さよなら 近鉄特急色 〈1〉

12200系

久しぶりに気合いを入れて(?)投稿します。すべての活動が止まってしまった、この時期ですが、鉄道界では春のダイヤ改正に向けて静かな進化を続けています。身近な関西私鉄で見ますと、京阪(新)3000系の「プレミアムカー」、近鉄「ひのとり」増備などが目玉でしょうか。私など「プレミアムカー」も「ひのとり」も乗ったことも無いのに、もう増備が完了です。不透明な時期にも、つねに前を向いて進む鉄道事業者には敬意を表します。ただ、その影で、消えていく風景もあり、京阪、近鉄とも親しまれてきた塗装が見られなくなりそうです。

近鉄では、特急の主力車輌として活躍してきた12200系が姿を消すことになり、同時に、近鉄特急の象徴でもあったオレンジと紺の旧塗装が消えてしまうことも意味しています。まだ正式なリリースはありませんが、2月12日のダイヤ改正で姿を消すようです。この塗装の起源は、昭和33年、世界初の二階建て電車10000系ビスタカーだった。オレンジとダークブルー(当時の呼称)に塗られ、ブルドッグノーズの強烈なスタイルとともに近鉄特急の地位を確立した。最初は、窓部をオレンジ、上下がダークブルーだったが、新ビスタカー10100系に合わせて、逆転させて現在のような配色になった。以来、多少の濃度を変更をしながら、60年以上に渡って、近鉄特急を象徴するカラーリングになった。大和八木(2002年3月)

私は、近鉄を日常的に利用することはなく、ましてや特急には、滅多なことで乗ることはなかった。その分、乗った時の感動は大きいものがあり、旧特急色は憧れのカラーに映った。ただ以前、近鉄関係の本の編集をしたことがあり、その時は、集中的に撮影したことがあった。そこで、今回は、消えゆく12200系を中心に、旧塗装車を見ていくことにした。ファミリー公園前~結崎(2003年4月)12200系は、昭和44年に登場した。万博開催を前に、難波線が開業、新青山トンネルも完成し、近鉄特急網が充実していった時代。12200系は166両が新造され、特急の最大勢力として50年以上走り続けた。三代目ビスタカー3000系と交換する。富田(2016年3月)最近まで12200系は、名阪間の主要駅に停車する名阪乙特急の主力として、長編成の先頭に立つこともあった。2月13日ダイヤ改正から、名阪甲特急は「ひのとり」に統一され、名阪乙特急は「アーバンライナー」に統一される。赤目口付近(2016年4月)12200系は短距離の特急にも活躍、30キロ余りの難波~奈良にも「阪奈特急」が運転される。以前は昼間も1時間ヘッドだったが、いまは朝夕の運転が中心。いずれも学園前(2002年5月)

 

 

12200系には軽食が取れる「スナックコーナー」が車端部に設けられ、当初は「新スナックカー」の愛称で呼ばれた。先代の12000系がスナックカーだったが早くに廃車され、12200系は「新」が取れた。しかし、すぐにスナックコーナーは消えてしまい、増備編成にはもともと設置は無く、愛称名が一人歩きした。名阪特急の要衝、大和八木では多くの客が乗り換える。(2003年4月)山田・大阪線では、京都行きと難波行きを併結する特急もあり、行き先に「京都」「難波」と表示した12200系も見られたが、2012年3月改正で姿を消し、単独運転となった。小俣(2004年3月)12200系の基本編成はモ12200+ク12300の2両編成で、全部で32編成造られた。その後、4両編成、6両編成と8年に渡って製造され、近鉄最多の166両が製造された。

もうひとつ12200系とともに消えるアイテムがある。京都・橿原線の「吉野連絡」のヘッドマークだ。終点の橿原神宮前で、吉野行き特急に接続することを示している。前面表示器のLED化に伴い、取り付けは12200系のみ。桃山御陵前(2002年10月)

 

 

 

 

 

 

「宇治山田」の行き先に、遠い日のお伊勢参りと、参宮急行電鉄の歴史に思いを馳せる。 大和八木(2003年4月)12200系の魅力のひとつは、M車のダブルパンタだろう。先頭に立った時に、大型の前パンの魅力をひしひし感じる。小俣(2003年9月)▲▲後年はクロスパンタに改造されてしまい、魅力が半減した。新田辺(2003年5月)

6 thoughts on “ さよなら 近鉄特急色 〈1〉

  1. まことに時宜を得た素晴らしい記録の数々、楽しませていただきました。当方は今頃になって追いかけていますが、収束の暁には、これぞ近鉄特急のツートンカラーの思い出を肴に、ご一緒させてください。続編も楽しみにしております。

    • 品川530さま
      コメント頂戴し、ありがとうございます。ブログいつも拝見しています。品川530さんに刺激を受けて、“よっしゃ”となりました。スナックカーの側面大窓もいいですね。ちゃんと窓の向こうに女性が写っていますね。私はこんな時代は全く関心がなく、最近になってから、やっと腰を上げました。はい、いつか、ご一緒に語り明かしたいですね。その日を楽しみに投稿続けます。

  2. そうですね。12200系も引退の時期でしょう。近鉄特急は、沿線に住んでいたら馴染み深く、他の私鉄沿線に住むと、たまにみて「へー」の存在でした。60年以上生きて来て、民間企業がこれだけの交通ネットワークと沿線住民の生活をキープしていることを、昭和時代にやってのけた偉業に感心します。
    あと、参宮急行2200ゆかりのWパンタとサイドビューの凛々しさは私も好きでした。特派員さまも見るところは一緒なんだと納得。近年の関東の電車はこけ脅しのデザインが目立ちますが、やっぱり製図の美しさ、構成美でデザインは決まるように思えます。

    • KH生さま
      私も「へぇー」の口ですが、その質量の高さは、まさに日本一の特急王国だと思います。KH生さんの写真のように、サイドからのモノクロ写真は、Wパンタだけでなく、窓部が黒く、腰部は白になり、すごくシャープな姿ですね。

  3. 気合の入った投稿、何度も読ませていただきました、一つのストーリーとして一冊の本を読んでいるようです。物心付いた時から近鉄沿線に住んでおり、小さい頃はクリームとブルーの2250の近鉄特急は憧れの存在でした。よく利用したのは1970年代以降です、旧ビスタ全盛の頃です、八木から鶴橋まで毎日のように通勤で利用していた時もありました。
    今では12400も全て新塗装に変わってしまい旧塗装の12200もその姿を見ることは無くなってしまいました。ただ、名張の留置線に留置されているのを通勤途上見かけました、いつまで置かれているか気がかりです。
    過去の車両は、写真でしか見る事が出来なくなります、しかし模型では過去の車両も楽しむことができます。旧塗装ということでは横浜からの譲渡車も増備され3本在籍となりました。

    • wakuhiroさま
      さすが近鉄沿線で育たれたwakuhiroさん、2250の時代からご存じなのですね。通勤時にも特急に乗っておられたとは、まさに近鉄特急とともに人生を歩んで来られたことと思います、12200のブルー色は、ビスタカー10000系からと書きましたが、ご指摘のように2227系、2250系から、腰部にこの色が塗られているのですね。横浜から転属の特急のバラエティもありがとうございます。

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