157系「こだま」号

総本家青信号特派員さんがデジ青[47114]50年前の撮影地を歩くー2-で京都駅高倉陸橋から撮影された替えダマ153系「こだま」号を発表されておりました。151系の復旧までのピンチヒッターで153系を12日間使用した後157系が後続の繋ぎで1か月近く走りました。私が157系の「こだま」を撮っていることをコメントに書きましたら、それを載せろとご本人からの要請がありましたので掲載します。代行運転使用日数の差および準急・急行用車両の特急使用ということで記録的希少価値としては153系に軍配が上がりますが、当時既に準急用から特急用にグレードアップして臨時特急「ひびき」に使用されていた157系は151系に近い設備等のイメージもありましたので「替えだま」に続く「似だま」としてコメントし、これも記録として今回掲載しました。撮影は1964年4月24日大阪駅です。▼s-64.5.27大阪157系こだま

5 thoughts on “157系「こだま」号

  1. 総本家青信号特派員様の「153系替え玉」共々貴重な画像の公開有難うございます。
    私はどちらも撮影できませんでしたが、「クロ150-3」のみ撮影でき、旧掲示板2008年7月15日【1477】(http://drfc-ob.com/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=1477;id=)に投稿しています。
    当時「こだま」は12両編成でも連日満席であったのに、157系は7両と短く、指定席券の入手が更に困難になり、その方面での苦情も多かったと思われます。
    隣に写っている福知山線のキハ17や、ホームで電車を待つ人の風景は、当時の大阪駅の日常を表す貴重な記録です。

  2. 藤本哲男様
    クロ150-3は当時のDRFC有志で作った写真帳だったと思いますが藤本さんの撮影したものをよく覚えております。151系はつばめ(名古屋→大阪)で、157系はひびき(東京→名古屋)で乗車したことがあります。157系は準急用でやや地味な存在でしたが、特急用に格上げした頃に冷房化して外装もこだまに近い、あるいは同じ色合いにしたように思いますが如何でしたでしょう。藤本さんが通学の京阪電車を丹波橋で乗り換えて近鉄電車で京都に向かい国鉄京都駅での数々の貴重な写真を撮られた話はよく存じあげております。今後も素晴らしい過去の記録をデジ青や趣味誌に藤本さんならではの発表をしていただければと思います。

  3. 153系、157系の「こだま」なつかしく拝見させていただきました。当時名古屋におりましたので名古屋駅に見に行ったものです。当時の編成記録がありますのでご覧ください。
    S39年5月5日の上り「第一こだま」  Tc153-553 M153-105 M152-105 M153-93 M152-93 Ts152-3 Ts152-28 Tb153-16 M153-16 M152-16 Tc153-502 全車大ミハ
    当時の153系急行編成12連からTsを一両減車した編成の11連でした。
    S39年5月10日の下り「第一こだま」 Mc157-3 M156-3 T157-2 Ts157-2 Ts157-5 M156-4 Mc157-4 M156-1 Mc157-1 全車東チタ
    当時の「ひびき」は7連基本でよく下り方に2両増結の9連で運転されていました。その9連が使用されていました。
    ご参考まで。

  4. 準特急さま
    157系「こだま」をおねだりしたところ、さっそくの掲載、ありがとうございました。
    157系は、昭和34年に臨時「ひびき」として東海道線デビューを果たしていますが、冷房の取り付け、塗装の変更を行ない、昭和38年4月改正から、「ひびき」は定期化されます。車内設備が151系と同レベルになったことから、時おり、151系特急の代走を勤めたこともあったようです。ここで気になるのは、151系は12両、157系は7両と、編成数が違います。急な代走で、定員差をどのように埋めたのか、つねづね疑問に思っていました。
    ここで、準特急さんの写真をよ~く見ると、9両になっており、2両が増結されているんですね。151系には、サシ、モハシがありましたから、差し引き、定員はほぼ同じと言えます。ただ、ロになると、151系はパーラーカーも含め4両、157系は2両でしたから、ロからあぶれた乗客は、料金返却のうえ、ハに案内したのでしょうか。

  5. INUBUSE様並びに総本家青信号特派員様

    DRFCの中でもとりわけ車両等の知識にお詳しい方々にコメントを頂き大変嬉しく思います。

    INUBUSEさんは列車編成の記録は今でも現役と伺っておりますが、頭が下がります。学生時代には客車列車ではそういうことをやっておりましたが、当時機関車を入れると300mくらいの距離を往復するので、そのうちに嫌になってやめてしまいました。ぶんしゅう旅日記さんも中国でやっていたように思いますが、これも日本以上に歩く距離があり大変だと思います。INUBUSEさんの編成調査記録は大変貴重であり興味があります。何らかの形で発表していただければと思います。

    総本家青信号特派員さん、157系の変遷を教えていただき有難うございます。ぐうたら鉄を永年続けており、あまり調査せずに投稿しており失礼しました。153系は特急料金が半額とのことでしたが、157系はグレードアップ後は151系と比べても設備的にそれほど見劣りがしなかったので同一料金か少し安めに設定したのでしょう。編成やサロの両数の違いなどは総本家さんおっしゃるように現場では苦労があったことと思います。1964年は東京オリンピック開催の年で新幹線や高速道路が開業し、日本が高度成長に入っていく時代でしたね。

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