最初にご説明をしておきます。
中村進一氏は子供の頃から市電が大好きで、その写真を撮る傍ら京都駅を中心として国鉄の車輌を撮影しておられました。やがて趣味の対象は全国の鉄道全般に亘ることになります。特に市電の写真は街の移り変わりも記録していることから立命館アーカイブに保存されることになりました。その温厚なお人柄から私は中学生の頃から年齢差もかまわず同好の士としてお付き合いをさせていただいています。この度その記録の一部を見せていただき、ぜひともDRFCーOBの皆様にも見ていただこうとご了解の上公開することになりました。
ただ、写真のデータが添付されていないため、車種・撮影時期・撮影場所などが分かりません。また、中村氏の撮影されたものだけではなく、交際のある全国の方からの交換写真(昔はそれも写真を集める重要な手段であった)としていただいたものや、絵葉書のように店で買った写真もあります。それらについては撮影者の名前、販売店の名前など分かる限りは明記しました。スキャンするに当たりル-ぺで目視してわかる範囲は書き出しましたがほとんどは分かりません。そこで当欄で皆さんから知識を結集して判別していただきたいのです。分かっているものについても敢えて掲載するものもありますが、それらに関しても思い出などがありましたら何なりと書き込んでください。
これからも会員外の方からの資料提供やご投稿を歓迎する意味においても活発なご意見交換を期待しております。
では、【蒸気機関車】からはじめます。
上記三枚の写真はいずれも氏が撮られたものではありません。時代がかなり以前になります。
最初の写真は、以前湯口さんが話しておられた『へっつい機関車』に似ているような・・。いま、現物は熱海駅前に展示されています。
二枚目の場所は、梅小路機関区ではないかと思います。
三枚目は全く分かりません。
四枚目の写真は「松山のぼっちゃん列車」に見えます。私は現在のレプリカしか見たことがありませんがよく似ています。
では、鑑定をお願い致します。
最初の写真は有名なへっついの 写真で、湯口先輩の【「へっつい」の系譜】に同じものが載っています。その写真には【これぞまさしく「らっきょ」煙突 中勢鉄道軌道線キ21。 1940.6.13 久居 P:大橋一央 】と説明があります。ほんまに愛嬌のある機関車です。
どですかでんさん!
一番乗り~い!
ありがとうございます。
2枚目の3051は梅小路機関区っぽく見えるんですがどうなんでしょうね???
あ、やっぱり梅小路に居てたみたいですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%843050%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
ほへほへさんもありがとうございました!
これで早くも二丁上がり~です。
まだありますので他のもお願いします。
中勢鉄道キ21、ボールドウィンの3051、スケネクタディの3112とは、とんでもないお宝写真が出てきますねえ。
この3枚は有名な機関車なので、ネットを見ればすぐにわかると思いますので解説は省略します。
キ21は、同じ写真が「ピク」407号にも載っています。大日本軌道時代からの沿革や、田中隆三氏の回想録もあって参考になります。
3051は参宮鉄道10で、1907年ボールドウィン製です。たった2両という珍しい機関車で、参宮鉄道⇒鉄道省⇒小倉鉄道⇒小名浜臨港鉄道と渡り歩きましたが、梅小路には1934(昭和9)年頃までいたようです。臼井茂信氏の「機関車の系譜図」に、西尾克三郎氏が梅小路で撮影された同機が載っています。撮影日は1934年11月とあり、背後には枕木が山と積まれた様子も見えます。しかし、扇形庫の煙突が見慣れた形状とは違い、梅小路とは分かりませんでした。ほへほへ様は良く気付かれましたね、脱帽です。
3112は九州鉄道が1906年に、アルコ・スケネクタディから24両購入した3100形の一両で、最大の特徴は最大軸重が18.27トンもある恐ろしい機関車です。1918年に水タンクを縮小するなど軽量化改造が行われ、写真は改造後の姿です。3112は1930年代には直方に所属していたようです。撮影場所は分かりませんが、直方近辺ではないでしょうか。
最後の写真はキャブに「5」の番号が見えますが、伊予鉄道電気のクラウス5号機とはキャブ前窓形状や連結器に相違があり、別のものと思われます。もう少し調べてから、また報告させていただきます。
紫の1863様
記録いたしました。
これから難問が続きます。覚悟してください。クラウスが判明次第次ぎに進みます。
この機関車はコッペルではありませんか?最初に見た時の印象ではコッペルしか思い浮かびませんでした。5の文字の上に社紋のようなものが写っているのですがわかりません。客車は単車ですね。これぐらいしかわかりません。とにかく、コッペルは日本にたくさん来たらしいです。
紫の1863様
懐かしい方々のお名前が出て来たので、思わず横ッチョから飛び込みます事をお許し下さい。
実は今回の様にSLとなると本題に関しては全く手も足も出ない私です。(恥)
しかし、貴殿の記述の中に「ピク」だの田中隆三氏だの、更には臼井茂信氏や西尾克三郎氏の著名人のお名前が出て来て、ビビッと古い昔が突然よみがえりました。
夫々の方々は鉄道の世界では神様的存在の『雲上人』だったと記憶しており、特に遠い昔の学生時代に、その内のお一人である田中隆三氏に「ピク誌」の入口で、すれ違いざまにヤット挨拶が出来た時の感激が忘れられず、思わずキーをたたいてしまった次第。
以上、本題には何の関係も無い話で、大変失礼致しました。
河 昭一郎様、
後ほどご活躍を頂かなければならない舞台をご用意しておりますので、それまでしばらくお待ちください。
河さま
横浜の某所でお目にかかってから、ご無沙汰しています。コメント欄でまたお会いできて喜んでいます。ピクの田中隆三さんにお会いした時の感激を読みました。私はお会いしたことはありませんが、少年時代、学校から帰ってきて毎日ピクを穴の開くほど読んだあと、最後の奥付に「編集人:田中隆三」の文字が燦然と輝いていたことが私も忘れられません。別の会合があった際に、田中さんの後を継がれた編集長のIさんに久しぶりにお会いすることができました。
3112の続報です。
撮影者・場所・日付が分かる写真を発見しました。
牧野俊介氏の「軍機保護法下の汽車・軽便」に、直方で撮影された3112が載っていました。中村氏の写真とは撮影方向が異なるものの、背後の建物とホイストが同じように見え、3112の位置も同じようです。更には「京都の大橋一央氏と同行…」の記述もあり、お二人は撮影行を共にされたことがうかがえます。中勢鉄道キ21も大橋一央氏の撮影ですので、一緒に写真を譲られたのではないでしょうか。日付は昭和14年10月3日です。
どですかでん様
小生もコッペルと考えました。蒸気ドーム上に並ぶ2本の角のようなものは安全弁でしょうか? キャブ前妻の窓・弁室の形状、弁装置などコッペルの特徴を備えています。ですが、このコッペル一族は300両ほど輸入され、なかなか厄介です。ナローのBタンク、5号機、丸い社紋、ダブルルーフの客車をキーワードに探しておりますが、難航しそうです。
紫の1863さん、どですかでんさん
こんなに早く,ここまで分かるとは驚きです。
更には、古典機への愛情がある方々がこれほどおられたことにも驚いています。いろんな写真を公開することは良いことなんだ、とつくづく思います。
5号機の氏素性が分かりました。
結論から申し上げますと、中勢鉄道の5号機で、やはりコッペルでした。大正14年に増備された8トンBタンク機で、三重鉄道⇒三重交通に引き継がれ、昭和26年に廃車になったようです。根拠となったのは「ピク」407号に出ている写真で、角度は違いますが連結器、煙突、安全弁、弁室、弁装置、丸い社紋などの特徴が一致します。偶然かもしれませんが、煙の流れる方向や、機関車の足元に落ちているごみの位置までピッタリ同じです。昭和16年7月16日に久居駅において、大橋一央氏が撮影されたとの説明があります。
客車の特徴は10個の側窓と、2本の保護棒でしょうか。車体色も薄いようです。同書の他の写真に姿が見え、中勢鉄道久居駅と確信を持ちました。余談になりますが、この客車は南越鉄道⇒中勢鉄道⇒三重鉄道⇒三重交通⇒静岡鉄道を渡り歩いたようです。小生も2軸車のように見えましたが、実際にはアーチバー台車を履いていました。
紫の1863さま 中勢鉄道のコッペルだったのですね。かすかに見える社紋から調べようとしたのですが、わかりませんでした。中勢鉄道とわかって牧村俊介さんの「自転車に抜かれたコッペルたち」を見てみると、中勢鉄道の客車に社紋がはっきりと写っていました。まあ、それでもわからなかったかもしれません。客車ですが窓の数から考えれば二軸車ではないことは明らかですね。これは大失敗。
どですかでん様
「自転車に抜かれたコッペルたち」をお持ちですか。小生は「軍機保護法下の汽車・軽便」を持っておりますが、キホハ24が載っております。この車輌はコッペルと一緒に写っている客車とは別物です。しかし、10個の側窓、2本の保護棒など、同じようなスタイルのようですね。
牧野俊介氏のユーモアたっぷりの記事に魅かれ、中勢鉄道に関心を持ったのが始まりで、本を買っておいたのが役に立ちました。
お持ちの本は「達人が撮った鉄道黄金時代 3 軍機保護法下の汽車・軽便」というものなのですね。かなり高価な本ですね。図書館に蔵書があるか調べたら、大阪市立中央図書館にありました。もちろん、国立国会図書館にもありました。調べたいことがあったら図書館に行こうと思っています。
実は「自転車に抜かれたコッペルたち」と「岡山より汽車を求めて」を欲しかったのですが、興味を持ったのがつい2~3年前で、入手できませんでした。時折ネットオークションに出品されているのを見かけますが、小生はネットで物を買わんという時代遅れのへそ曲がりです。古書のイベントで「達人が撮った鉄道黄金時代」全6巻セットを見つけ、店主に掛け合って値引きしてもらいました。Nゲージの電車1編成より安く、本は一生モノですので、思い切って買いました。ところが、奥付に総本家青信号特派員氏の名前を見つけてビックリ。デジ青にコメントさせていただく前から、DRFCの皆様とは縁があったように思います。
本題から脱線してしまい、すみませんでした。
紫の1863さんが古書店で買い求められた「達人シリーズ」の奥付に、私の名前を見つけていただいたこと、嬉しく思います。何を隠そう、出版の仕掛け人(?)だったのです。もちろん多くの方の援助をいただきました。クローバー会では、須磨の人間国宝、乙訓の老人さまからは解説などの執筆、監修もしていただきました。また牧野俊介さんはじめ、文字通り“達人”と直接お会いして、編集を進めることができたこと、何にも代えがたい財産となりました。