駅名標② 終着駅
駅名標の写真を投稿したのが、一日余り前のこと、この間に、速攻の紫の1863さんはじめ、多くの方から、駅名標にまつわる思い出の写真を寄せていただき、改めて、駅名標への関心の高さを思いました。なかでも、西村さん、奈良の駅研さんから、終着駅の駅名標を載せていただきました。今回紹介しようとするのも、「終着駅」てす。当時の駅名標の場合、下部には、両端の駅名が書かれていますが、終着駅の場合は、どちらか一方が白地のままで、“これ以上は行けない!”感を無言で表現しています。ここが白いだけで、なんとも感慨深さを覚えたのではないでしょうか。さらに終着駅は、その後の変転があります。延長されて、もう一方に駅名が記入されることもあるでしょうが、大部分は、廃止の運命をたどり、終着駅としての歴史を閉じたものです。
▲駅名は4文字、仮名もローマ字も長い。それだけに次駅がない白地が余計に目立つ(岩代川俣、昭和46年)。▲こちらは、左方面に路線が延長されて、昭和50年に両端の駅名が入った。ところが2018年には全区間が廃止、延長区間は43年しか持たなかった(浜原、昭和45年)。▲もう廃止になってもいいような駅も、終着駅のまま、奇跡的に残っている駅もある(伊勢奥津、昭和45年)。▲こちらは、第三セクターの秋田内陸縦貫鉄道に移管されてから、左の区間へも延伸されて、晴れて両端に駅名が入った(比立内、昭和46年)。
▲九州各地の終着駅、駅名だけでなく、所在地や標高が記載されているのが、九州の特徴。右の高森は南阿蘇鉄道として残ったが、熊本地震で被災、長い復旧工事の末に、昨年に全通した(室木、香月、高森)。
▲関西にも、考えたら終着駅が多くあった。第三セクターに移管された線区も含めて、すべて廃止された(鍛冶屋、三木、尼崎港)。
▲JR西日本になってからの終着の駅名標。次駅表示のところに、コーポレートカラーや路線カラーがあるので、白地の“これ以上行けない”感がない。いずれも、いまは見られない駅名ばかり(大嶺、湊町、三段峡)。
総本家青信号特派員様
私にとっての究極の終着駅、1967年8月21日の根北線(こんぽくせん)の越川駅です。根北線は1957年11月10日に開業し、1970年12月1日に廃止になったので僅か13年の営業期間でした。開業時貨物列車も運行されましたが、終着駅がこのような状態ですので、3年で営業休止になりました。
快速つくばね様
またまた貴重な越川駅、ありがとうございます。われわれの時代の超赤字ローカル線の代表で、よくテレビでも紹介されました。私も初めて北海道へ行った昭和43年夏に、斜里駅で根北線のキハ22は写していますが、乗ることはなく、そのうちに廃止になりました。三江線が全通して46年で廃止になったと記しましたが、根北線では13年だったのですね。
総本家青信号特派員様
鍛冶屋線とよく間違えられた徳島県の鍛冶屋原線の終着駅鍛冶屋原です。1967年12月29日の撮影ですが、南国では珍しく雪が降っていました。
快速つくばね様
鍛冶屋原線、ありましたね。ここもまた雪ですね。江川崎が12月30日でしたから、四国は連日の雪で、戸惑われたことと思います。キハ30の両開き3扉が一斉に開くと、さぞ寒かったと思います。
夕張線の登川駅です。昭和56(1981)年5月、北海道の全線完乗パート1で行きました。紅葉山から2駅、夕張線の支線で、1日6本ディーゼルカーが走っていました。隣の山では石勝線の工事が行われています。朝のお客は駅員と顔馴染みの人が殆どで、定期券を見せずにフリーパス状態でした。
勘秀峰 さま
ユニークな終着駅の駅名標、ありがとうございます。登川は、夕張地方の片田舎なのに、何度も線路移設があったり、複雑な経歴です。昭和50、60年代、北海道のローカル線が次つぎに廃止になった時期には、私は北海道へ行ったことがなく、たいへん貴重に映ります。全線乗車を果たされた勘秀峰さんから、ぜひ紹介お願いいたします。
総本家様
この北海道旅行は札幌からのスタートでした。急行利尻で稚内まで行き、天北線に乗り換えて、浜頓別~北見枝幸までの興浜北線に乗り、音威子府から再び宗谷本線で美深へ。
当時日本一の赤字線と言われた美幸(びこう)線で、終着の仁宇布まで行きました。1日4本のローカル線で同業者が5人余りで、普通の利用客より多い有様でした。昭和56年5月撮影です。
勘秀峰さま
美幸線も乗っておられましたか。快速つくばねさん紹介の根北線が昭和40年代の超赤字ローカル線の代表なら、昭和50、60年代の代表は美幸線でしょう。「にうぷ」「ぺんけ」とかな書きされた駅名標が実にいい味出しています。
京都駅も終端駅? 山陰本線、いや、嵯峨野線ホームにはこんな駅名標があります。多国語で表示された駅名、ラインカラーの「紫」、これも時代の記録かもしれません。
紫の1863様
おお、地元の京都駅にも終端の駅名標がありましたか。紫色の帯が、“山陰線”をよく表しています。と言うことは奈良線にも終端駅表示がある訳で、終端構造が2つある駅もめずらしいですね。少し前の投稿で、かつての姫路駅も、姫新線、播但線と2つの終端構造だったと書きましたが、地元には今でもあること、改めて認識しました。