垣間見た西オーストラリアの鉄道(中)

この地図は鉄鉱石および石炭輸送の貨物鉄道を示します。赤が鉄鉱石、緑が石炭です。石炭輸送は主に東部、鉄鉱石が北部、西部となっています。

オーストラリア地図(その2) この地図で見るとPerthからPerenjoriまで近そうに見えますが直線距離で300Kmはあります。

古いホッパー車が保存されていたのがPerenjori駅前ですが、ここから港町のGeraldton(ジェラルトン)まで現在も鉄鉱石輸送が行われていました。ただそのPerenjori駅は鉱山駅という雰囲気ではありません。

Perenjori駅  長い待避線がある単なる交換駅

あとで調べたところ、Perenjori駅から少し先に分岐点(siding)があって、鉱山までの専用線が伸びていることがわかりました。鉱山駅と言えば日本各地にあった炭坑駅や足尾や神岡のようなイメージを抱いていましたが、オーストラリアの鉄鉱石鉱山は露天掘りで、日本の鉱山駅のように狭い谷間に積込みホッパーがあり 山腹に社宅が密集しているようなせせこましい風景ではないのです。あくまでGoogleの航空写真を見てのことですが、長編成の貨車に巨大なブルトーザーやローダーで直接積み込むようで 何も施設らしいものは見当たりません。また、貨車の留置線や仕訳線などもなく、大半径のループ線があるだけで、機関車の付け替えや機回しといった面倒なことは一切しなくて済むのが鉱山終端駅のようです。

さて、このツアーは「野生の花を見て回る」ツアーです。そんなツアーの目玉のひとつが「リースフラワー」と呼ばれる、オーストラリアのそれも西オーストラリアのなかのPerenjori北西部にのみ分布している希少種です。この季節にはそれを見ることができました。乱獲もあって絶滅危惧種でもあるそうです。「リース」と言うとクリスマスなどでリング状に草花をアレンジして壁やドアに飾るものが一般的な意味で使われ、フラワーアレンジメント教室の題材にもなっているようですが、ここで言うリ-スフラワーはあくまで野生種です。

希少種のリースフラワー  大きいもので直径30cmぐらい ハート型もあった

私を除くツアー参加者は歓声をあげて地面に這いつくばり、写真を撮ったりして感激の時を過ごされていましたが、私も初めて見る珍しい花に感動はしたものの、その先に見える線路の方が気になり、斜面を登ってみました。

よく手入れされた線路

レールは光っていて列車が頻繁に走っていることがわかります。路盤には草1本生えておらずよく整備されていますが、元々乾燥地帯で草も生えにくいのかもしれません。写真でもわかるように線路は波打って伸びています。山が見えない平地を延々と走るのですが、平地とは言え平坦なようで実際には小さな起伏の連続で、日本の鉄路のように築堤を築いて、できるだけ平坦な路盤を作るというような手間はかけられず、起伏のまま線路が敷かれているようです。また道路との並走区間では、道路はまっすぐでも線路が大きく迂回していて、あたかも等高線に沿って敷かれたような箇所も多く見られました。

同じ地点の反対方向を見る。「W」の標識は「Whistle、警笛鳴らせ」の意味のよう。この先に警報器のない「第3種踏切」がありました。標識の後方の斜面に黄色く見えているあたりに「リースフラワー」の群落がありました。

さて、ここで列車が来てくれないかと期待しましたが、走行音は聞こえてきませんでした。足元の線路をよく見ると、木の枕木と鉄製枕木が交互に使われているのに気付きました。長大な路線を保守するには、軌間の狂いが少ない鉄製枕木が適しているのだろうと納得しました。

さて興奮冷めやらぬ皆さんとバスに戻って、また次のポイントまで移動です。単調な風景が延々と続くので、移動中は居眠りする方が大半ですが、私は線路との並走区間ではいつ列車とすれ違うかと、居眠りなどしておられず、カメラ片手に線路を見つめながら車窓を流れる景色を楽しみます。バスは制限速度一杯の100Km/hか110Km/hで走りますので、並走区間では緊張が続きます。

すれ違ったホキ列車はイラストだらけ

少し気が緩んだところで、ホキ列車とすれ違い 慌ててシャッターを押しました。何とほとんどの貨車(ホキ)に落書きというのか、イラストというのか絵が描かれているのには驚きました。これは違法でも何でもなく許されており、若いアーティストたちが腕をふるっているそうです。

約2時間後、またホキ列車とすれ違いました。

今度はきれいなホッパー車ばかり

なかなか機関車を写すことができません。ほどなく今度は鉄鉱石用ホキ列車とすれ違いました。どうも鉱山へ向かう空車のようです。また機関車を撮り損ねました。

次は鉱石ホッパー列車。手前のレールは使われなくなった旧線で、現在は路盤強化され併設された線路を長大なホキ列車が爆走します。

このあとMullewaという分岐駅を過ぎました。すると今度は鉱石運搬列車を追い越すことになりました。まず後補機が見えてきました。

後部補機

機関車は軸配置C-CのDF機です。ホキには鉱石がチラッと見えているので、積車であることが判ります。並走しながら追い越すのですが、なかなか先頭が見えません。ホキが何両だったかも数える余裕などなく、ただただ注視しました。約2分並走してようやく先頭のDF2両重連が見えましたが、ブッシュが邪魔して機関車写真は失敗に終わりました。マイカーなら適当にクルマを停めてバッチリ撮れるのですが、ツアーバスではそうはゆきません。後部補機は多分遠隔制御の無人運転だったと思います。上で述べたように連続する勾配区間は無いようですが、起伏のある線路を走るため貨車の連結器への負担を減らす目的で後部補機が常用されているのだろうと思います。

西オーストラリア北部の広軌鉄鉱石鉄道では列車の長さが2Kmにも及ぶ列車があるそうで、この狭軌のホキ列車はかわいいものだと、バスドライバーさんは笑っていました。

列車を追い越して間もなく、次の交換駅が現れました。そこにはランドクルーザー改造の保線用「軌陸車」が鉱石列車との交換待ちしているのが見えました。

交換待ちするランクル軌陸車 信号機は我が国同様の3灯色灯式

港町ジェラルトンの北 約50Kmのところにノーザンプトンという小さな町があり、ここの公園でトイレ休憩となりました。すると少し先に古い客車が保存されているのに気付き トイレもそこそこに客車を見に走りました。

Northamptonで見つけた古い客車

ちょうどキャンピングカーの駐車スペースの奥なので、端が隠れてしまいましたが いかにもイギリス風のコンパートメントタイプの木造客車です。さしずめ、「ホハ」とか「ナハ」級でしょう。

TR11もどきのイコライザー台車  コイルバネが丸鋼でなく角鋼

台枠にあった銘板

銘板から西オーストラリア州NorthFremantleのRockyBayにあったWestraria鉄工所で 1905年に製造された客車であることがわかりました。1905年といえば明治38年です。屋根はダブルルーフではなく、シングルルーフです。屋根上には灯油ランプ投入穴などが並んでいたと思いますが、保存するには屋根から朽ちてゆくので、このようなスレート屋根が架けられたものと思われます。

簡単な説明看板

車番か形式がAL3なのでしょうか。西オーストラリアで初めて製造された客車のようです。それまではイギリス本国から持ち込まれていたのかもしれません。1981年にノーザンプトン地方議会が入手したとあります。向こうにいるキャンピングカーのおじさんが、しゃがみこんで客車の床下を覗き込んでいる東洋人を怪しげに見ているので、ここらで切り上げてバスに戻ることにしました。

腕木信号機  向こうにあるヤグラは何かわからない

あとで調べたところ、かつてあったGERALDTON & NORTHAMPTON RAILWAYの客車ではないかと思われます。「客車の大家」米手作市様、井原実様、教えて下さい。このあとの旅は鉄路のないエリアに入るため、テンションは下がり、居眠りしながらのバス旅行が続きました。(続く)

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