客車廃車体訪問記 内地編16 宮城県-2

【仙台市ガス局】 38.273770, 140.906876 1991年4月撮影
スハネ30 2122
オハ35 2004
仙台市宮城野区の仙台市ガス局北側の敷地内にあった。なんと蒸機が3両もあって、超豪華な編成である。スハネ30の廃車体はたいへん珍しい。オハ35も若番の貴重な廃車体群であったが、その後蒸機3両は利府へ移動し、客車は残念なことになくなってしまった。
◆スハネ30131(1933年新製 日支)→(1941年称号改正)スハネ31 32→(1943年改造 五稜郭工)オハ34 48→1949年更新修繕-Ⅰ 五稜郭工→(1961年改造 土崎工)スハネ30 2122→1972年廃車

↑「更新修繕-Ⅰ五稜郭工機部24-5」という銘板がついていた。年月まである銘板は珍しい。
◆スハ33653(1939年新製 日車)→(1941年称号改正)オハ35 4→(1966年電暖追設 盛岡工)オハ35 2004→1972年廃車

ところで、仙台名物といえばなんといっても「牛たんサイダー」、「ずんだサイダー」がお薦めです。通販もあります。

客車廃車体訪問記 内地編16 宮城県-2」への12件のフィードバック

  1. スハネ30は珍しいですね。
    ところで「牛タンサイダー」とはどんな味?想像するに不味そうではないか?まだ、「ずんだサイダー」の方が味の見当が付く。わらくろや社長は知っているのでしょうか?

    • 色は良いのですが、なにしろ炭火焼牛たんですから特殊な味で話題になっているそうです。

  2. スハネ30にはよくお世話になりました。山陰線の夜行の普通列車や、筑肥線経由の夜行長崎行普通列車もスハネ30だったように思います。いつも安い最上段利用でしたが、ミシミシという軋み音が何とも言えない寝台車でした。もう一度あの3段寝台車に揺られてみたいものです。

    • 1969年8月に「十和田」に併結の臨時急行「みやこ」のスハネ30に乗りましたが、冷房が無いので窓が全部開いていてカーテンが一晩中風でバタバタとやかましく、冷房のある「十和田」が恨めしかった記憶があります。暑くない季節だったらスハネ30の軋み音も良いかもしれません。

      • 乗ったことがないのですが、ラインデリアの風では役に立たない?
        ミシミシ感は客車の醍醐味、オハ61系や31系は出発時に引き出す瞬間の“ミシッ!”は夢心地でした。

        • 米手作市さんの表現にはいつも感心しております。しつこい様ですが、「あんなー、客車ちゅーもんはやなー、ドアや窓が手で開けられて便所は垂れ流しでないとあかん」。言っておられることはよく理解できますし同じ様に感じる高齢者ファンも多いと思います。この名言に続いて「ミシミシ感は客車の醍醐味」。これも始めてお聞きした表現ですがよくわかります。いつも毒舌に悩まされていますが、改めて頭が下がりました。

        • ファンデリアは、無いよりはましでしょうが、上段では音が気になりますかね。
          同じく1969年8月に東北本線で乗ったスハフ32 2068盛アオ(1930年製の二重屋根、背ずりは板張り)はミシミシを超えて、バラバラになりはしないかと怖い位の音と車体の歪み具合(車体断面が平行四辺形になる)で客車の醍醐味を堪能しました。

  3. 井原さん、準特急さん、
    「ミシミシ感」は、かつてのローカル線での旅への郷愁です。
    夏の昼下がり、本線から分かれる駅の端にひっそりとたたずむ始発列車の客車。聞こえるのは虫の声だけ。やがて短いベルの音が発車を知らせると機関車の汽笛が静寂を破る。ミシッ、足下と頭上が微妙にズレた感がして静かに滑り出す。シューという排気音が稲穂の間に消えていく。
    「ミシミシ感」にはこんな情景が目に浮かびます。

  4. 米手作市さま
    旧型客車の風情を本当に上手く表現されますね。まさに見てきたような〇〇をいいの例え通りです。準特急さまの仰る通り描写・表現能力に脱帽です。後輩へのコメントにもその能力を生かして下されば、毒舌という揶揄もなくなると思うのですが。小生は旧客の雰囲気に魅せられて、夏の海水浴や冬のカニ食べの帰りに、わざわざ皆と別れて独り鈍行旧客で京都まで戻ったものです。あの「ミシミシ音」の正体は何なのでしょうか。天井材の軋む音だと思っていましたが。旧客といえば走行中のあのゴトンゴトンという音が、駅に停まった途端に「シ-ン」と静寂の世界がおとずれ、そのひと時の静寂に酔いしれたものです。今の季節なら「ミ~ンミン」というセミしぐれだったし、秋には虫の合唱でした。今はDCの機関音は言うに及ばず、そもそも客レが無くなった、窓が開けにくい、絶えずクーラーやMG音がしている等々で、このシーンに浸ることは殆ど叶わなくなりました。
    ところでスハネ30にお乗りになっていないということですが、スハネ30に乗らずして寝台車に乗ったとは到底いえないと思うのは小生だけでしょうか?

    西村雅幸さま
    ご一緒した小樽発釧路行421レのスハネ30初乗車を思い出します。その後日豊線の夜行門司港行でも乗りました。この時はKAWANAKAさんI伏さんとの九州SL撮影旅の途中で、前日時点ではナハネの2席しか空が無く、当日になって増結スハネ30を手に入れました。くじ引きの結果スハネ30に乗ることができたのは、今から思うと良かった(やせ我慢ではありませんよ)と思います。

    後のクーラーの付いたオハネの上段では吹き出し音が耳障りで、いっぽう下段ではヘタに電源車に当たると一晩中ディーゼル発電機の音と振動に悩まされ続けて、寝台車ならぬ不眠車でした。こういうことなら走行中にバラバラにならない限り、まだスハネ30のカーテンのバタバタ音の方が情緒があったと思っています。自然の音はそのうち慣れますが、人工音はいけません。無いにこしたことはありませんね。

    • ご氏名を受けましたので回答を致します。
      「・・毒舌という揶揄もなくなる・・」はねつ造による誤解であります。そもそも私にそのような“根も葉もない”デマを流すのは広い世間で準特急さんと1900生さんしかありません。私は他人に意見を言うときは拳々服膺(けんけんふくよう)して、なおかつ三日三晩悩み抜いてから発言しています。
      また、「スハネ30に乗らずして寝台車に乗ったと言うな!」とのことですが、DRFCの古参会員とも思えない軟弱思想!思い出してください、寝て通った区間は乗車区間に入らない、という鉄の掟を。私は入会以来50有余年、ルバング島の小野田少尉のごとくいまだに当時のY会長・N副会長の言葉を守り、未乗区間は座席車でまぶたにメンソレを塗って寝ずに過ごしています。さては1900生さんは寝台車で通った区間も乗車距離に加算してるな!一緒に乗ったと自白調書に書いてあるKAWANAKA、i伏、西村の三氏も同罪でアウト!

      • 米手作市さま
        なるほど、我々に発せられた毒舌は何と三日三晩悩み抜き考え抜かれたうえでのものだったのですね。道理で中々反論する余地を見付けられないほど鋭いものであることがよく理解出来ました。
        ところでこの分の悪い毒舌の話題から乗車基準へ話題転換される能力も素晴らしくたいしたものですが、残念ながら両者の間には本来何の関係もありませんね。ここでも白を黒と言い含めて強引に話題を変えようとする能力を存分に発揮されているように思います。小生も大いに参考にして勉強しなければと決意しています。
        ところで未乗区間乗車中ですが、小生はメンソレは塗っていませんが、ガムを噛んだりWCに立ったり顔を洗ったりして起きています。乗り始めた頃は距離を稼ぎたいので、寝てても起きてても「乗車は乗車!」と考えていましたが、その後乗車の目的を考えるとやはり寝ていてはマズイと考え直し、ひと頃は二重基準だったものの、今では乗り直したものでカウントしています。残念!とガッカリされたお顔が目に浮かびます。なお同行各氏のことは与り知りませんのでそれぞれお尋ねになって下さい。

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