【津別町 21世紀の森キャンプ場】
オロネ10 502 スハネ16 510 43.697711, 144.034960 2017年7月16日撮影 津別21世紀の森キャンプ場
◆オロネ10 502(1962年新製 日立)→1984年廃車。
◆スロハ31583(1940年新製 日車)→(1941年改番)スロハ32 34→(1966年改造 土崎工)オハネ17 510→(1968年改造 旭川工)スハネ16 510→1984年廃車。
津別町は北見市の東南、美幌町の南に位置し、まずまず大きな町である。21世紀の森キャンプ場は芝生のキャンプ場が広がり、あたり一帯を自然運動公園と称していて、その入口の看板に「鉄路ハウス」と書かれている。移動機の横にも「ふれあい広場 鉄路ハウス」の札が下がっている。
スハネ16の廃車体は貴重である。以前は現役時そのままの設備(なんと冷房も)で宿泊できたらしいが、車内を覗くととても宿泊出来そうな状態ではなかった。車体にゴテゴテ書いているが、上屋があり、車内外ともに現役時代に近い姿をとどめるこの2両を末永く保全してほしい。
▲オロネ10 502
▲スハネ16 510
客車履歴票によれば次のとおりである。
◆オロネ10 502
原価 21,308,380
_ 製造年月 製造工場
オロネ10 502 37.11. 日立製作所
定員 自重 積 空 全般検査級別履歴
28(寝) 32.9 3.5 3.0 A級
台ワク種類 UF338 台車種類 TR60
車掌弁個数 1
水槽 下円形500×2 信越線通過の可否 未記入
発令年月日 38.4.10 43.9.
到着年月日 37.12.10 43.10.1
所属箇所名 札幌 札幌運転区
工事種別 優甲 優甲 優甲 優甲
工場名 五工 五工 五工 五工
出場年月日 40.9.30 41.9.30 42.10.18 43.9.28
優甲 全般検査 全検 単独 全検体改併施
五工 五工 五稜郭工 五稜郭工 五稜郭工
44.11.7 46.1.29 47.4.15 47.11.17 48.6.30
全検マル新 全検
五稜郭車セ 五稜郭車セ
51.5.18 54.5.19
54.5.29 再入 7.8.タイヤ損傷 五稜郭車セ
54.11.29 単独 水タンクを解良形に取換 五稜郭車セ
55.2.13 臨修 駆動修繕油もれ 五稜郭車セ
※48.11.13から58.6.14まで冷房の取卸・取付があるが、省略
41.9.30 車掌弁取付
43.3.8 寝台呼びベル撤去 キセ取付
喫煙室の難燃化 51.5.18 五稜郭車セ 本社特修
喫煙室消火器格納箱取付 51.5.18 五稜郭車セ 本社特修
(一部抜粋)
◆スハネ16 510
原価17,255,238→消して 22,529,668
_ 製造年月 製造工場
スロハ31583 15-1 日本車輌
スロハ32 34
オハネ17 510
スハネ16 510
定員 自重 積 空 全般検査級別履歴
二等36 33.85→消して36.0 4.0 3.5 A級
三等40
消して 寝(54)
台ワク種類 UF30 台車種類 TR23→TR47→TR47B
車掌弁個数 1 信越線通過の可否 未記入
発令年月日 15.2.29 36.4.20 41.3.31 43.9.
到着年月日 15.2.1 未記入 41.4.3 43.10.1
所属箇所名 高松 高知 札幌客貨車区 札幌運転区
工場入場記録は、春秋の冷房卸・積が多いので省略する
1位客室引戸(洗面所側)を開戸に改造 五稜郭工 42.4.27
冷房装置取付・形式変更 旭工 43.5.20
電気暖房装置取付 五工 44.1.16
50.1.23 床下消火器格納箱取付 五稜郭車セ 本社特修
〃 電気暖房装置取外し 〃
〃 車掌弁増設子ひも取付方改造 〃
51.11.2 出入台・便洗面所 難燃化工事 〃 本社特修
53.2.28 蒸気暖房配管及び水管配管整備 〃 〃
〃 蓄電池開放スイッチ二極化 〃 〃
〃 消火器格納箱取付 〃 〃
〃 室内暖房放熱管取替 〃 〃
(一部抜粋)
初めまして。3年も前の投稿に今更コメントしてすみません。。。客車履歴票を基にされた詳細な解説、凄いですね……。驚嘆致しました。履歴票というのは図書館や博物館の資料室なんかには蔵書されていないものと認識しておりますが、やはり出物をまって手に入れるといった形になるのでしょうか。これがあれば研究がかなり進むので是非お目にかかりたいものなのですが、如何せんマイナーすぎる資料故、恥ずかしながらどのような体裁なのかもよくわかっていなかったりします…。新参者故、お恥ずかしい限りでありますが何卒ご教示頂きたく思います。
客車履歴票は1枚物で、昭和後期ではA5位とB4位の2種類の大きさのものがありました(B4の方が新しい)。昔は、客貨車区等へ行って、きちんと挨拶をすると、突然の訪問でも快く履歴票を見せてもらえました。客車好きの中には、そうやって(予め然るべき手続をしていたのだろうと思いますが)日本中をまわって履歴票を書き写した猛者がおられまして、その大量の記録が残されています。私などはいつも行き当たりばったりで、自分で記録したものはごく少数ですが、美濃太田を訪問した際、事務室にたまたまお一人で在室されていた方が、「ワシが髙山のスエ31 69のアイデアを出した」とおっしゃったので、暫く色んなお話を伺った経験もあります。その後、履歴票もコンピューター化されたり(鹿児島のものを拝見したことがありますが、漢字処理ができないのでカタカナと数字ばかりで非常に見づらいものでした)、国鉄末期には区の門をくぐることさえ難しくなりましたね。