ほぼ同月同日 50年前のあの日に還る 〈2〉

東北編① 2月3日(木) まずは只見線へ

(2/2)京都駅14:00→名古屋駅16:22 名神高速バス210便

名古屋駅17:00→東京駅22:40 東名高速バス124便

東京→上野

上野23:50→会津若松5:08(遅れ5:40着) 急「ばんだい5号」「ざおう3号」クモハ455-9

会津若松7:47→滝谷9:26 425レ オハフ61 2169

滝谷13:35→会津川口14:23 429D キハ45 505

会津川口14:27→会津柳津15:20 432D キハユニ26 41

(春江荘Y・H泊 一泊二食650円)

東京までは名神・東名の高速バス、均一周遊券で乗れる急行が、東海道線では「桜島」「高千穂」だけになり、高速バスは有効な移動手段だった。▲▲上野からの急行は30分以上遅れて会津若松に到着、すぐ接続の只見線列車に乗れず、ED77 1牽引222レなど写して時間調整。

只見線425レは会津坂下で8分の停車、車内から驚くほどの高校生が降りてきて、たちまち列車の前を埋め尽くした。坂下には、高校が3校あって、駅は時ならぬ高校生ラッシュ、これは現在も変わらず、最近も只見線へ向かわせる動機となった。

 

 

 

滝谷で下車、去っていく乗車列車425レと、見送りの助役を入れて写す。雪を期待して来たが、それほどではない。

以前にも撮影した駅近の鉄橋を渡って対岸から461レを撮るが、急に雪が降ってきて、列車がよく見えなくなる。

滝谷から乗車の429D、DCは今まで2エンジンのキハ52、55が中心だったが、新系列の40系、キハ45も入線していた。

 

 

 

しばらく蒸機も通らないので、会津川口まで初乗車、只見川が真横に流れる。タブレットを肩から下げた助役が出迎えるなか、交換の432Dが到着、これに乗車して、今夜の宿泊地の会津柳津へ。会津川口には広い構内があり、電源開発が盛んな頃、貨車の出入りで賑わった時代を偲ばせる

 

 

 

会津柳津に着くと、後続の貨物7464レが到着、小雪のなか、タブレットを受け取る駅員の所作を、つぎの列車を待つ乗客がじっと凝視していた。しばらく停車ののち、発車して行った。

会津柳津のはずれでC11248の466レを撮影、明るいうちの蒸機はこれが最後、初日は早い目のユース入りとなった。

昭和46年10月時刻表の只見線、当時から運転本数は少なく、小出までの全線通しは3往復だった。蒸機の牽く旅客は会津川口までで、区間運転も含めて3往復。

 

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