河 昭一郎さんよりプレゼント!

久しぶりに河 昭一郎様からメールで『こんなん、あるでー』と写真の差し入れを頂きました。
さすがは国電の大家、一目で懐かしい写真だと分かるのですが、私は門外漢の悲しさ、値打ちが分かりません。また、我々への挑戦状なのか、データが入っていません。
よしッ受けて立とう!!
で、皆様に分析・解説(撮影場所と撮影時期が分かれば)をお願いします。(丸投げ!)

こんな面白い写真をお持ちの方は挑戦状を送って下さい。当会の探偵がたちまち解決します!

昭和39年5月3日 東京駅 上り「第1こだま」

「かえだま」については、2014年5月6日の特派員氏の投稿に詳しいので転載させて頂きます。
《昭和39年4月24日のことだが、静岡~草薙を走行中の宇野行き特急「第一富士」2001Mが、静岡操車場を通過しようとしたところ、踏切を直前横断したダンプカーと衝突、1~6号車が脱線、とくに先頭1号車のクロ151-7は、線路に直角に全軸脱線し大破した。 ちょうど新幹線開業前で、「こだま」形は九州乗り入れを控えて改造入場中で、予備編成が全く無い状態だった。

そこで、事故翌日の4月25日から5月6日の間、上り「第1こだま」、下り「第2こだま」は、153系11連で代走することになり、特急料金は半額となった。これまでも、ダイヤの乱れで所定の運用ができず、153系を特発した例もあったが、長期間153系代走となったのは、これが初めて、いわゆる“替えだま”と呼ばれる特異な例となった。》

これは分かります。京都駅前の2600二両。伏見線側に留置中でしょうか? 昭和41年3月17日

摂津富田~高槻間を走行中の下り「しおじ」 昭和40年10月

昭和40年8月10日御徒町 クハ40142(水カツ)

昭和41年3月9日 東京駅 急行「東海」

昭和40年8月10日 品川駅 前三両はEF10ですが、最後の一両はEF60か?

14 thoughts on “河 昭一郎さんよりプレゼント!

  1. 河様ありがとうございます。懐かしい写真です。3枚目は、うちのすぐ近くですから場所はよくわかります。摂津富田~高槻間で最後まで残っていた女瀬川(にょぜがわ)堤防の踏切から撮影された下り「しおじ」の回送ですね。
    左の明治製菓㈱(当時の商号)の工場には今は巨大なチョコレートが聳えています。

  2. 井原 実 様
    リアクション、有難うございます。
    小生この頃は昭和台に居て、このエリアの阪急と国鉄は守備範囲でした。
    東海道線の北側は工場が連続していましたネ。確かサンスターの工場も。
    チキンラーメンは無かったかな?
    実を言うと、この『しおじ』のショットは国電狙いの合間の時間潰しでした。
    この181系ですら、旧国に夢中だった此の時期の小生にとっては興味薄で、アングル等に『ツイデ』感がプンプンです。

    • 子どもの頃、昭和台といえば高級住宅地というイメージでした。
      線路北側の工場は、摂津富田寄りからパナソニック、明治、サンスターの順で並んでいます。チキンラーメンは摂津富田の少し茨木寄りでしたが、ダイエー→イオンフードスタイル摂津富田店になりました。

      •  明治製菓工場の敷地西端には京都市電のN電が置いてあったやうな気がしますが、井原様。

        • それは気のせいではなく、確かにありました。N5ですが、なぜか今は見当たりません。
          なお、加悦SL広場駐車場の「No5」,「五第」と標記してある電車がありますが、本当の番号は5ではないそうです。

  3. 東京在住のSN様からメールで投稿頂きました。
    SNさんは、今までも名推理をご披露下さった常連さんで、皆様にもおなじみだと思いますのでご覧下さい。

    《(1) クハ40142
    撮影場所は、京浜東北線御徒町駅の南行のホームより、上野駅到着後引上げ線に停車中の常磐線401系電車の先頭車両を撮影したものと思います。
    引上げ線の手前2本は東京-上野連絡線です。私はここで田町電車区に回送される161系の特急ときを撮影しています。
    撮影時期は昭和40年代初めと思います。

    (2) どこの駅でしょう?
    撮影場所は、東京駅12番線ホームと思います。写真の右側が神田駅方向です。列車案内表示の発車時刻が切りの良い数字で列車名急行東海3号から当時の時刻表を調べ確認しました。
    撮影時期は準急東海が昭和41年3月に急行に格上げされたことから、その後しばらくした頃ではないでしょうか。

    (3) 前三両はEF10ですが、最後の一両はEF60か?場所は?
    撮影場所は、東海道線品川駅12番線ホームから待機中のEF10他を撮影したものと思います。背景に東海道新幹線高架が右から左にかけて高さを上げています。高架の向こう側には新幹線の品川車両基地がありましたが現在は大井に移転しました。写真の場所は新幹線品川駅が建設され様変わりしてしまいました。私は昭和40年にここで待機中の横浜機関区の86を撮影しています。当時汐留貨物駅の入換を行っていました。ここからは想像ですがEF10他は新鶴見機関区から品鶴線経由で回送され汐留発の貨物列車牽引に待機しているのかもしれません。
    撮影時期は昭和40年代初めと思います。(1)~(3)は同じ時期の撮影行かもしれませんね。

    (4) 以前話題になった「かえだま」?
    「かえだま」に該当するかどうか全くわかりません。以下のような独断の推理をしました。

    ① 写真のクハ153-500はインターネット等「かえだま」の写真から東京寄りに連結されているものと判断。無茶ですが。

    ② 写真のホームは9番線と表示されています。

    ③ 当時の東京駅、大阪駅の配線図から東京寄りから列車を見て右側に9番線ホームが写るのは大阪駅。

    ④ 撮影時期はわかりません。

    ⑤ なお写真のホーム上では、客扱いが終了し社内清掃のおばさんが乗車待ちしていることや、運転台の列車番号が2となっていることについては時間的経過まで整理できていません。あと蛇足ですがホーム上の背中を見せる中学生または高校生の2人は「かえだま」撮影の鉄道ファンのような気がします。撮影日は土曜日でしょうか。》

    SNさんの名推理、河さん、いかがでしょうか?ご記憶と付き合わせてみて下さい。

  4. 東京在住のSN様
    データ及び説明の無かった写真でしたが、推理・解説を頂き感激です。
    改めてデータ等を追記します。 写真の順に ①1964-5-3撮影:東京駅到着の『かえだま』。上り『第1こだま』の最後尾車=大阪側のクハ153-502(大ミハ)  ②1966-3-17撮影:京都駅前のワンマン市電 ③1965-10-日付不明:摂津富田―高槻間の下り『しおじ』回送 ④1965-8-10撮影:クハ401-42(水カツ)御徒町にて ⑤1966-3-9撮影:急行に格上げとなった『東海』とその案内標識=東京駅にて ⑥1965-8-10撮影:EF10 29他の4重連=品川駅

  5. 『かえだま』に絡んだ話については、当時、次のような文章で顛末をまとめておりますので、貼付致します。参考になれば幸甚です。

    『こだま』の『かえだま』物語
    河 昭一郎

    東海道新幹線の開業を5ヵ月後に控えた1964(昭和39)年4月~5月かけて東海道在来線特急に11連の153系を使用した俗に『かえだま』と言われた変則運用が発生し、それに続く6月にかけては157系をも巻き込んだ変則運用が新潟特急『とき』や準急『日光』にまで影響を及ぼしたのは有名な話である。
    事の発端は4月24日、下り特急『第1富士』が静岡県・草薙近くの踏み切りでダンプカーと衝突し、先頭のクロ151-7が脱線大破して再起不能となった事であった。

    この年は、あらゆる点で今日の電車列車の基礎を築いた『こだま型』にとって大きな岐路に立つ年で、同年10月の東海道新幹線開業を機に、こだま型電車は東海道の王座とその列車名をそっくり新幹線に譲り渡して自らは九州特急に活路を見出すべく、九州線内の交流区間乗り入れのための改造工事が大車輪で進められていた。
    しかし、列車は全て通常ダイヤ通り運行される中での工事であったため工場入場では予備車を遣り繰りしながらのギリギリの運用が続いていた最中で、特に予備車に余裕の無かったクロについてはたちまち事故の翌日から車両不足に陥る事となってしまった。
    このため、代替車両による運行を余儀なくされ、次のように期間を区切って応援車両の遣り繰りが行われた。
    (1) 4月25日~5月6日 153系『かえだま』運行
      下り『第2こだま』上り『第1こだま』は [大ミハ] の153系が急行編成からサハシを抜いた11連でピンチヒッターとして走った。白地に青色で書いたホームベース型のヘッドサインがつけられたが、まさしく『かえだま』の観があった。
    (2) 5月7日~5月31日 157系による『代走こだま』
      ゴールデンウィークが終わるのを待って臨時特急『第2ひびき』の運転期間を大幅に繰上げ終了し、使用車両の157系を捻出して151系運用の下り『第1こだま』上り『第2こだま』に充当する事によって押し出された151系を153系運用にスライドさせ、153系『かえだま』を解消した。
    (3) 6月1日~6月30日 クハ161混結の151系変則編成
      クロ151を除く事故車両が復旧したため、クロ151の代替として新潟特急『とき』から外したクハ161-3を連結した編成を組成して共通運用に組み込み、157系による『代走こだま』はお役御免となった。
    これによりクハ161-3を抜かれた『とき』には準急『日光』から間引いたクモハ157+モハ156+サハ157がピンチヒッターに入り、クハ161-3を含んだ161系3両分と交換して混結使用された。準急『日光』は編成を縮小して対応した。
    (4) 7月1日~9月30日 クハ161-3をクロ150-3に差替え
      予備車のサロ150-3を急遽キャブ付きに改造したクロ150-3をクハ161-3と差替えた。このため1等車は所定通りの数となったが、1本のみパーラーカーのない編成が走る事となった。

    上記のような経緯で栄光の『こだま』はその最後を飾るべき時期に運悪く変則運用を余儀なくされる事となってしまったが、この運用に携わった人々の苦労は計り知れない。
    例えば座席予約の業務では使用車両が度々変わる上に、運用の後半では1等車の少ない編成や1等車があってもパーラーカーが無い編成が11本の中に共通運用で入っていた事による複雑な対応に悩まされたであろうし、『とき』に波及した異系列の連結では161系と157系の車高差のカバー等に苦労したと思われる。
    この『かえだま』の運行は当初の8連運用時には予備車が無かった事もあって、比較的早くから想定されていたもので、153系に付けるホームベース形『こだま』のヘッドマークは急造したものではなく、前もって準備されていた。
    なお、『かえだま』についてはこの事故の時に走ったのが始めてではなく、実はそれまでにも複数回運行されている。

    このようにして急場を凌いだ『かえだま』物語には次のような後日譚がある。
    最終的にクロ151-7の代役を務めたクロ150-3は約2ヶ月かかってサロ150-3から改造された車だったが、役目を終わった後1964(昭和39)年10月4日には早々に浜松工場に入場して大規模な再改造を受け、翌年3月10日にはクハ181-53となって東チタの戦列に戻った。この車は1形式1両の珍車だった事や、クロへの改造後たった3ヶ月で窓配置の変更を含んで原車の面影なきまで徹底改造されたのが注目された。

  6. 河 昭一郎様
    懐かしい時代のプレゼント有難うございます。今頃になって申し訳ありません。
    解説付き場所当てなどとてもできない私ですが河さんの3枚目摂津富田~高槻間で撮られた下り「しおじ」のご自身のコメントがよくわかるような気がします。河さんは国電の権威でおられますが戦前を中心とした曰く付きの車両やくせ者車両がお好きであったのではないかと勝手に想像しております。河さんにとって当時のスマートな新型車両は興味がないという感じは私など年齢の近いファンには少なからずわかるような気がします。何かオールドファンには共通点があったのではないかと個人的に思っております。しかし、その古い車両へのこだわりは蒸機であったり、デッキ付き電機であったり、地方私鉄、軽便、大手私鉄の古豪あるいは戦前型客車等々各人いろいろとは思いますが何か共通に惹きつけるものがあったのでしょう。私などは国鉄の長距離客車列車が好みでしたので甲子園口あたりでの撮影では吊り掛け式モーター、半鋼製の所謂旧型電車はいくらでも走っていましたがそれはついで車両でほとんど撮っていません。今はしまったと反省しています。その反省から今は撮れる車両は何でも撮っています。大量に製造された103系や113系なども関西地区ではよく改造して残ってくれていますので今や重点的撮影車輛になっています。どうせ無くなる頃には大騒ぎとなるので今のうちにという気分です。そういう私も近いうちに消え去ることはわかってはいますが動けるうちに動いています。脱線コメントで失礼しました。添付は4月13日17時32分の棚倉~玉水間を行く京都行きクハ103-215です。

    • まったく同感です!
      103系て、まだ奈良線を走っているのですか?全部205系に置き換わったと思っていましたが。

  7. デジ青読者の皆様
    今更『かえだま』で申し訳ありませんでした。
    数枚の古い写真で話題のきっかけになれば・・・の『つもり』が、話は『かえだま』に向ってまっしぐら。
    オッチョコチョイの小生は、調子に乗って『こだま』の『かえだま』物語なる顛末記までも投稿し、今更の『かえだま』に苦笑された方々がおられる事に気がまわらず・・・。
    その後、デジ青の過去記事をチェックしたところ藤本哲男様をはじめ準特急様、INUBUSE様、聡本家青信号特派員様などの方々が既に詳しく解説しておられるのを確認しました。
    それにもかかわらず、おこがましくも『今更感有り有り』の小生の『しつこさ』に恥じ入っております。

  8. 準特急様 

    過分なるコメントを頂き感激しております。
    国電の権威でも無く研究者でもありませんが、ただただ『国電大好き』人間に過ぎません。
    仰る通り、新しい物には或る意味アレルギーが有りますが、それは古今東西に共通している事なのかも知れませんネ。

    そう言う小生は国電がJRになる前後から『何か違う!』感が大きくなって、新幹線にもそっぽ向いていたような気がします。
    『これは電車とチャう。』そのスタイルは、『飛行機かレーシングカーや!』と。

    それかあらぬか、現在ではイルカかカモノハシの新幹線車両や『神聖なる』車体に落書き同然のラッピングをベタベタ張り付けた車両の闊歩には目を覆う有り様です。
    さらにはアニメかイラストの世界に同化したスタイルで、曲線グ二ヤグ二ヤデザインの電車には辟易気味ですが、『これが現代』と自分で自分に言い聞かせる毎日です。(笑)

    どちらにしても世代の違いは致し方なく、ギャップが有るのは当然と理解してはいるものの、ついついボヤキになってしまいます。
    現世代の若者に取っては古い事は預かり知らぬ事で、最近の教育では『温故知新』も存在していない様ですので、もう『何をか言わんや』であります。

    一方、貴殿の興味薄い車両にも目を向ける姿勢には脱帽です。 更にはそれ等を記録撮影される行動力に我が身を照らして反省する事しきりです。

  9. 河 昭一郎様
    イルカやカモノハシ、落書き同然のラッピング、曲線グニャグニャデザイン等誠に当を得た痛快な表現と思います。ある民鉄のトップは当時流行し始めた広告ラッピング車両に対して魂を売る気かと激怒していました。各社いろいろと事情があると思いますので何とも言えませんが、各社のオリジナルカラーを踏襲してもらいたいものです。例えば群馬県に2つの地方民鉄がありますがそのうちの1つはほとんど広告付きで全く撮る気がしません。と言いながら私は各社で流行している復刻カラーや提携先のカラーを採り入れた車両は広告車両、ケバケバ車両とは少し趣旨が異なるようでわざわざ撮りにも行きます。ところで、旧性能車両はアナログの世界と申しましょうか、不便でな点が多くありましたが手作りの暖か味があったような感じがします。蒸気機関車のC55やC57などはナンバーを見なくても何号機か分かったものです。新幹線ができた時は0系という形式があったことは知りませんでしたが、その晩年は山陽路で500系共々追いかけたことがありますし、103系、113系、115系、117系、185系等はよく撮りに行きます。多分近く無くなる車両は記録しようという気持ちは昔から変わっていないのかもしれません。だから、いつまでたっても写真がうまくならないのでしょう。

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