垣間見た西オーストラリアの鉄道(上)

先日レポートしました銚子電鉄訪問のあと、成田を飛び立って向かった先は西オーストラリアのパースです。パースを起点とした、鉄分とは縁の無い「花を見て回るツアー」につきあいました。オーストラリアへの観光客は東のシドニーやメルボルンを目指すのが通例のようで、西オーストラリアへの訪問者は少ないようです。オーストラリアは7つの州から成り立っていますが、西オーストラリア州は全土の1/3を占める広大な州で、その州都がパースです。西オーストラリア州の人口は250万人ですが、その90%はパースを中心とした南西部に集中していて、州の大半は広大な無人地帯です。

オーストラリア地図(その1)

オーストラリア全土の鉄道路線は約34万Kmありますが、標準軌(1435mm)が約50%、狭軌(1067mm)が約40%、広軌(1600mm)が約10%と州や地方で混在しています。電化率は10%強で都市近郊の電車区間だけです。また旅客輸送は都市近郊が主体で大半は貨物輸送です。広大なオーストラリアは農畜産物と鉄鉱石や石炭などの鉱物資源が豊富ですので、内陸地から港へそれらの物資を搬出するのが主目的の貨物鉄道が主役です。

春のオーストラリアをバスで走り回ったのですが、見渡す限りの小麦畑や菜の花畑が続きます。そのスケールは北海道の比ではありません。

果てしなく続く小麦畑

リノール油など菜種油用の菜の花畑

冒頭でご紹介した地図(その1)は穀物輸送専用の鉄道網です。今回訪問したパースやジェラルトンからは穀物輸送の線路網が拡がっています。小麦は4月から6月に種が蒔かれ収穫期は10月から1月ですので、穀物列車が走るのは主に秋から冬です。今回は閑散期に訪問したことになります。

穀倉地帯を走る貨物鉄道には、約10~15Km間隔で駅(交換設備)があり、穀物サイロと積込み設備がセットになっていました。そんな交換駅の一例をご紹介します。

Wongonhills駅  側線に停まっているのは保線車両(タイタンパー) バスの車窓から

オーストラリアは日本に比べて物価は高いですが、社会福祉が充実しているため暮らしやすいらしく、一般庶民の多くはキャンピングカーを持っていて、長い休暇をとったり、リタイヤ後は夫婦や家族で広い国土をゆったりと旅するのが一般的だそうです。そのため主要道路を走ると すれ違うのは大型のキャンピングトレーラーを牽引したRV車ばかりです。そんな旅行者のために、主要道路沿いには食料品、日用雑貨品店を併設したガソリンスタンドやモーテルがあり、キャンピングカーからの汚物処理設備も整っているのには驚きました。

トレーラ旅が一般的な旅姿

ツアーバスもそういう場所でトイレ休憩したり、給油します。特に鉄道と並走する区間では、鉄道駅と駅周辺が旅行客の休憩場所として整備されいて まさに道の駅となっています。そこでトイレ休憩となると これ幸いとカメラを持って下車し、トイレはあとまわしにして駅に向かいました。この鉄道は1067mm軌間です。オーストラリアはメートル法の国ですが、日本と同様に鉄道は3フィート6インチとイギリス流であり、鉄道の草創期に同じ歴史をたどったことがわかります。

Wongonhills駅構内と穀物サイロ、積込み設備

駅といっても貨物鉄道ですから、プラットフォームはなく、単なる交換設備があるだけです。一応駅舎はありますが無人です。交換設備の有効長は長く、貨物列車がいかに長編成なのかを想像させます。こんな看板もありました。

貨車停車中は横断禁止(「貨車の連結部を乗り越えるな!」)

駅周辺には旅行客用のトイレと併せて観光案内掲示板もあって、その地域の開拓の歴史や昔の写真、かつての農機具などが展示されている例も多くありました。穀物列車の写真もありました。

穀物列車の写真

収穫期の穀物サイロからの積込みの様子

今回のツアーのバスドライバーさんがとても陽気で親切な方で、トイレ休憩時や食事の際に片言で話をするなかで、彼がバスドライバーになる前は穀物輸送のトッラクドライバーをしていて、サイロ設備のことをよく知っているという話になり、わざわざサイロ設備を見せるために寄り道してくれました。

Wubinの穀物サイロ入口  手前の設備は搬入される穀物の検査設備

今は収穫期ではないので施設は無人です。バスはどんどん施設構内へ。入口に検査設備があります。各農場から収穫した小麦を運んできた巨大なトレーラートラックからサンプルを吸い上げて、ここでトレーラー単位で等級が決められるそうです。さしずめ日本なら米袋にグサッと器具を刺してサンプルをとり、等級を決めるのと同じことですが、スケールが違います。更に進むと、トレーラーの底を開いて一気に荷下ろしする投入口や貨車、トレーラーに積み込むホッパーがあります。

穀物積込み用ホッパー

たまたまこの施設では、ホッパー手前まで引込線が来ていましたが、ホッパー下のレールは撤去されており、現在は貨車による搬出をしていない施設のようでした。さらに構内の端に古い無蓋車が放置されていました。時間がなく、近づいて観察することはできませんでしたが、木造、シュー式のバネ、バッファー連結器などいかにも古い貨車でした。

古い無蓋貨車

次にトイレ休憩したPerenjori駅には鉄鉱石運搬用の古い貨車が保存されていました。

Perenjori駅のホッパー車

初めてお目にかかった鉄製枕木

Perenjyoriには鉄鉱石鉱山があり、昔から鉄鉱石を鉄道で運んでいたようです。この貨車もシュー式の板バネ、バッファー連結器、松葉スポーク車輪の時代ものです。かつて北九州で多数見られたセムに似ています。貨車もさることながら、驚いたというか、初めて見たのが「鉄製枕木」です。鋳鋼製のようでした。もっとゆっくり観察したかったのですが、時間切れでバスにもどりました。   (続く)

 

 

 

 

 

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