お城と電車(4)

有名な城であっても線路に近くないと本題にそぐわない。その点、山形城はそれほど有名ではないが、とにかく駅から15分も歩けば城郭の雰囲気を味わうことができ線路に近い。山形城は最上氏の居城で現在の城址は最上義光が拡張、整備したもの。その後、鳥居、保科氏ら譜代大名が城主として入れかわり明治に及んでいる。

山形-北山形間は山形新幹線、奥羽本線、仙山線、左沢線の車両が通過して行く。日本の多くの城は公園になっており桜の名所でもあるが山形城も霞城公園として例外ではない。桜関連は後日貼り付け予定。古い時代のC51、C57、DF50の時代はとても手が回らなかったが、現在は首都圏から日帰り圏になったので時々訪問している。


仙山線の快速山形行きE721系 2018.1.19 ▲

左沢線(フルーツライン)左沢行き後部キハ101-12 通常2両だがラッシュアワーに入り4両となる。2018.1.19▲

 

 

 

お城と電車(4)」への4件のフィードバック

  1. 準特急様
    東北ではありませんが、いすみ鉄道で大多喜城をバックに撮ってました。2013年の8月です。

  2. ブギウギ様
    これです。この場所は一度行こうと思っていてまだ願いがかなっていません。有難うございました。

  3. 山形のこの場所は、2012年秋にいろんなことで心労が重なり、大変苦しかった時に、思い付きで伊丹から飛行機に乗り、夕暮れの山形に着いて泊まった翌朝に訪れたことがあり、大変懐かしい風景です。
    翌日は寒河江、大石田、尾花沢を逍遙しました。
    みちのくの鉄路や国道は、どんな思いで作ったのだろうかと、一瞬思考させられる風景だと思います。
    例えば、「加波山事件」に出てくる三島通庸は高圧的な知事(県令)として、教科書に取り上げられていますが、山形に行って、主要な道を作ってこん日の山形の骨格を作った恩人のように資料館で説明がなされていて、印象が変わった思いが有ります。
    このお堀端に鉄道が走り出して100年以上、最上川水系の交通が鉄道に代わり、さらに時代が経ちましたが、とても印象的な風景だったことを、10年後に想い出しています。

  4. K.H.生様
    滞在した街を散策したり、その地域の歴史を調べたり触れたりすることは大変有意義なことと思います。私など寒河江、大石田、尾花沢などもっと放浪しておけばよかったと後悔しています。私が知る山形のこの辺りはさくらんぼ、将棋の駒、真室川音頭に花笠音頭、最上川とおしん、それに米沢に山本八重が一時滞在したことくらいです。「加波山事件」は栃木、茨木のことと思っていましたが、山形にも影響していたとは思ってもいませんでした。有難うございます。

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