続・ユースで巡った鉄道旅 -2-

昭和46年7月12日 参宮線、紀勢線、名松線を巡る

伊勢志摩ユースの館内の様子は全く印象に残っていませんが、ユースは高台にあって、海岸がよく見えたことだけは覚えています。朝食もそこそこに、早くにユースを出て、坂道を下って近鉄穴川駅へと急ぎます。ユースは、1992年に改築されて、いまも営業中、ホームページには、「日本で唯一の電車(5インチゲーシ)が走るユースホステル」との紹介があり、子どもが丸ノ内線の赤い電車の模型に乗っている写真が添えてありました。

近鉄志摩線穴川6:40発の白塚行きに乗車する。やって来たのは、6311+6317の編成、当時、近鉄の旧型電車にほとんど興味がなく、漫然と撮っただけだったが、あとで調べると関西急行電鉄(関急)名古屋線の急行用で、改軌された志摩線に移ってローカル輸送に励んでいた。車内の一部がクロスシートになっていたのが印象的だった。志摩線は、その前年の昭和45年に休止期間を経て、標準軌に改軌されたばかりで、軌道は、新線の雰囲気を残している。そのあと、志摩線の高架複線化により、駅も新設されて、この付近も様相は一変している。何気に撮った写真も、50年も経てば自然に訳ありになる一例だった。

参宮線の宮川で下車して、宮川~山田上口の宮川鉄橋へ行ってみた。参宮鉄道時代の明治30年に、英国製の鋼材を使って架橋された。当初、側面の斜材が「逆ハの字」に並ぶ「プラットトラス」で、のちに斜材がX状に交差する「ダブルワーレントラス」に改修された。C57 146[亀]の牽く821レ
上路式のトラスで、橋脚は煉瓦造り、側面には切り石造りの三角水切りが付いている。現在も稼働している明治期の貴重な近代土木遺産である。上り「はまゆう1号」、紀伊勝浦行き。

多気で乗り換え亀山へ向かう途中、六軒でD51 759[亀]の牽く上り貨物と交換。六軒と聞けば、六軒事故を思い浮かべるのは、もう高齢者の部類だろう。最近、六軒事故誌を纏められた埼玉県在住のOさんと知り合い、当会の先輩の事故機のC51の写真や、私の写した事故機C57の写真などを、誌面に載せてもらったのも、50年後の何かの縁だった。

亀山で下車して、鈴鹿川を越えて下庄寄りに歩き、DF50 16の牽く下り貨物を撮影。

さらにトンネル寄りで、C57 26[亀]の牽く824レを撮影、この付近でも偶然の所産があった。戦争中、この付近を走行中の列車が米軍の機銃掃射を受けて、多数の死者が出た。この列車を牽いていたのがC51 63[亀]だった。最近になって、慰霊碑が近くに建立されることになり、いろいろな方を経由して、私の所蔵していたC51 63の写真が慰霊碑の盤面を飾ることができた。

さらに松阪から名松線に乗り換えた。途中の家城で、キハ30 44+20 229の列車と交換する。終点の伊勢奥津、昨年末のクローバー会の乗り鉄行事で、50年ぶりに伊勢奥津を訪問し、感慨を新たにした。駅は一線だけの棒線駅になっていたが、左の給水塔が、そのまま残っていた。伊勢奥津の駅舎、改修はされていたが、いまもそのまま使われていた。伊勢街道沿いの観光拠点として、駅前に施設が並び、50年前より、きれいに整備されたが、肝心の列車本数が少なく、観光しようにも、列車で訪れることが困難になっている。

 続・ユースで巡った鉄道旅 -2-」への3件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    C57146もDF5016も懐かしい機関車です。C5726は撮ったことがなく始めて拝見しました。ボイラ端面角型、集煙装置、重油併燃装置付きと本来のC57からはかなり厳しい顔に変わっていますが、C57のバリエーションの一つとして撮っておきたかった機関車です。さて、総本家さんはそのころは近鉄電車は興味がなかったと述べられていますがよくわかります。どなたか近鉄も南海も皆同じ顔に見えるとおっしゃった方がおられます(特にお名前は秘しておきます)が、かく言う私も藤本哲男さんや「近鉄特急」の著者に会っていなければ多分6311系は撮っていなかったと思います。名古屋線急行の姿を貼り付けますが、車内はクロスシートで床は板張りであったように記憶しておりますが貫通幌つきのハンサム顔で結構なスピードで飛ばしていました。1968年7月13日近畿日本長島での撮影です。

    • 準特急さま
      近鉄、とくに名古屋線由来の電車は、乗ったこともなく、ほとんど興味がありませんでした。それに目覚めさせてくれたのが、乙訓の老人さんで、若き頃に名古屋線で撮られた、素晴らしい写真を見せてもらいました。さらに後年、近鉄電車の本を編集することになり、乙訓の老人さんに相談すると、「紹介したるわ」と連れて行かれたのが、箕面にお住まいのKaさん宅で、ここでも、カラーで撮られたダークグリーンの名古屋線電車に魅了されました。私は無骨な2200系列よりも、やや半流でスマートな6300系列のほうが好きになりました。

  2. 昭和56年5月の新歓旅行は、初めて行く三重の赤目四十八滝でした。
    私は草津線から関西線に乗り、初めて訪問した近鉄伊賀線は、モ5000+ク5100型でしたが、往年の名古屋線急行車が、再び1067mm軌間に戻されて、静かにローカル運用に就いていました。
    1981年5月9日伊賀上野

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