保存蒸機とその現役時代(50)C551

前回京都鉄道博物館でC621の横に並んでいたのが同じくトップナンバーC551。昭和10(1935)年川崎車輛の製造で小樽築港、旭川、室蘭、旭川とずっと北海道内で活躍した。C55はC51→C54→C55と続くライトパシフィックの位置づけでスポーク動輪が最大の特徴であった。それまで二つあったコブも一つにまとめられそのスタイルはボックス動輪化されたC57に引き継がれていった。C57は完成された亜幹線用の旅客用機関車で貴婦人と呼ばれるようになったが同じライトパシフィック機ではC55の方が貴婦人だという人もいた。名古屋区の関西線や福知山、豊岡区の山陰線、福知山線、播但線等関西地区でも見られたが、転属、廃車で北海道、九州に集約されていった。蒸機ブームの始まるころにはC55、C57の姿を求めて若者は遠隔地を旅行したが、今はお爺さんになって同じような昔話に花を咲かせている。

京都鉄道博物館に静態保存中のC551 2011.4.23 ▼

1966.9.4 東室蘭のC551 この写真はプロ野球大洋、巨人で駿足好打の選手として活躍した屋敷要さんの「遥かなる鐡路」に掲載されたもの ▼

1966.9.4 東室蘭 同機のナンバープレート他 ▼

関連写真として台湾彰化で見た入れ替え作業中のC55形CT252 1968.3.23の撮影で台湾は国共内戦で台湾に逃れた蒋介石総統の時代で大陸は毛沢東であった。▼

保存蒸機とその現役時代(50)C551」への2件のフィードバック

  1. 準特急様
    シリーズ50回目の達成おめでとうございます。C55は、私も高校2年生の時、九州の折尾駅で初めて見ました。横から、スポーツ動輪を覗くと、向こうの景色が透けて見えていました。「これがスポーク動輪や」と納得しました。一号機を初めて見たのは、昭和43年8月、初めて北海道へ行った、第一日目のことでした。青函連絡船から、朝の列車で長万部へ向かうと、室蘭本線の列車を牽いていたのが、1号機でした。北海道へ来て第一日目に一号機に会えた幸運を思ったものでした。これからも楽しみにしています。私も別形式になりますが、パシフィック機の魅力を語りたいと思います。

  2. 正面を見るとC57が綺麗に見えますが、真横からはC55に軍配があがりますね。両機共に門鉄デフが似合いますがスポーク車輪に雪をつけて走る北海道のC55も最高でした。素早いコメントありがとうございます。

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