半世紀前シリーズ、今回は長崎電気軌道株式会社、長崎電軌。1963(昭和38)年3月末に訪れました。車輌と共に、街の様子を新旧対比したいと思います。停車場及び街名は、1962年訪問時の表記です。現在名は()内に表記しました。
新しい街の様子は、例によってGoogle Earth を利用しました。
▼1963(昭和38)年頃の長崎電軌路線図を作成しました。その一部、北部方面です。
福岡市内の見学撮影を終え、夜行で長崎に着きました。
▼【旧】長崎駅前。金比羅山を背景に、パチンコ店、みやげ物店、食堂が並んでいます。現在は広場と歩道橋で立体化され、この様な広々とした風景は望めません。左手隅に小さく、長崎駅前に停車中の電車が写っています。乗降客が沢山いるようです。初回編は左手方向に進み、西町車庫方面に向かいます。 1963.4.3撮影 07923
▼【旧】160型166 西鉄(北九州線、福岡市内線)からの譲受車。
長崎駅前停留場、2系統西町車庫(現・浦上車庫)発西浜町経由蛍茶屋行き。
左後方の鉄骨は、建設中の現・交通会館/長崎県物産館の建物。 1963.3.30 07526
▼【新】長崎駅前。 (左)駅前左手の交通会館、物産館、県営バスターミナルビルを歩道橋から眺めます。(右)長崎駅前地上の様子です。
▼【旧】170型172 木造・ダブルルーフ・ボギー車、西鉄(北九州線、福岡市内線)譲受車両。駅前ー御船町(現・八千代町)間、系統は影で読めない、西町車庫(現浦上車庫)方面に向かう。1963.4.3撮影(以下同日) 07817
▼【旧】300型306 1953年日立製。 御船町(現・八千代町)付近の西部ガス・タンク群の横を通り、駅前方面に向かう、1系統赤迫発思案橋行き。 同日 07819
▼【現】(左)八千代停留所場(右)宝町停留場。いずれも昔の面影は全くない。Google Earth
▼ 【旧】200型204 1950 日本車両製。船蔵町(現・宝町)停留場を出発する、1系統西町車庫前発西浜町経由思案橋行き。 同日 07820
▼【旧】211型215 1951年日立製。 井樋ノ口(いびのくち、現・銭座町)停留場、3系統蛍茶屋発赤迫行き。 工場の煙突群が目立つ。 同日 07821▼【旧】370型377 1962(昭和37)年新造車、撮影当時の長崎電軌で最新の車両であった。銭座町-竹ノ久保通間、 2系統西町車庫前発蛍茶屋行き。
左の建物は、1955(昭和30)年頃まで三菱長崎製鋼所であった場所で、撮影当時は長崎バスの車庫工場と思われる。建物前にも多数のバスが駐車している。 同日 07822
▼【旧】150型152 箱根登山鉄道の小田原市内線が廃止後、譲受けた5両の内の1両、その昔は東京都電の車両と聞く。竹ノ久保通(現・茂理町)、1系統西町車庫前発思案橋行き。同日 07823
▼【旧】360型367、撮影時前々年1961(昭和36)年日本車両製。浦上駅前(現在も同名)
3系統西町車庫前発蛍茶屋行き 背景は観光名所稲佐山。 同日 07826▼【新】現浦上駅前 Google Earth より
▼【旧】360型366 浜口町(現在も同名)付近、1系統。浦上駅前-浜口町間には、専用軌道部分が数箇所あった。浦上駅までの工場や店舗前と異なり、この辺りは住宅街でした。
同日 07829
▼【旧】211型216 1951年日立製作所製。1系統、思案橋より到着、客を降ろして車庫入り。 西町車庫前(現・浦上車庫) 同日 07835
▼【新】現在の浦上車庫駅と車庫入り口付近 Google Earth より
▼【旧】木造単車 40型45 1922年自社工場製でこの時も現役でした。 西町車庫 同日 07830
▼【旧】160型162 西町車庫 同日 07832
▼【旧】370型371 西町車庫 車庫の黒塀には、『楽しい電車、楽しいバス』の文字板が貼り付けてありました。同日 07831西町車庫前から更に6駅北進すれば、終点赤迫に至るが、訪問時はここで折り返し、蛍茶屋車庫に向かっていました。次回はその蛍茶屋から、思案橋、築町を通って石橋方面を紹介します。
”くろがね”はオート三輪、”メグロ”は自動二輪。なつかし~い!
米手作市 様
画像07822の右端に、ダイハツミゼットが半分写っています。第3回にはマツダキャロルも登場します。あのーすいませんが、電車と街の話に戻りませんか?