度出かけないといけません。昨夜来の大雨が上がり、晴れ間も見えてきたので 善は急げと出かけようと思ったら、瀬野付近での土砂崩れで115系4連が脱線して不通になっているそうで、出鼻をくじかれました。日を改めて出かけることにします。

平成25年7月17日 福島町にて

平成25年7月17日 福島町にて

2016年 初夏の北陸路一人旅 Part6 黒部渓谷展望ツアー参加できるか?

01_パノラマツアー01_パノラマツアー5第5日目  6月4日 その1

黒部渓谷展望ツアーとは宇奈月駅から黒部渓谷鉄道に乗車して終点の欅平駅まで行き、ここから関電の専用列車に乗り換えます。ここから普段は一般の観光客の立ち入る事のできない関西電力施設内の「専用列車」や「トンネル」、「竪坑エレベーター(高低差200m)」の体験と、周辺の白馬鑓ヶ岳、唐松岳などの北アルプスの山々が間近に展望できるといった特別なツアーなのです。

当日にきっぷを買って参加できるものではなく、事前の申し込み支払いが必要です。何といってもまだ通常解放されていない黒四ダムまでつながっている専用軌道に途中までですが乗車出来る事は、鉄ちゃんにとっては大きな魅力です。
毎年初夏から晩秋までの金~月曜日の1日4回、今年は6月3日~11月14日に開催される予定で、各便53名の参加募集をしています。今回は6月4日のクローバー会の富山ツアーに参加しますので、前乗りして初日の3日の参加を申し込みました。 続きを読む

2016年 初夏の北陸路一人旅 Part5 富山地方鉄道

第4日目  6月3日 その2

12:17 城端線撮影から約40分弱、北陸高速道を走り富山地方鉄道不二越上滝線開発~月岡の水田地帯に到着しました。不二越上滝線は3回目の訪問になります。全線は17.3㌔ありますが、布市辺りまでは市内住宅地区を走りますので撮影地はなく、田園が広がる上掘~岩峅寺で気に入っています開発~月岡を選びました。
この辺りは散居村が多く、出雲平野の「築地松(ついじまつ)」と同じく、暴風・防雪対策のために住居の周りには屋敷林「垣入 ( かいにょ ) 」が設置されています。これを入れて撮ることにしました。
DSC_4125022▲ 12:40 開発~月岡 Google座標; 36.630039, 137.255710
東急から来た17480系(元8590系)モハ17484+モハ17483)、岩峅寺行き621レです。
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2016年 初夏の北陸路一人旅 Part4 城端線

第4日目  6月3日 その1

今日は朝から超快晴です。今まで何回も訪問してきましたがこれほど残雪の立山連峰の峰々がハッキリと見える日を迎えたのは初めてでした。道の駅福光なんと一福茶屋”でコーヒーを入れて朝食後、越中山田駅へと向かい撮影を始める事にしました。
DSCN5209035

▲ 8:30 越中山田駅に到着。1951年(昭和26年)8月10日 、国鉄時代に開業です。
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客車の座席―ロングとクロス

カビの生えたような古い写真ばかりを列挙し続けて誠に申し訳ないが、事のついでに国鉄ボギー客車の等級と座席につき、一席ブツことをお許し頂きたい。但し本格的な座席論などではなく、ホンの上っ面だけの茶飲み話程度である。

現在の電車での長距離ないし観光路線、都市間では特に競争が激しい区間などに、乗客優遇=他社線との差別化を目的にクロスシート、特に転換クロス車が投入されている。国鉄→JRの客車(通勤用多客改造車以外)、新幹線は等級にかかわらずすべてクロスである。しかし古くはそうでなかった。以下のような観点からの論及は、不勉強で従前見たことがないが、勿論例外はあっても、三等がクロス、あるいは転換片クロスだったのは、けして乗客優遇などという「優しい心遣い」などではなく、限られた床面に如何に多数の三等乗客を押し込むか、が目的だったと小生は考えている。反面一、二等はゆったりとくつろげるという観点から、ごく少ない例を除き、奥行きの深いロングシートが常識というか、当たり前であった。
九州鉄道イロブ1車輌図
九州鉄道イロブ1形式図(九州鉄道株式会社車輛図)
一二等ともロングシートだが、一等は一人毎にアームレストがある。 続きを読む

武庫之荘界隈と阪急ブレーブス

マルーンさんも認める阪急今津線沿線の有名校の同窓会は高齢の先生の出席し易い武庫之荘で行われた。桜の名所は4月8日では少し遅かったことは前回(2016.6.7デジ青72252「今春の撮影」)報告の通りであるが、もう一つ武庫之荘駅で今昔定点対比を考えていた。昔の撮影をした頃のプロ野球阪急ブレーブスのことと併せて報告したい。

武庫之荘駅での昔の記録は1968年10月17日で高速神戸発大阪梅田行き特急である。この日も西宮球場で行われた阪急-巨人の日本シリーズのPR、案内のため特急列車にヘッドマークが取りつけられていた。よく見ると駅のホーム柵には枕木が利用されており待合室もホームの中ほどにあるだけである。不便な感じもするが何となく昭和の時代の暖かさも感じられる。他の駅も概ねこのようんなのんびりしたものであった。電車は1034-1057の7連で今から見ると古さを感じる車両であるが半鋼製(阪急では全鋼製が多かったが)、吊り掛け車から全金製、カルダン車に発展した最初のグループで非常に近代的車両に思えた。それが、今では2代目1000系ができており時の経過の速さを感じる。ところで7両中前3両が3扉で後ろ4両が4扉であるが駅のアナウンスや乗車位置表示など混乱のないように誘導できていたのだろうか。会社によっては編成された車両のそれぞれの長さや扉の数がマチマチのところも多かったように思う。整列していたのに到着した車両の整列位置に扉がなくてお客は憤慨しながら両サイドの扉に向かって分散していったという話を聞いたことがある。

1068.10.17 高速神戸発大阪梅田行き特急1034▼s-白黒⑥68.10.17武庫之荘1034

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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路6

その6に入る前に謹んで前稿の訂正を。加古川で撮影した2軸の救援車の形式をエ790と記したが、現に車体にちゃんとエ749とあるではないか。まさしく80歳目前の耄碌ぶりをさらけ出し、お恥ずかしいやら落ち込むやら。何卒ご寛容ありたい。

2軸木製救援車は最終時点エ740、エ770、エ790の3形式にまとめられ、エ740には旧客車だけでなく貨車からの改造も含まれる。あとの2形式の種車は、手荷物車、郵便車を含めた客車で、妻面に屋根上ランプ着脱作業のためのステップと手摺が残っているものが結構多かった。救援車になってからでも、出動は極めてまれ(本来ない方がいい)だから、屋根石油ランプが生きているものすらあった。加古川のエ749は当然形式740である。お詫びして訂正させて頂きます。

高砂を後にして姫路に。姫新線と播但線にはまだまだ木製客車が健在であった。鷹取工、高砂工に行ったのは先述の通り1955年7月16日だが、姫路はその前後に何回か行っているので、その間に撮影した車輌も一緒にご覧頂くことにする。
ナハ23776室内転換クロス1955.6.2姫路S

ナハ23776大ヒメ姫路1955.6.6S

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43年前の越美北線

ぶんしゅう殿の越前路の旅が連載され、なつかしく拝見しています。1973年(昭和48年)3月に越美北線を訪ねた際に追いかけたカマ28651が九頭竜湖に保存されていることを初めて知りました。以下は白山の山なみがまだ真っ白な3月15日の撮影です。

市波-小和清水間 足羽川鉄橋を行く 8153レ

市波-小和清水間 足羽川鉄橋を行く 8151レ

水害で橋が流され、長く不通となって廃線も話題になったのは確かこの橋だったように思いますが、ウロ覚えです。

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「兵庫・鷹取工・高砂工・姫路5」に寄せて

久方ぶりに湯口大先輩のお宝画像が登場し、じっくりと拝見しています。その中で控車ヒ104が紹介されました。釈迦に説法のようで恐縮ながら、控車には航送用と構内用がありました。このヒ104は構内用だと思います。大きな駅や操車場で入換機関車とセットで使われていました。さすがに私はヒ100を見たことはありませんが、ヒ600は写していました。

昭和44年7月28日 津山駅 C58236+ヒ628

昭和44年7月28日 津山駅 C58236+ヒ628

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広電ビール電車

よく冷えたビールが恋しい季節になってきましたが、こんな記事が載りました。詳しくは6月20日に広電ホームページにお知らせが載るそうです。

平成28年6月14日 中国新聞朝刊

平成28年6月14日 中国新聞朝刊

車両は768号のようです。768号は昭和40年代に大阪市交から広島にやってきた古老ですが、窓回りなどはかなり改造され、台車まで赤く塗られているようです。ところで 定員26名、広島・西広島間往復1時間40分で129800円だそうです。定員一杯の26人の団体として ひとり約5000円です。ビール飲み放題でお弁当付きだそうですが 決して安くはないように思います。そう思うと昨年の広島ツアーでの貸切電車は もちろんビールも弁当もありませんが 28名 約1時間で15000円 おひとり535円はお得感一杯でした。

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兵庫・鷹取工・高砂工・姫路5

木次線で盛り上がって、その間丸1か月空いてしまったが、その5を続ける。タイトルに従い高砂工場に行くためには加古川で高砂線への乗り換えが必要である。加古川には機関支区があり、当時まだ複線だった山陽本線鷹取以西は塩屋手前まで、国道2号線に沿い、海側に張り付いて走る。このため台風などの強風時は波をかぶるため電車の運行が止まり、加古川線のC12が客車共急遽出動して神戸―西明石間を臨時代行運転したものである。その後複々線化で海面を埋めて新たに2線分の敷地を確保し、防波堤ができてこのようなことはないし、第一近くに機関車や客車は一切ない。

その加古川に、何故かヒ=控車がいた。これは機関車が入れない可動桟橋などに客貨車を押し込む際、機関車との間の「控え」に使うのが本来だが、桟橋などあるわけない加古川ではどんな使い方をしていたのか、確かめなかった。ご存知の方のご教示をお待ちする。

ヒ104加古川1955.4.22S

ここの救援車は2軸車の形式エ790で、この形式には前身が客車と貨車と2種があり、これは残念だが有蓋貨車の改造である。客車の成れの果てなら板バネが長い。 続きを読む