日本一の軽便展*駿遠線廃止50年* 投稿日時: 2020年8月8日 投稿者: 米手作市 ネットニュースを見ていたら、藤枝市郷土博物館と言うところで表題のような展示会を開催しているということです。さっそく藤枝に住んでいる娘婿に言って取り寄せてもらいました。 見に行きたかったのですが叶いませんでした。 パンフレットでお楽しみください。 同時に原信太郎氏の模型展も同時に開催されていたようです。これも是非みたいものでした。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 関連記事がありません。
米手作市様 大津市歴史博物館が江若鉄道のことを郷土湖西の歴史として後世に伝えようと努力されてきたと同様に、藤枝市郷土博物館も節目節目で特別企画をされてきたようです。私は平成13年に同館が駿遠線廃止30年を記念して刊行された「懐かしの軽便鉄道いまむかし」を持っています。これは今回ご紹介された平成6年発行の「軽便鉄道」の後を受けて、その後収集された写真や記録を追補するかたちで作られたA4判52ページの立派な冊子です。駿遠線は藤枝市から御前崎を経て袋井市を結んでいましたが、袋井市もまた静岡鉄道秋葉線についての冊子を2度発行されています。財政的に苦しい筈の地方自治体がこのような企画展や出版事業を行われることにエールを送りたいと思います。そして駿遠線が沿線住民にとってかけがえのない鉄道であったことの証しだと感じます。それにしても、都合よく藤枝に娘婿殿がおられるとは米手ファミリーの情報ネットワークはすごいですね。 返信 ↓
駿遠線は乗ったこともないし、写真もないのですが、中学の時の地図帳でえらい所に鉄道が走っているなと思っていました。沿線に地頭方という何か中世的な響きのある地名があったりして興味がありました。今は廃線跡がサイクリング道になっているようです。ところで同じ静岡鉄道秋葉線の終点であった遠州森町駅跡に天浜線ツアーの帰りに寄ってきました。西村さんがコメントにに画像を載せられた「なつかしの秋葉線」の表紙に遠州森町駅の写真がありました。それと同じような写真を撮ることができました。背後にある建物がそのまま残っていて、写真で見た時は工場のようでしたが実際はスーパーでそれも閉店していました。その前はどうも映画館か劇場のようなものだったようです。森町の中心は静岡鉄道遠州森町駅であったようです。町をあること今もそのような感じでした。 返信 ↓
いささか旧聞になりまして恐縮です。こちらは藤枝市郷土博物館・文学館におきまして、第2回軽便講演会「静岡鉄道駿遠線 誕生の謎」を担当させて頂きました、中村修と申します。この講演会では、駿遠線という軽便鉄道が駿河と遠州を結ぶだけではなかった!実は東京(新宿)と大阪(阿部野橋)を結ぶ、第二東海道本線建設のために静岡鉄道が設立され、同線は世が世であれば私鉄東海道本線の一部になっていた…かもしれないという壮大な「夢」を語らせて頂きました。それは各種資料や現地調査等に基づき、20年近い調査の集大成でした。もしよろしければ、同講演会の資料(PDFまたはパワーポイント)を送信させて頂きます。ちっぽけな軽便鉄道に秘められていた壮大な夢の計画。これをご笑覧をいただけましたら、誠に幸いに存じます。 返信 ↓
米手作市様
大津市歴史博物館が江若鉄道のことを郷土湖西の歴史として後世に伝えようと努力されてきたと同様に、藤枝市郷土博物館も節目節目で特別企画をされてきたようです。私は平成13年に同館が駿遠線廃止30年を記念して刊行された「懐かしの軽便鉄道いまむかし」を持っています。これは今回ご紹介された平成6年発行の「軽便鉄道」の後を受けて、その後収集された写真や記録を追補するかたちで作られたA4判52ページの立派な冊子です。駿遠線は藤枝市から御前崎を経て袋井市を結んでいましたが、袋井市もまた静岡鉄道秋葉線についての冊子を2度発行されています。財政的に苦しい筈の地方自治体がこのような企画展や出版事業を行われることにエールを送りたいと思います。そして駿遠線が沿線住民にとってかけがえのない鉄道であったことの証しだと感じます。それにしても、都合よく藤枝に娘婿殿がおられるとは米手ファミリーの情報ネットワークはすごいですね。
西村さん、
貴兄のフットワークも大したものですよ!
静岡鉄道はローカルの、それもナローなのに、いかに地元から愛されていたのか分かります。
娘婿は日清食品静岡工場におります。
駿遠線は乗ったこともないし、写真もないのですが、中学の時の地図帳でえらい所に鉄道が走っているなと思っていました。沿線に地頭方という何か中世的な響きのある地名があったりして興味がありました。今は廃線跡がサイクリング道になっているようです。ところで同じ静岡鉄道秋葉線の終点であった遠州森町駅跡に天浜線ツアーの帰りに寄ってきました。西村さんがコメントにに画像を載せられた「なつかしの秋葉線」の表紙に遠州森町駅の写真がありました。それと同じような写真を撮ることができました。背後にある建物がそのまま残っていて、写真で見た時は工場のようでしたが実際はスーパーでそれも閉店していました。その前はどうも映画館か劇場のようなものだったようです。森町の中心は静岡鉄道遠州森町駅であったようです。町をあること今もそのような感じでした。
いささか旧聞になりまして恐縮です。こちらは藤枝市郷土博物館・文学館におきまして、第2回軽便講演会「静岡鉄道駿遠線 誕生の謎」を担当させて頂きました、中村修と申します。この講演会では、駿遠線という軽便鉄道が駿河と遠州を結ぶだけではなかった!実は東京(新宿)と大阪(阿部野橋)を結ぶ、第二東海道本線建設のために静岡鉄道が設立され、同線は世が世であれば私鉄東海道本線の一部になっていた…かもしれないという壮大な「夢」を語らせて頂きました。それは各種資料や現地調査等に基づき、20年近い調査の集大成でした。もしよろしければ、同講演会の資料(PDFまたはパワーポイント)を送信させて頂きます。ちっぽけな軽便鉄道に秘められていた壮大な夢の計画。これをご笑覧をいただけましたら、誠に幸いに存じます。
中村 修様
ご覧頂きありがとうございます。
当会にもローカル私鉄が研究対象の会員がおりますのでよろしければぜひとも見せていただきたいと思います。
よろしくお願い致します。