橿原線西ノ京~尼ヶ辻間を走行する600形4連の西大寺行/(44-5-18)
関 三平氏の「昭和の電車シリーズ」は近鉄ファンらしく「奈良電鉄デハボ1100系・近鉄モ600系」からスタートした。
DRFCの多くの近鉄に詳しい方を差し置いて解説を試みた。
近鉄600系
タイトルとは逆になるが、近鉄600系から解説する。
尚、詳細な資料が実家に眠ったままで、手許にないため、中途半端な解説なったことをご容赦いただくと共に、詳しい方の補足をお願いしたい。
昭和10年と戦後の23年~25年に新製された奈良線用として新製された車両で、スタイルは10年製が2タイプ、戦後製も2タイプ存在した。
形式は電動車がモ600形、付随車がサ500形、サ550形、制御車がク520形である。
付随車のサ500形とサ550形は、サ501以外は新製当初は両側に運転台があり、ク500形、ク550形であったが、先頭に出ることがないため、30年に撤去され付随車化されている。
ク520形は、有料特急車モ18000形を新製時に、モ600形の623、625、631、633の電装品を撤去して誕生した形式である。
モ18000形は車体、台車こそ新製であるが、電装品は中古品で1500Ⅴ昇圧までHL制御車であった。
モ600形
生駒トンネル前後(特に大阪寄り)に連続急勾配が存在するため、運転操作上有利なHL制御が採用された。
モ601~608
昭和10年日本車輌製で、モ601、602は片運、正面3枚窓、モ603~608は、両運、両側貫通車で、パンタは奈良側に設置されていた。編成の長大化(と言っても最高5連)により、37年から奇数車は大阪側の、偶数車は奈良側の運転台撤去が行われた。
モ601他3連/ (40-5-4) 尼ヶ辻
モ602+モ600形+サ500形+モ601/ (44-5-18) 尼ヶ辻~西ノ京
モ609~646
昭和23年609~628、24年629~646で共に近畿車両製。23年製は運輸省規格B`形として新製されたが、10年製のモ602~608と同一規格であった。また、24年製は木製車鋼体化改造名義であるが実質的には新製車であった。
基本的なスタイルは10年製と変わらないが、シルが平帯になりリベットが無くなった。37年から10年製と同様の片運化が行われたが、全車には及ばず609、610、617、619、620、627~630、637~640は両運のままであった。
ラストのモ646は、25年製と同一スタイルであった。
モ621/ (41-2-11) 丹波橋
京阪、近鉄間の渡り線走行中
モ625他4連/(39-5-12) 布施
新生駒トンネル開通前の奈良線急行の代表的な編成。布施は急行通過駅であったが臨時急行は特急退避のため停車していた。
モ647~658
昭和25年近畿車両製。モ647、648、658の3両は事故復旧車名義であった。
スタイルが大きく変わり、張上げ屋根となり、小さいながらも洗練されたスタイルになった。
37年からモ651~656の片運化が行われた。
サ500形
サ501~504
昭和10年日本車輌製で、サ501はモ601とモ602の中間車として、サ503~504は、モ603~608のTcとして新製され、運転台は両側に設置されていた。
基本編成がM+T+M、またはM+M+T+Mとなり、先頭に出ることがないため、30年運転台が撤去され、その跡に縦長の固定窓が設置された。
サ505~514
昭和24年日本車輌製で、新製時は両運のTcであったが、サ502~504と同様の理由で30年に撤去された。
サ550形
サ551~559
昭和25年近畿車輌製で、新製時は両運のTcであったが、サ502~504と同様の理由で30年に撤去された。
台車はBW社製の78-25Aを履いており、木製車からの流用品と思われる。
編成を揃えるためと思われるが、サ551~554は普通屋根、サ555~559は張上げ屋根で、実際の運用時でも張上げ屋根車同志が編成を組むことが多かった。
ク520形
ク521~524
前述の通り、有料特急車モ18000形を新製時に、モ600形の623、625、631、633の電装品を撤去して誕生した形式で、順にク521~524となった。種車が奇数車のため運転台は全車奈良寄りに設置されている。
ク524他4連/ (44-9-19) 上鳥羽口~竹田
奈良電鉄デハボ1100系
昭和23年近畿車両でデハボ1100形3両(1101~1103)、クハボ700形3両(701~703)の6両が新製された。
前述の通り、近鉄モ600形の608~627が運輸省規格B`形で、それをモデルにして規格B形で新製されたため、車体幅と全長が少し大きいだけで非常に似たスタイルになった。
デハボ1100形(1101~1103)
両運の電動車で、制御器はデハボ1000形等と併結するため自動制御(東洋電機ES-155-A電動カム軸制御器)であった。
新製時はオールロングシートであったが28年にサービス向上のため、デハボ1102と1103を扉間転換クロスに改造した。
32年特急増発時にデハボ1350形1353を新製時に、デハボ1101の台車、電装品を提供し、台車を電動貨車が履いていた日車製のNE4に振替え、在来のTc車に合わせるため奈良寄りの運転台を撤去してクハボ700形704となった。
38年10月1日近鉄合併時の改番でデハボ1102→モ671、デハボ1103→モ672となった。
翌39年10月1日から運転された京都~橿原神宮駅間、続いて12月1日から運転された京都~奈良間の特急が好評により予備特も含めて運用されるようになると、モ671+モ672が「予備予備特」として「特急」のヘッドサインを付けて待機した。
とても特急料金を収受できるようなアコモデーションではなかったが、何回か実際に営業運転をしている。
40年6月モ18000形が完成すると「予備予備特」の任を解かれて一般車の運用に復帰したが、その時ロングシートに改造された。
44年9月21日奈良線、京都線、橿原線、天理線、生駒線、田原本線1500Ⅴ昇圧改造時にモ671→モ403、モ672→モ404(いずれも2代目)に改番された。
クハボ700形(701~703)
片運のTcで運転台は京都寄りに設置されていた。前述の通り、32年にデハボ1101が電装解除されクハボ704となった。
近鉄合併時の改番でクハボ701~704→ク570形ク571~574に改番され、1500Ⅴ昇圧時改造時の改番でク571~574→ク300形ク301~304となった。
デハボ1100形、クハボ700形関連の昇圧改造後の編成( )は旧車号
モ401(モ607)+ク301(クハボ701→ク571)
モ402(モ613)+ク302(クハボ702→ク572)
モ403(デハボ1102→モ671)+ク303(クハボ703→ク573)
モ404(デハボ1103→モ672)+ク304(デハボ1101→クハボ704→ク574)
モ401+ク301、モ402+ク302の編成が、関 三平氏の文中の「いとこ的から実の兄弟となった」編成である。
私自身は近鉄モ600形と奈良電デハボ1100形、クハボ700形はスタイルこそ似ているが、片やHL制御車、片やAL制御車と機能的には全く異なっており、他人同志が1500Ⅴ昇圧改造時に手を繋いだと思っている。
当件については、趣味の世界であり、どれが正解ということではなく人其々の感性でよいと思う。
モ401+ク301/ (44-5-18) 西大寺
車体幅の違いがお判りいただけると思う。
次の1月27日【43584】南海貴志川線モハ205ほか/ 「爺やとおてんば娘」は、少し以前になるが2008年11月29日【1174】貴志川線 https://drfc-ob.com/wp/archives/1174
2008年9月30日【360】「竹藪の傍」 https://drfc-ob.com/wp/archives/360
で発表されているので参照いただきたい。