【キサハ144】
1994年3月に新形式の中間付随車キサハ144 101~103,151が登場しました。101~103はオハフ51 7,9,10から、151はオハフ51 33から4両すべて苗穂工場で改造されました。101~103は戸袋窓が小さいのが特徴です。
101~103にはトイレがなく、151はトイレ付きでしたがのちに撤去され104に改番しました。
また、登場時は非冷房でしたが、その後冷房化されました。
【キハ143】
キハ143は、101~104,151~157の11両が空気バネ台車で誕生しました。
156,157は登場時から冷房装置搭載済みでしたが、その他はあとで冷房化されました。
101~はトイレがなく、151~はトイレがありましたが、157のトイレは苫小牧に転属するにあたって業務用室になりました。
井原さん
詳しくないので教えて下さい。
キハ141、142、143の違い
違いを簡単に申しますと、以下のようです。
キハ141 トイレ有り、エンジンが1基、冷房装置無し。
キハ142 トイレ無し、エンジンが2基、冷房装置無し、
前部に幌有り。
キハ143 100番代 トイレ無し、前部に幌有り。
150番代 トイレ有り(その後157は無くな
りました)。
共通:空気バネ台車、最終的に冷房装置有り。
ありがとうございます。
気動車は詳しくありませんが、それでも昔は1個エンジンと2個エンジン、両運と片運は明確な形式区分がありました。これはキハ25とキハ55みたいなものですね。
井原さんにひとつ質問ですが、撮影地を見ますと、篠路、東篠路での撮影がたくさん出てきます。私は、初めて知った駅名です。なにゆえ、この撮影地が多いのでしょうか。単にサイドからの形式写真に適している場所なのか、それとも、撮影以外で、人には言えない、何か深い理由があるのでしょうか。ときどき、常人には理解しがたい行動が見受けられますので、念のためと思い、お伺いします。
総本家青信号特派員様
篠路駅
キハ141,キハ142-1は、とにかく運用を知りませんでしたので、札沼線内で探し、見つけたら追いかけるということをしていましたので、この時はたまたま篠路で待ち受けて撮りました。当時は西口がありませんでしたが今は随分様子が変わっています。
東篠路駅
線路が東西に伸び、長い仮乗降場のようで、ホームが北側にありますので道路のある南側から形式写真の撮影に適した駅でした(雑草が邪魔ですが)。1995年3月16日「拓北」駅に改称し、さらに複線電化されて住宅が増え「学園都市線」らしくなりました。殆どが出張のついでの撮影ですが、ここと石狩太美は休暇をとって行きましたが、天気の良くない日の画像は締まりが無くて申し訳ありません。。
なお、「常人には理解しがたい行動云々」とは、鉄鈍爺さんや箕面の怪人Mさんを形容する用語ですので、私には全くあてはまらないことを申し添えます。
そういえば現役時代の鉄鈍爺さんは
一狂人・三奇人・五変人の一角を占めていました。
鉄鈍爺さま
米手さまからそのうちの一人と名指しされておられますがご安心下さい、まだほかに8人居られますので。真っ先に人のことを言う御仁こそ、実はご自分がそうだと自覚しておられて、自分に向けられるかもしれない矛先をかわすために仰っていることが多いものです。先の9人に列せられることは、居るか居ないかわからない存在感が無い人よりはるかに恵まれていると解釈し、名誉なことと致しましょう。