四半世紀ぶりにタイに行った(その1)

▲バンコクホワランポーン駅

 

昔ながらの客車の旅が好きだ。ここ暫く、日本では失われた客車列車を追って台湾に通ってきた。台湾の急行「莒光号」は、機関車けん引の客車列車の魅力を大いに味わえる存在だが、台湾には無いものが2つあった。寝台車と食堂車である。日本から比較的近いところで寝台車と食堂車が日常的に運行されているのは、中国かタイであろう。冬なら中国は寒く、かつては軟臥車(1等寝台)の指定券は入手し難かった。かといって硬臥車(2等寝台)は体を横たえることは出来るが、シーツなしのビニールレザー、カーテン無しの3段ベッドで、快適な寝台列車の旅を堪能できるかとは言い難い。筆者の主観かもしれない。中国の寝台車にはもう20年ほど乗っていないが、新幹線網が発達した今どうなっているのか。判らないので中国行きは今回、見送ることにしたのだが、これが奏功した。 2月、もし中国を選んでいたら、行くことを諦めていただろう。さて、タイには日本から渡った客車が今でも活躍しているようだ。そうだ、タイに行こう。2月の初頭、四半世紀ぶりにタイに行くことにした。今回は、客車の寝台特急に乗ることと、タイからラオスまでの国際列車に乗ることである。主要優等列車は今やインターネットで予約することが出来る。タイ国鉄の予約サイトは、タイ語に加え英語版もあるので安心である。タイ語は全く読むことができない。
(空港からホワランポーン駅へ)
2月1日、0時40分の日本航空727便は、夜行便なのでバンコクには朝着で効率がよい。フライトは6時間くらいとなる。映画を見たり機内食も食べたりとかで、うとうとするくらいでほとんど寝ることが出来なかった。25年前、バンコクはドンムアン空港で国鉄駅直結だったので市内中心部まで行くのに便利だったが、今やもっと大きなスワンナプーム国際空港はエアポートレイルリンク(ARL)、スカイトレイン(BTS)、地下鉄(MRT)を乗り継がないといけない。これが結構曲者で、乗り換え駅も慣れない身には判りにくく大きな荷物のある身には難渋する。ARLは、始発の空港駅から終点のバヤタイまで乗って45B。空港鉄道といってもロングシートの電車が高架線を行く。終点のバヤタイからはBTSスクンビット線に乗り換え、2駅先のサイアムでさらにBTSシーロム線に乗り換える。ここの乗り換えは同じプラットフォームなので楽である。大阪メトロの大国町乗り換えのようである。サイアムからまた2駅のシーロム駅でMRTに乗り換え2駅乗るとやっと国鉄のターミナルであるホワランポーン駅に着く。空港から1時間半はかかったように思う。それでもバンコク市内は2000年代初頭まで地下鉄や都市高架鉄道が無く、道路交通だけで大渋滞に悩まされたので、だいぶ市内移動はましになった筈である。

▲ホワランポーン駅構内

(ホワランポーン駅)
ホワランポーンは地名で、正式にはクルンテープというらしいが、なんだかぴんと来ないし、駅で切符を買う時もホワランポーンで通じた。駅舎は、大きなドーム型の上屋が風格があり、長崎駅や上野駅長距離発着ホームのように頭端式になっており、旅行の気分も高まるというものだ。1912年の創建ということで構内も相当に年季が入っている。数年後にはホワランポーン駅を廃止し、何駅か先のバン・スージャンクションを高架化し、バンコクの中心駅とするそうで、味わいのあるターミナル駅を楽しむのなら今のうちに。
ホームへ入る。タイの駅では改札がないので、いつでもホームや列車への出入りは自由である。ただし列車が動き出すと、かなりの確率ですぐに検札がやってくる。これは、優等列車だけでなく鈍行でも同じであった。まあ当たり前といえばそうなのだが、乗車した時は切符が無いとややこしそうである。駅は活気がある。荷物車に積む荷物を載せたバッテリーカー。ホームでの給水。行きかう車販の売り子。どれも懐かしく感じる。ホームには、一目で日本から来たとおぼしき客車が止まっていた。どうも屋根の形状から種車は、24系や14系のような寝台客車のようだが、寝台車の用途ではなくサロンカーとかラウンジカーのような用途のようである。青15号のような濃紺の塗装に帯と窓枠も金色に塗られていて、SRT PRESTEGEの文字が描かれてるので何らかの豪華仕様用途なのだろう。その隣は14系座席車、さらにその隣は12系座席車がつながれていて懐かしい。この2両ともクーラー付きで優等車両のようである。もっと前方は、非冷房の雑型客車のような車両が数両繋がれていた。▲かなり改造されており、タネ車は不明だったが元ブルートレイン車両

▲製造年が昭和46年というと14系、スハネフ14か?

▲これはスハフ12かオハフ13か?妻面の窓は埋められている

▲これも12系客車だがかなり改造されている

▲これはスハネフ15か

▲これは激しい改造だが、もはやタネ車不明

 

この列車は、9時20分発のホアヒン行きの261列車として発車していった。ホアヒンはリゾート地なので、こうした優等客車の需要もあるのだろうか。端の方には懐かしいブルートレイン客車が何両も停車していたが、派手な紫と水色のツートンカラーに塗り替えられており、しかもその塗装が剥げ落ちて一部が錆びてしまっている。読んだ本には、2016年に中国長春から新しい寝台客車を大量発注し、幹線の定期寝台特急に就役させたという。そのあおりを食ってブルートレイン客車は波動輸送用になったというではないか。残念なことではあるが、日本からタイにわたって十年以上第一線で活躍し、製造後既に45年前後経過するのでやむをえないことだろう。ところで日本から多彩な車両がタイにわたっている。今から20以上前に譲渡されたキハ58系はもういないが、2000年代はじめからわたった客車群は、24系25型のようなブルートレインだけでなく12系や14系座席車もわたっており、今でも活躍中である。寝台車はオハネ25のような2段ハネだけでなくオロネ25も渡ったのだが、今回は見ることが出来なかった。タイの客車は、最近、中国長春から導入された寝台特急は、電源車を持つ編成単位の運用となっているようだが、それ以外は、誤解を恐れずに表現すると雑型客車、つまり10系以前の客車列車の世界である。なのでブルートレインも一両ずつで運用可能な改造を受けている。つまり、一両毎に冷房用のディーゼルエンジンを搭載し、トイレも垂れ流し式に変更となっている。これら日本からの客車は、優等車両、2等車以上である。それ以外の客車は、はっきりいってかつての雑型客車並みといっていい。3等車は、直角のボックスシートで一段下降窓非冷房、トイレは垂れ流し式、ドアも開け放ちの状態で台車はどれも押しなべてキハ58のDT22に近似した台車であった。内装は、ほとんどが明るい色のデコラ張りのようだったが、中には60系客車のように、内装もシートそのものも全部板張りのものもあった。2等車は、ニス塗りの内装でシートはレザー張りのリクライニングシートだったが、非冷房には変わりない。3等車のボックスシートの中には、4人席の区画と6人席の区画をもつものもある。実際に満席で一つの区画に6人座っていることを見ることはなかったが、この区画の3人横並びの真ん中で長時間乗車するのは、新幹線の3列の真ん中よりはるかに気合が要るだろう。「冗談はよせ。」と言えるレベルにはあるが、昔の修学旅行用電車155系もほぼ同じと言えなくはない。▲これは2等寝台車だが非冷房

▲どこか懐かしいようなホームの風景

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四半世紀ぶりにタイに行った(その1)」への2件のフィードバック

  1. ブギウギ様
     2月、寒いのは日本。ウィルスでこんなことになる直前に寒くないタイへ良いタイミングで行かれましたね。
     日本の所謂ブルトレがタイで活躍していることは耳にしていましたが、今はこんな風なのですね。
     中国製の寝台特急が活躍中とは!何とも・・・
     タイでの客車旅、このシリーズも興味津々。楽しみが増えました。

  2. マルーン様
    コメント有難うございます。1月の終わり頃、既に中国は渡航制限がかかりだしていましたが、南方への出入国は通常通りでした。飛行機もほぼ満席でしたが、CAはマスクを着けており、まさにぎりぎりのタイミングだったと思っています。ビジネス用途での出国は、ベトナムなど4か国に限って制限解除するようですが、世界を見渡すとまだまだ感染者が増加しており、予断を許さない状況です。さて、何時になれば海外鉄が再開出来ますことやら。

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